愕然(2)

 「ど......して......?」
 岬はその場で呆然とつぶやいていた。
「岬?」
ただならぬ様子に、麻莉絵の顔にも緊張が走る。麻莉絵はゆっくりと岬の向いているであろう視線の先にいる人物を見た。
そこには一組の男女。
それだけで麻莉絵は全てを察したようで、岬の肩に手を置く。


 岬の頭の中には疑問と焦燥と負の感情が混ざり合ったような何とも言えない気持ちが渦巻いていた。


 自分は今まで克也のアパートの近くに寄ることすらもできなかった。
 それなのに、なぜ蘭子は克也と共にここにいることができるのだろう?

『あたしって......克也の恋人、だよね?------どうして恋人のあたしはダメであの人は来ても平気なの?』
頭がぐらぐらする。まるで真夏の日差しにやられたみたいに。
少しだけよろめいた岬を麻莉絵は支えた。
「あの人なのね!?あの人が岬の-------」
そう問う麻莉絵に、岬はやっとのことでうなずいた。


「はっきりさせるわよ!」
麻莉絵がそう言った次の瞬間、岬は麻莉絵に手を引かれて走っていた。


そして。


-------物音にこちらを見る克也と蘭子。
蘭子の表情は動かないが、克也は明らかにその表情に変化が表れていた。
その切れ長の目を見開いて、言葉を失っている。
その表情が余計に岬の心を打ちのめす。


「何で!?......何でよっ!?」
岬は叫んだ。
「何であたしは家の近くにすら行かせてくれなかったのに、その人はそんなに簡単に許すの!?あたしをここに近寄らせなかったのは、こういうことがバレるとマズいって思ったから!?----考えてみたらあたし...克也のこと何も知らない......。いつも克也が秘密主義であたしには何にも教えてくれないから......っ!!」
そう口にするうちに目に涙がたまっていくのが分かる。
「けど......まさかこんなことになってたたんて......」
そこまで言ってもう言葉が出てこなくなってしまった。代わりに涙だけが次から次へとあふれて出てくる。
克也を責める気持ちがあっても、頭の中がぐちゃぐちゃで言葉にならない。
その場に岬の嗚咽だけが響く。


「バカね」
静寂を破ったのは蘭子だった。
「いくら恋人同士だって言えないことの一つや二つあるわよ。それはそれであなたのためを思って言わないんだからそれをギャーギャー言うのは子供のすることだわ」
傷口に塩を塗るような一言に岬は一瞬、泣くのすらも忘れた。


言い返したい。
----けれど言葉が出てこない。


「だからって浮気してるのを言わないってのは問題だと思うわよ」
心が押しつぶされそうになった岬を救ったのは麻莉絵だった。
「開き直ってんじゃないわよ、この高飛車女!相手を見下したような態度が許せないわ!あたしのかわいい岬になんてこと言うのよっ!----それに----」
麻莉絵はぎろりと克也を睨んだ。
「一番問題なのはあんたよ!何で何も言わないのよ!?男のくせに情けないわね!浮気ならなぜ浮気したのかとか、これからどうするかとか、ちゃんと言いなさいよね!」
「違う......!」
麻莉絵の言葉の最後にかぶるようにして、克也がやっとかすれた声で叫ぶ。

そして。
「岬っ...!」
次の瞬間、克也は岬を抱きしめていた。
あまりの急展開にその場にいた全員が驚く。
「言葉が......出なかった......。ごめん......」
克也は岬への謝罪の言葉を口にした。
「でも...違う......、違......」
克也はまだうまく言葉が出てこないらしく、そこで言葉は途切れた。
岬の体を抱きしめる克也の腕にぎゅっと力が込もる。その腕が微かに震えているのが岬には分かった。
『なぜ......?』
克也のそんな様子に、岬は一瞬我に返った。確かに、そのいきさつが何であれ、蘭子と一緒にいるところを自分に見られたことは克也にとってまずい状況であっただろう。けれど、いつもクールな克也がこんなに震えるほど動揺するのが岬には気になった。このことがそれほど動揺するほど深刻な状況ということなのか、あるいはこのことの裏側に何かがあるということなのか......。
「克也、どういうことなの?お願い、教えて...」
そう問う岬に対して、克也はうめくように答えた。
「...今は...言えないんだ......。何も......。でも決して聖とは浮気なんかじゃない...!」
克也の"今は言えない"という言葉を、岬は最初、別の意味でとった。
「---今って---みんながいるからダメって事?----じゃぁ二人だけになったら教えてくれるの?」
「いや......そうじゃない...。二人きりでも......言えないんだ。」


「----何でよ...!?」
岬は再び頭に血が上った。やはり訳が分からない。
なぜ克也は自分を抱きしめながら、それでも自分の願いを聞いてくれないのか。何もかもは話せないほど、自分はそんなに克也にとって心を許せない相手なのか。それが悔しい。蘭子と克也が一緒にいたことよりも、いつのまにかそのことが岬の心を占めていた。
しかしその後の克也の返事は、いくら待っても出てこない。
「もういい...!!」
そう叫ぶと岬は勢い良く克也の腕を振り解いて一歩後ずさりした。
「抱きしめれば何でも許されると思ったら大間違いなんだから!あたしは、一体克也の何!?あたしだってこんな訳の分からないままでいられるほどお人よしじゃないよ!----バカにしないで......!」
はき捨てるように叫ぶと、岬は駅の方に向かって駆け出していた。


とにかくその場から逃げ出したかった。

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