新顔(3)

 隣のクラスに転校してきた聖蘭子は、如才ないようで既に何人かの友人を作ったらしい。始業式の朝に挨拶したということもあり、岬は聖蘭子のことを気にしていたのだが心配無用だったようだ。

 「はぁ」
 岬は自分の席に座って大きなため息をつく。
 「どうしたの?岬ってば」
 目の前でパンをほおばる晶子が不思議そうな瞳を向けてくる。
 岬は、何だか今日はやたらと心が騒ぐのだ。胸に重しを乗せられたような息苦しさ。
 それは、これから起こる事の予兆だったのかもしれなかった。

   *****   *****


 放課後。
 克也は、部活のために体育館に駆け出していく岬を教室で見送った後、一緒に帰らないかという友人たちの誘いを断り、誰もいない教室に一人残っていた。
 まだ今日は家には帰りたくなかった。
 いっそ岬の部活の終わりを待ってみようかとも思い、読みかけの本に目を落とす。

 が。
 不意に鋭い気配を感じて克也は頭を上げた。
 その途端。


 目に見えぬ空気の矢が自分めがけて発される-----------


 ドシュッ


 鈍い音がしてその矢は教室の壁に突き刺さった。だがその矢はもともと形を持たない。それゆえに教室の壁の一点に穴を残しただけだった。それでも人間に突き刺さればその人間の生命を脅かすほどの威力があることを克也は知っている。
 間一髪でその矢を逃れた克也は、矢が放たれた方を振り返る。
 鮮やかな笑みを浮かべてそこに立っていたのは------


 聖 蘭子であった。

 「こんにちは。------さすがですね」
 今しようとしたことと結びつかないくらいに蘭子はにこやかだった。


 まさか。
 ここで、こんなことがあろうとは。
 克也は驚きを隠せなかった。


 「ずっとお会いしたかった。------蒼嗣克也くん。------いいえ、竜の長。」
 蘭子はわざとらしく深く頭をたれた。

 克也自身が竜一族の長であるという事実は、敵である奈津河一族にはもとより、竜の一族の者でも知る者はごくわずかであるはずだ。それなのに、蘭子がそれを知っているということはどういうことなのか。事と次第によってはそれはとても重大な問題だった。
 「お前...そのことをどこから聞いた...?」
 「知っているわ...貴方のことなら何でも。」
 蘭子は克也をまっすぐ見つめる。
 「答えろ」
 克也は最近の岬には見せない冷酷な表情をして蘭子の腕を掴んだ。一族の頂点に立つものが持つ、圧倒的な威圧感のある瞳。
 一瞬蘭子も怯んだが、すぐに気を取り直したように口を開いた。
 「ちょっとした筋からの情報。---あ、間違っても聖家じゃないわよ。これは聖家ではおそらく私しか知らないはず。------もちろん奈津河本家も知らないことよ。」
 「ちょっとした筋?」
 「---そう。でも貴方にとって悪い筋ではないわよ。」
 要領を得ない蘭子の受け答えに、克也は無性に苛立った。
 「だからそれはどこだと聞いている!」
 思わず口調がきつくなる。
 そんな克也を見て蘭子は肩をすくめた。
 「怒らないでよ。私、あなたに興味があるだけなんだから。」
 ふざけているとしか思えない蘭子の答えに克也は眉をひそめた。
 「私がここに来たのは何のためか知ってる?」
 蘭子はその状況を楽しんでいるようだった。


 「聖家のお嬢さんが敵方の人間に何の用だ?」
 突き放した克也の物言いに蘭子はため息をついた。
 「聖家はもう奈津河家を追放されたわ。戻ることは許されない...。だから私にとっては貴方も敵方の人間ではないの。」
 「だが、そう簡単に心が離れられるはずはない。---」
 克也は警戒姿勢を解かずに冷笑した。
 数秒の沈黙の後、蘭子は吐き捨てるように言った。
 「・・・・・・っ、---確かにお父様たちはね。------だけど私は嫌なのよ!いつまでも捨てられた家にしがみついて、いつか本家から許してもらえると------いつかは迎えが来るはずだと---叶うはずのない夢を見続けている毎日なんて!馬鹿馬鹿しい。」


 「----それは、お前のせいだろ?」
 克也は、冷たく言い放った。
 そんな生活を招いたのもお前のせいだと、あえて克也は言ったのだ。それはきっと、蘭子にとってあまり心地のよくない事実なのだと知りながら。

 それが的を射ていることは、硬くなった表情と沈黙で分かった。

 「----知らないわ、そんなことは。そんなことは----関係ない。」
 蘭子はうつむいた。長い髪がさらりと肩から滑り落ちる。


 「私は...本当の両親の元に---本当に自分が属する場所に帰りたいだけよ...」
 下を向いたまま、答える。その表情は克也からは見えない。
 「私は...いつも中途半端な存在。このままではどちらにも属せない...。だから帰りたいの。本当の---本当の一族に。」
 「聖......、お前は育ててくれた両親を---裏切れるのか?」
 そんなことができるはずはないと言外に皮肉を込めて克也は口の端をゆがめた。
 しかし、蘭子の答えは克也の予想をあっさりと一蹴した。
 「---できるわ。そんなセンチメンタルな感情は既に私にはないの。そのために---私は全てを捨てる覚悟でここに来たんだから!」
 激しい口調。
 克也は蘭子の背中に紅蓮のオーラを見た気がした。全てを焼き尽くしても後悔しない、強い決意のオーラ。


 蘭子は再びにこりと笑うと、トンッと床を蹴って自然な仕草で克也の首に両手を回した。
 一瞬怯んだ克也が逃れる間もなく-----


 克也の唇に蘭子は自分の唇を押し付けた。


 克也は慌てて蘭子の腕を掴んで引き剥がす。
 「------っ!何を考えてるんだ!?」
 驚きを隠せない克也の瞳を蘭子はまっすぐ見据えた。
 「貴方は...竜一族の中ではかなり恐れられているそうね。冷酷な長。けれど、今日確信したわ。 貴方は恐れるに値しない人だと。私は----貴方を恐れたりはしない。だってそうでしょう?貴方は 栃野岬なんかと恋人なんだもの!」


 言葉を失っている克也に向かって蘭子は妖しく微笑んだ。
 「ねぇ、知られたくないでしょう?貴方が竜族の長だってこと。----特に"彼女"には。」
 克也の表情が一瞬にして強張るのを見て、蘭子は満足そうに息を吐いた。
 そして、言う。


 「取引、-------しましょう?」


   *****   *****


 「克也君」
 昼休み。
 岬と晶子、そしてクリスマスパーティーに参加した笹木と4人で廊下でしゃべっていた克也は、蘭子から声をかけられた。
 岬は違和感を感じて仕方がなかった。いつのまに二人は知り合っていたのか...?数日前の朝の時点では克也は蘭子を知らないと言っていたはずだ。
 『しかも...な、なんで苗字じゃなくて名前で呼んでるの...?』
 岬は思わず頬がひきつるのを感じた。
 「岬...」
 弁解をしようとしたのか、克也が何かを言いかけた時、蘭子はにやりと笑う。
 下手なことをすると全てを岬にバラすとでもいうような不敵な笑み。


 「今日の帰り、---私に付き合ってくれるよね?」

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