忌まわしき夜(1)

 春とはいえ、まだ4月上旬の午後の日差しは低い位置から射し込み、障子のわずかな隙間から、その向こうにあるガラス窓を抜けて入ってくる光がまぶしい。この家の主の性格からしてかなり著名な画家が描いたものであろう掛け軸などが掛かった畳敷きのこの部屋は、典型的な和室であるが、空調はしっかりしており外の寒さを感じさせない。
 克也は久方ぶりに竜の本家である、久遠水皇邸を訪れていた。自分が長だということを隠すために、克也がここに来ることは滅多になく、1年に数日ほどだ。しかし今日ここにいるのは、水皇に利由とともに呼び出されたからだ。まだこの部屋には姿は見えないが、基樹も呼ばれているはずである。


 「失礼致します」
 そう言って和服を無理なく着こなした中年の女性が廊下側の襖をすうっと開けて入り口で一礼した。少し太めの体型と柔らかな物腰は見るものの心をホッとさせるような雰囲気をかもし出していた。持ってきた急須と湯飲みの置かれた盆を部屋の中に入れて襖を閉めると、女性は細めの瞳をさらに細めて克也に向かって話しかけた。
 「お久しぶりですねぇ。克様」
 「静流さん」
 克也は肩の力を抜いてその女性に微笑んだ。
 「なんだよ、母さんはいつも克也の前だとよそ行きの声なんか出しちゃって。」
 どこか呆れたように利由が言葉を発した。その様子に静流は少し眉をひそめ、
 「あなたは克様に対して馴れ馴れしすぎですよ。」
 低い声でぴしりと言う。
 「ハイハイ」
 利由は肩をすくめて克也に意味ありげな視線を送った。
 静流はそんな息子を一瞥して大げさにため息などついてみせたが、息子の隣に座る克也に目を移し、嬉しそうにしげしげと眺めた。
 「克様はどんどん澄香様に似てこられますね」
 にこにこと微笑む静流に、克也は少しだけ複雑な表情を見せるのだった。


 「もうそろそろ水皇様が来られるはずなんですけど......相変わらず遅いですね......」
 そう言ってお茶を入れながら静流は、自分の入ってきた入り口の方を見遣る。
 「誰が遅いって?」
 タイミングよく襖が勢い良く開いて、水皇が姿を現した。その一歩後ろには基樹もいる。
 「長、久しぶりのこの家はどうだ?」
 「叔父さんの雰囲気を反映してるのか、ここの家自体もいつきても雰囲気が温かくて落ち着きますね」
 水皇は、克也の言葉に、満足げな表情をする。
 「そりゃぁよかった------お前の母上にはもう挨拶しにいったか?」
 「いえ......」
 表情を硬くして一度だけ首を振った克也に、水皇は困ったような顔をする。
 「たまに来た時ぐらい手を合わせてやれよ。澄香嬢は待ってるぞ」
 「そうですね......」
 そう答えながら、克也は目線を自分の膝に落とした。


 「さて、と......」
 静流がちょうど水皇の分のお茶を入れ終わったところで、水皇はどっかりと克也の正面に腰を下ろした。その隣------利由の目の前に基樹も座る。静流は、その後の話は自分が関わるべき問題ではないと心得ていると見えて、一礼すると部屋からさっと出て行った。
 「俺が何の話をしたいのかは分かっているよな?」
 水皇の問いに克也の表情が再び強張る。
 「お前はどうしたいんだ?彼女とのことを」
 しばし沈黙が流れる。克也は口を中途半端に開けたまま、言葉を探しているようであった。 それぞれの目の前の、まだ温かい湯飲みから出る湯気を見つめながら三人は黙って克也の答えを待った。
 「俺、は......。」
 克也は呼吸を整えるために一度大きく息を吐く。
 「以前、長として......あいつを......、岬を利用することを皆に約束した。------岬が、俺のことを好きでいてくれれば、きっとそれは可能だった。だけど正体がバレた今となっては......岬がどう思うかは分からない......。」
 さよならと告げた自分。呆然とそれを聞いていた岬。
 あの時、これまでの自分と岬との関係を全て清算するつもりで別れを告げたのだ。
 これからは、恋人同士ではなく、本当の敵同士として、もう一度出会わなければならない。
 黙ってしまった克也に対して、苛立ったように基樹が声を荒げた。
 「私は考えを改めました!長の正体が敵方に明らかになってしまった以上、もう前に進むしかありませんよ!栃野岬を---宝刀の持ち主を手に入れた一族がこの世の実権を握るのですよ!宝刀の力はこのままみすみす憎き中條めに渡すつもりですか!」
 興奮した基樹に、まぁまぁ、と手をひらひらさせながら利由が口を開く。
 「こいつは岬ちゃんにぞっこん惚れてるからな。------一度こちらの手の内に入れば、将来竜一族の為に利用されるだけ利用されるのが目に見えてる。それを分かっていながら、目をつぶって岬ちゃんを無理やりにでもつなぎとめ続けることは克也には苦痛以外の何ものでもないからな。」
 「長が仮に栃野岬をお気に召しているとあらば、何にせよ自分のもとに置いておくのに不都合はないでしょう!?だいたい、中條のもとにいてすら、彼女は利用されているではありませんか!」
 基樹の興奮は収まっていない。克也も仕方なしに口を開く。
  「しかし、今岬が動いているのは自分の意思だ。巽志朗を野放しにしていた竜一族への怒りが岬を動かしているのは今も変わっていないと思う。しかも岬自身はもともと奈津河の一族だ。」
 「......お前は岬ちゃんを手放す気なのか?」
 利由が静かに問う。そんな利由の様子に克也は少しだけつらそうに微笑んだ。
 「俺が今まで生きてこられたのも、水皇さんや基樹、尚吾たちがいてくれたからこそだ。竜一族を裏切るような真似は自分にもできない。------だから、もう少し時間が欲しい。必ず頭を整理して、長として岬をつなぎとめるようにするから......」
 「まぁ、先はどうであれ、それについては克也自身の気持ちと今のところの竜一族の利害は一致しているからな。異論はないけどね」
 利由はあぐらをかいて座った体制のままうーんと伸びをしながら言った。
 「何にせよ、岬さんとやらはおそらく御大とその息のかかった者たちにいいように使われてる感じだな。------ここいらで少しあちらさん方にもお灸を据えておかねばならんなぁ......。」
 水皇は自分のあごを手の平でなぞりながらつぶやく。
 そしてしばらくその格好のまま何かを考える仕草をした。
 「長、お前はもう表舞台に立つ勇気はあるか?」
 その言葉に克也ははっとして顔を上げ、声の主である水皇を見つめた。


  「もちろん、これはただの意思確認だ。今すぐどうこうしようってわけじゃない。あと数年表舞台に立たなくて済むならその方がいい。せめて高校を卒業するまでは、なるべく静かな環境で勉強させてやりたいと思っているからね。ただし、今の状況が変化すればどうしてもお前が動かなければならないかもしれない。お前は二十歳をまだ迎えていないが、俺自身はお前が立つべくして立つのならば、それでもいいと思っている。......もちろん、長老たちや大方の幹部たちはそうは思っていないはずだけどね」
そう言って水皇は笑う。
 克也は座り直す。
 「もちろん、覚悟はしているつもりです。」
 水皇はそう言い切る克也をしばしじっと見つめ、やがて深くうなずいた。

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