新顔(5)

「あのね...」
一時間目のチャイムが鳴り教師が来るのを待つ間、岬は克也の横顔に話しかけた。
今なら聖蘭子も寄ってこない。同じクラスの、隣同士だけが持つ特権。
岬はれっきとした克也の恋人なのだから、本来ならばこんなことがなくても学校で話しかけられる場はたくさんあるはずなのだ。だが、蘭子が来てからは、いつ邪魔が入るのかと落ち着いて話も出来ない。しかも最近岬の部活が新人戦の練習で忙しいことをいいことに、蘭子は克也を連れ歩いている。
もともと学校内では他人の目もあるしそんなに親しく話ができるようなものではないのだ。
「えっと...、今週の土曜日空いてる?」
岬は上目遣いで克也の様子を窺いながら控えめに言った。
克也は少しだけ考えるようなそぶりを見せたが、やがて微笑んでうなずいた。
その表情に岬もホッとする。
「あのね、この前話した麻莉絵っていう子、いるでしょう?」
「......あぁ。」
「あの子にずーっと前から彼氏に会わせてくれって言われてるの。...ちょっとでいんだけど、会ってくれるかなぁ...?」
「--------分かった。」
克也が言葉を発する前に少し間があったのが気になるが、とりあえず承諾してもらえたので岬も胸をなでおろした。


          *****   *****


放課後、岬が土曜日のことについて克也に確認しようとしたときだった。
「克也くん!」
遠くから蘭子の呼ぶ声がした。
振り返ろうともしない克也におかまいなしで蘭子はこちらに駆け寄ってくると、岬のことなど目に入らないとでもいうように、克也に話しかけた。
「ねぇ、早く行きましょうよ。今日は本町まで付き合ってくれる約束だったでしょ?」
蘭子の言葉に怪訝そうな表情の克也。
「約束したじゃない、...ね?」
そう言って蘭子はわざとらしく克也の腕に触れる。
「ちょっと...」
思わず声を上げる岬を蘭子は横目でちらりと見やった。
「あら?栃野さん。ごめんなさいね。」
そう言いながらもすまなそうな様子は全くない。
岬が呆れて眉間にしわを寄せたときだった。
「-----ちょっと来てくれないか」
それまで黙っていた克也が、そう蘭子にひとこと告げて階段の方に歩き始めた。
岬が疑問符を挟む間もなく、克也はその場を後にし、蘭子が嬉しそうにその後を付いていく。

「何で......?」
その場に取り残されてしまった岬は、二人の後姿を見つめたまま呆然とつぶやいた。
意外な展開に頭がついていかない。
 ----克也は自分には何も言ってくれていない。
 ----なぜ蘭子だけに声をかけたのか。
"待って"と引き止めて聞けばよかったのかもしれない。けれどあまりの突然の出来事に声が出なかった。
 ----訳が、分からなかった。

          *****   *****


「いい加減にしないか?---約束なんてなかっただろ?」
それまで沈黙を守っていた克也は、裏門へと続く人気(ひとけ)のない第3昇降口で静かに口を開いた。
「私は"あの子に真相を言わない"とは言ったけど、貴方たちの邪魔をしない、とは約束していないわよ」
蘭子は挑戦的な笑みを作った。
「......お前は竜族と共に行動したいんだろう?だったら余計なことはしないことだ」
「----私にそんなこと言っていいの?私は貴方にとって重要な秘密を握っているのよ」
「邪魔をするならいつでもあんな取引反故にしてやる」
克也の強気な言葉に、蘭子は明らかに面白くなさそうな表情になる。
「私が約束を破るはずがないとふんでやけに強気に出たわね。貴方だって彼女との事を考えれば本当に約束を反故になんてできもしないくせに。彼女が大事なんでしょう?------私にはこんなこともできるのよ?」
蘭子はそう言って小さく右手を上げると、そのまま横に払うような仕草をした。
克也は息を呑んだ。


「きゃぁっ!」
その瞬間、体育館脇の女子更衣室で岬は思わず叫び声をあげた。耳を覆ってうずくまる。
岬の頭のすぐ横でいきなりの小さな爆発があったのだ。
爆発するようなものはなにもないのに。
「な、何?」
その場にいた者たちは一斉にざわめいた。
岬は呆然としながらも、どこかで故意に常識では考えられない力が働いたことを感じ取っていた。それがどちらの一族に属するものなのかまではまだ分からなかったが...。
数ヶ月前の忌まわしい記憶がよみがえり、岬は身震いした。
それは表面的ではあっても平穏な日々に安心していた岬に、自分はまだ争いの渦中にいるのだと再認識させる一瞬だった。


そして。
何が起きたのか、克也には見ずとも分かっていた。
しばらく黙り込んだ克也に、蘭子はしてやったり、という表情をした。
「ホラ、私のいうことを聞かないとこう...」
しかし、蘭子のその言葉は遮られた。


ダンッ


瞬間、蘭子は頬の近くを風が横切る感覚に思わず目をつぶった。その風を後ろに下がって避けたせいで壁に背中をぶつける。
おそるおそる目を開くと、顔のすぐ間近に克也の手のひらがあった。
正面に瞳だけを動かすと、壁に片手を付いた状態で克也はうつむいていた。そしてゆっくりと顔を上げる...


蘭子は、顔を上げた克也のあまりにも恐ろしい形相に息を呑んだ。
「...岬の身に何かあれば容赦はしない......。」
「...な、何よ。----...彼女に真相をバラされたいの!?」
「お前を消せばいいだけだ」
その一言に、さすがに身の危険を感じたのか蘭子は目をそらし、大きく息を吐くと言った。
「分かったわよ、もうしない。私としても貴方との取引があるから彼女にはいなくなってもらっては困るもの。」
「分かればいい......」
くるりと踵を返し、去ろうとする克也に蘭子は言葉を投げかける。
「---ここに来る時、貴方も私も"彼女"に何も言わずに来てしまったけど...。......良かったのかしらね?...まぁ、大方貴方はあまりにも私に対する怒りが先立っていて"彼女"に声をかけるのを忘れちゃったんでしょうけど...」
図星とでもいうように一瞬歩みを止めた克也に、蘭子はにやりと口の端をゆがめた。

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