記憶の糸(5)

 湖面を見つめる二人のそばを、そよ風が幾度となく通り過ぎていく。
      
 ルキアは多くを語るわけではなく、ぽつりぽつりと思い出したように一言二言を口にする、そんな話し方をした。もしもおしゃべり好きな村の女の子たちであれば物足りなく思うかもしれないが、アルカディアスにとっては、ルキアのその話し方がむしろ心地よかった。
   
 普段でも、次から次へぽんぽんと会話が続いていくと、アルカディアスにはその速さについていけないことが良くあった。他人の話を聞くのは嫌いではないけれど、自分がその話に話し手として混ざることは苦手だった。自分が何を話そうか考えているうちに、どんどん話が目の前を通り過ぎていってしまうのだ。
    
 会話が途切れて、ふとアルカディアスが顔を上げると、ルキアがふわりと笑った。
 その瞬間、眩しさを感じたような気がしてアルカディアスは目を細めた。
 今見たルキアの微笑が、自分の体中に広がってふわふわと浮き上がりそうな不思議な感覚に、思わずアルカディアスは自分の足を両手で押さえる。


 会ったばかりの、しかも男の人のそばにいて、こんなにも心穏やかでいられることが不思議だった。そのままの自分でいられることがこんなに安心するものだとは。
    
 自分が今覚えている限り、初めての経験だった。
    
 ドルのそばにいても安心する気持ちにはなるが、こんな自分のことを何の見返りもなしに養ってくれるのだと、ドルに対しては心のどこかでいつも申し訳ない気持ちが拭えないでいた。
 けれどルキアに対しては、純粋に、なんの気負いもなくいられる気がしていた。

   
 その後しばらくは、その心地よい時間を楽しんでいたのだが、アルカディアスはふと、あることに思い当たって口を開いた。
    
  「旅を......なさっていると、おっしゃっていましたね。もう......この地を発たれるのですか?」
 これだけ言うのに、なぜか口の中がからからに乾いてしまったようで、声がかすれた。
 アルカディアスの問いに、ルキアはにこりと笑った。   
  「いいえ。こちらには今日来たばかりですから。半月ほどはこのあたりに滞まる予定なのです」    
  「まだいらっしゃるのですね・・・・・・。」
 アルカディアスは心底、安心した。

   
      
 そして再び穏やかな時間が過ぎてゆく。
   
   
 日の位置が天頂にかかってから二刻(ふたとき)ほど過ぎた頃。
  「――そろそろ、私は宿に向かわなくてはなりません」
 ルキアが少しだけ声のトーンを落として言った。
 アルカディアスは心がきゅうっと締め付けられるような苦しさを覚える。
      
  「――今日は......どこにお泊りになるのですか?」
 やっとのことで声を絞り出す。
  「――レトナに。」
 レトナ、といえばアルカディアスが暮らすこの村から三刻(みとき)ほど歩いた宿場街だ。
 一度ここを離れてしまったら、長い距離をかけてもうここには来てくれないのではと思うと、先ほど一度安心した気持ちが、再び萎えていくような気がした。
   
  『――もう少し、もう少しでも良いから、一緒にいたい。――』
   
 このままルキアに会えなくなるのが寂しい。
 アルカディアスは思わず涙が出そうになるのを懸命にこらえていた。

 その時――、
    
  「また明日も、同じ刻頃にここで、会ってくれますか?」
   
 アルカディアスが自分の気持ちに戸惑っていると、ルキアがおもむろにそう口にした。
 まるで、先ほどまで思っていたことが見透かされたようで、かあっと体中が熱を帯びるのをアルカディアスは感じた。
   
 飛び上がりたくなるような気持ちを抑え、アルカディアスはただ、微笑んだ。
  「もちろん、喜んで......!」

 少しだけ、ルキアの瞳が細められる。
 そしてルキアも、安堵したようなため息とともに微笑んだ。

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