拉致(3)

 「もうおやめください!」

 その夜、基樹は珍しく取り乱していた。
 「栃野岬、あの者は危険です。何も長が危険を犯してまでつなぎとめなくても・・・・・・、違う方法で利用すればいいだけのことではありませんか!」
 「・・・・・・」
 克也はそんな基樹から目をそらして黙ったままだ。
 基樹は拳をふるわせる。
 「先日私めが拉致されてしまったのはひとえに私の不徳のいたすところ・・・・・・。表向きの仕事の方を細工されて気づかなかった・・・・・・。------それは重々反省しております。------あの日------あの憎き中條めに探られました。------栃野岬を手元から離そうとしない貴方のことを。------もちろん私が直接言うわけはありませんでしたが・・・・・・。しかしあの中條のこと・・・・・・、もしかすると気付かれたかもしれません・・・・・・。」
 悔しそうに声をも震わせる。全て自分の責任だと分かっているから。

 「----俺が長だということをか・・・・・・」
 そう言って克也は息をゆっくりとはいた。
 基樹は肯定の意を沈黙で答えた。

 「もう、隠しておくのも潮時なのかもしれない、か・・・・・・。」
 「何をおっしゃいます!いけません!まだ相手も確信までは持っていないはずです!」
 克也の弱気の発言を基樹は一喝した。
 「・・・・・・いずれは明らかになってしまうことだ。」
 「けれど今は自ら全てを明るみに出すその時ではありません。」
 きっぱりと言い切る基樹に克也はどこか寂しげに微笑む。
 「・・・・・・お前には感謝している。5歳のときに母親を亡くし、父親は俺を顧みることがなかった。------そんな状態の俺がここまで生き延びられたのも基樹------お前のおかげでもある------。けれど・・・・・・もうそろそろお前は開放されてもいいころだ・・・・・・。」
 意外な克也の言葉に、基樹は再び沈黙した。
 けれどしばしの後、ゆっくりとかぶりを振った。
 「そんなことは考えていません。私はとうに----この体が動かなくなるまであなたを守ろうと決めているのですから。」
 基樹の決意を克也は複雑な心境で聞いた。


       ******     ******

 年も明けて3日。
岬と克也は二人で都心にある神社に初詣に来ていた。近場の神社でも事は足りるのだが、近場は知り合いに会う恐れが濃厚である。そういうのが苦手な克也の意向で少し離れた都心の神社まで来ているのだった。

 無事に参詣も済み、後は二人でおみくじでも引こうと移動しかけた。
 「あ、待ってよ・・・・・・」
 人ごみに押され、思わず岬は克也のコートの端を掴む。
 すぐに気がついた克也は歩みを止めた。
 「悪かった。------お前、歩くの遅かったんだったっけ。」
 からかう克也の言葉に岬はふくれた。
 「遅いってねぇ・・・・・・男と女じゃコンパスと力の差があるんだからね!ましてやあたしチビだしさあ・・・・・・」
 ごにょごにょと文句をつけている岬に克也はふわりと微笑んだ。
 そして、つい、と手を差し出す。
 「・・・・・・ありがと」
 岬は少しだけ面食らったが、すぐに満面の笑みを浮かべ、差し出された克也の手に自分の手を重ねた。


 おみくじを買い、岬がお守りまで買ったその時だった。
 「栃野、岬さん?」
 いきなり知らない声に呼び止められ、岬は怪訝な顔で振り向いた。
 声の主はすぐ近くにいて、ニコニコと笑みを浮かべている。
 年のころは24、5ぐらいに岬には思えた。悪い人には見えないけれど怪しすぎる。新手のナンパかとも考えたが、男と手をつないで歩いて明らかに彼氏といると分かるのにナンパもないだろう、と思い直す。
 そんな岬の不信そうな瞳に、男は思いついたようにこう付け加えた。
 「あぁ、ごめん。すっかり名乗るのを忘れていた。僕は、中條御嵩(なかじょう みたけ)。名前、聞いたことないかな?」
 中條御嵩------その変わった名前には聞き覚えがあった。何度も麻莉絵に連呼された奈津河一族のリーダーの名前だ。しかし、話によると中條御嵩というのは有名会社の代表取締役だ。一人でこんなところにいるなんて不自然すぎる。
不信感を拭えずに岬はさらに聞いた。
 「------あの・・・・・・、ホンモノですか?」
 「ホンモノだよ。」
 「だって社長って・・・・・・こんなところに一人でいるもんなんですか?」
 「普通はいないだろうね」
 そんなことはさして重要なことではない、といった様子で男は笑顔のままさらりと答えた。

  「あぁ、そうだ。何なら今、分かる者に電話しようか。」
男はおもむろに携帯電話を取り出して開くと、ピッピッと2つの動作で電話をかけだした。しばらくして繋がったらしく、しゃべり始める。
 「あ?麻莉絵?------そう、僕だよ。今栃野さんに会っていてね・・・・・・」
 その後は、電話の相手に何かを言われたらしくなぜかしきりに謝っている。
麻莉絵の名前に岬もはっとした。本当に本人なのか。そんなことを考えながら呆然とその様子を眺めていると、男は携帯電話を岬の目の前に差し出した。
 「麻莉絵が君と話したいって。」
 恐る恐る岬が電話に出ると、聞き覚えのある元気な声が聞こえてきた。


 『あ、岬?---何かあたしもよくわかんないんだけど御嵩様に会ってるんだって?』
 「あ、う、うん。」
 勢いに押されたまま岬はうなずいた。
 『そこにいる御嵩様はホンモノはホンモノだから安心して?あのね。------御嵩様ってちょっと一般常識を超えたことしたりするから・・・・・・』
 麻莉絵の声は後半は何故か小さくなっていた。
 「そ、うなんだ?」
 良く分からないが、とにかくこの御嵩は本物らしい。

 他に2、3何かを言われたが、麻莉絵もパニクっているらしく意味が通じない。とりあえず相槌は打つだけ打って岬は電話を切った。
 「あの、どうもすみません。ちょっとイキナリで驚いたもので・・・・・・」
 そんな岬を前にその男------中條御嵩------は目の前で"気にしてない気にしてない"とひらひら手を振った。

 「知り合い?」
 不思議そうに聞いてくる克也に岬は慌てた。どう説明したらいいのか分からない。
 奈津河一族の話など普通の人には説明のしようがないからだ。
 「あ、あのね・・・・・・えーと・・・・・・」
 しどろもどろになって説明の言葉を探す岬に御嵩が助け舟を出した。
 「共通の知人がいるので、栃野さんのことは知っていたんです。実際に会うのは初めてですが・・・・・・」
 「そ、そう!そうなの!ホラ、共通の知人っていつも話してる麻莉絵っていう・・・・・・」
 岬は学園祭のときに知り合ったということで、麻莉絵のことは克也にも良く話していた。
 「------ああ・・・・・・、そうなんだ・・・・・・」
 岬の言葉に納得したように、克也はまばたきをしてうなずいた。


 「初めまして。岬さんの知り合いの中條です。」
 そう言って御嵩は、黙ったまま岬と御嵩のやりとりを見つめる克也に右手を差し出す。
 「どうも・・・・・・」
 内心複雑な思いを抱えながらも、克也は手を握って営業スマイルを返した。
 もちろんこの男が中條であることは克也には最初から分かっていた。直接顔をあわせたことはないが、鮮明に脳裏に焼きついて離れない顔だ。

 "それはそうと"と岬は御嵩に向き直った。
 「社長さんがなんでこんなところに一人でいるんですか?」
 「------何って、お参りだよ。会社の更なる繁栄を祈念して。」
 御嵩は手を合わせて拝む格好をする。
 「一般人に混じってですか?」
 「お参りに一般人も社長もないよ」
 あっけらかんと言う御嵩に、岬は今まで自分が持っていた『社長』というイメージがガラガラと崩れるのを感じた。

 "ヘンな人"

 それが岬のこの時の御嵩に対する印象だった。

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