標的(1)

  「先日の雨風で桜がずいぶん散ってしまったんだねえ」

 大人の背丈の二倍はあるだろうかという、高い天井に届くほどの大きな窓に少しだけその身を預けながら、御嵩はこの廊下から見渡せる庭を眺めていた。

 普段、あまり季節など気にする性格でもないが、今年、自宅に咲いた桜はなかなか見事だったから、それがなくなるのは少々味気ない気がしたのだ。

 誰に対して言った言葉でもなかったが、大きなため息と共に吐いた言葉だったためか、ある程度の音の大きさにはなっていたようだ。

  「珍しいな、お前が桜なんかを気にするとは」

 どこから現れたのか、にわかに背後に歩み寄った男は、御嵩よりも頭ひとつ分は背が高く、振り向いた御嵩は見上げる格好になる。

  「僕だって少しは桜を愛でる和の心を持ち合わせてはいるんだよ。利一(りいち)兄さん」

 御嵩はにこりと笑う。多くの人を魅了し、惑わせるその笑顔。

 しかし目の前の男はそれを格別気にすることもなく、整えられたあご髭を右手でさすりながら『ふーん』とあいまいな返事をする。



  「それより、相変わらずモノ好きばかりの集まりだねえ」

 と、利一は親指だけ立てて背後の部屋を指す。

  「あなたもその『モノ好き』の一人じゃないんですかね」

 笑顔を崩さずに御嵩は嫌味を口にする。

 目の前の男――利一はそれを気にする様子もなく、ニヤニヤと笑った。。

  「まあなあ、一応俺も本家の三男坊だしな。」

 そう言いながら、ううーん、と手を伸ばして豪快に伸びをする。

  「俺も含めて――、みんな、聞きたいのさ。『長』の真意をね。――長が『上』に黙って何かやっているらしいっていう噂の真実も。」

 利一の言葉に御嵩は

  「みんな、本当は僕のあら捜しをしたいだけだよね。『愛人の子』にどれほどのことができるのかって。昔から変わらないよね。」

  「まあまあ、そう卑屈になりなさんな。これでも俺はお前を結構お前のことかってるんだぜ?」

  「どうだか。あなたも本家の人間だからねえ」

 にこりと笑いその場を去ろうとする御嵩だが、次の瞬間足を止めた。

 前から一人の男が駆け出してきたのだ。頭の上の方は短髪でツンツン経っていたが、後ろ髪だけ肩より少々下まで伸ばしている。

 御嵩と視線が合うと、男はすぐに人懐っこい瞳を向ける。

  「あれ?今日はお前の後ろくっついて回ってるちっちゃなお嬢ちゃんは?」

 言われている本人が聞いたら頭から湯気を出して怒りそうな形容の仕方だなと御嵩は苦笑する。

  「麻莉絵はいないよ。こんな場所に連れて来られるわけがない」

  「こんな『悪意の巣窟みたいな』場所に、か?」

 相手の男がニヤつきながら付け足した。

  「ふっふ。相変わらず光留(みつる)は面白いね!」

 御嵩は心底面白そうに笑った。

  「お褒めに預かり光栄です、『我が長』」

 わざと丁寧な物言いをして礼をした『光留』に、御嵩の表情が曇る。

  「そういう言い方は嫌いだよ。」

 拗ねた子供のような御嵩に、光留は高笑いした。

  「ごめんごめん、分かってるって!御嵩はかわいいいねえ」

 それを聞いて、ますます不機嫌になる御嵩。

  「その減らず口、僕の術で永遠に閉じさせてあげようか?」

  「内村光留、それだけは遠慮しまーす」

 肩の辺りで両手のひらを振りながら、光留は楽しそうに笑う。

 思わず、御嵩は本当の意味で笑っていた。

 光留は一番きつい時期を共に乗り越えてきた『戦友』だ。最も心を許せる幹部かもしれない。

 

 御嵩は笑いを引っ込めると、目の前の部屋を見据える。

 この自宅の、大広間。一族の集まる時以外はめったに開かれることのない部屋。

 『悪意の巣窟』とはよく言ったものだと思う。

 嫌な集まりだが、逃げるわけにはいかない。

 そのままゆっくりと、歩みを進め、目の前の鈍く光る金色のノブに手をかけた。

  「お待たせしました」

 扉を開くと、まあよくこんなに集まったものかとうんざりするくらいの老若男女。佃煮にしたいくらいだと御嵩は思う。皆、不満げな視線をこちらに向けている。

 ざわり、とその場が騒がしくなるより先に御嵩は次の句を継ぐ。

  「皆様、宝刀の力のことをお聞きになりたいのでしょう?」

  「そうだ、いったいどうなってるんだ!?」

 あたりが一気に騒がしくなる。

 ため息をつきたい気持ちを抑え、御嵩は少々声のトーンを上げる。

  「宝刀の力が、ただの力ではないことぐらいは、いくらあなたたちでもお分かりのはず」

 いささか嫌味の含まれた言葉に、明らかに相手が苛立つのが伝わるが、御嵩は気にせず続ける。

  「そして、宝刀の力が『守人』に宿っている以上、その『守人』の意思とは無関係に事を運ぶことはできないのもお分かりですね?博おじ様?」

 先ほど、先陣を切って御嵩に食いついた男を名指しにする。

 男は中條博(なかじょう ひろし)。前長である御嵩の父の弟である。御嵩が長になっても一族への影響力は大きく、妻の聡子と共に幹部として居座り続けている。

  「現在『守人』である少女は、竜族の長に恋しています。」

 一気に室内のざわめきが大きくなる。

  「竜族の長だと!?」

  「あいつらの長は分からなかったんじゃないのか!?」

 当然の反応だ。

  「ええ。でも私が見つけ出しました。」

 御嵩の言葉を遮り、先ほどの男――中條博が声を荒げた。

  「だが、その少女が竜族の長に恋だと!?忌々しき事態ではないか!」

 皆、口々にその言葉に賛同する。

  「竜族の長を見つけ出したのは私ですよ、皆様。そのへんへのねぎらいはないものですかねえ?」

 やれやれといった様子で肩をすくめると、射るような視線が御嵩に集中する。

  「いくら長を見つけたところで、そんな状況では、このままでは宝刀の力はあちらに渡ってしまうじゃないの!」

 今度は年配の女性が叫ぶ。

 その瞬間――、



 ――がしゃんっ!



 御嵩は目の前にあったテーブルに、拳を思い切り打ち付けた。

 テーブルの上に置いてあった誰かの飲みかけのグラスが倒れ、白いクロスにしみを作る。拳をテーブルの上に置いたまま、御嵩はうつむいていた。

 いつもポーカーフェイスで、本心はどうにせよにこにこと接していた御嵩の『乱心』とも呼べるその様子に、一同息を呑む。

 ややあって、顔を上げた御嵩はいつもの『笑顔』に戻っていた。

  「もちろん、このまま指をくわえて見ているつもりはありませんよ。聡子おば様」

 御嵩はその年配の女性に語りかける。女性の名は中條聡子。先ほどの博の妻である。

 御嵩は不適に口の端を吊り上げる。

  「邪魔者はいなくなってもらいましょう。僕はもう、小物を追うことはしません。僕が次に狙うは竜族の長!――彼は、邪魔です。彼には――、死んでもらいます。」

 眼鏡の縁が照明の光を反射してきらりと光った。

 表情だけは笑顔のままで瞳には剣呑な光を宿し、御嵩は宣言した。

 奈津河一族の中枢と呼ばれる者たちの前で。

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