愕然(3)
「岬っ!」
突然走り出した岬を呼び止めようと声を上げるが、岬に止まる気配はなかった。その姿はどんどん遠くなり、曲がり角に差し掛かってその姿は見えなくなろうとしていた。
「ちょっと!もう、私にもなんだかよく分からないんだけど!...いずれ岬も交えてはっきりさせるからね!それまでに頭ん中整理しておいてよね!」
そう言い置くと麻莉絵は、気まずい雰囲気を残すその場から離れ、岬の後を追って駆け出した。
「ちょっと岬ってばっ!待ってよ!」
ようやく信号が赤で止まった岬に追いついた麻莉絵は、岬の肩に手を置く。
「離してっ」
取り乱している恥ずかしさから岬は身をよじってその手から逃れ、違う方向へと逃げようとする。 その瞳からは、感情が雫となってとめどなく流れ落ちる。それを拭う余裕すらも今の岬にはなかった。
「岬、ここで負けたらダメよ!事実をはっきりさせるの!そうじゃないとどうなるにしても先に進めないよ!」
「事実なんて、もう見たくもないし聞きたくもない!」
かぶりを振って麻莉絵の言葉を聞こうとしない岬。
しかし麻莉絵も少なからずその気持ちが分かるのか、しばらく言葉を探すように地面を見つめた。
その時だった。
着メロが流れ、その携帯電話の持ち主である麻莉絵は、逃げないように片手で岬の腕を掴みながら、もう一方の手で自分のカバンの中をまさぐった。そして、器用に片手で携帯を開く。
いつもなら、相手を確かめてから出るのだが、いかんせん今はそんな余裕はなかった。
「もしもしっ...!?」
非常事態にかかってきてイライラしていたのか、声が荒っぽくなっている。
しかし、相手の声を聞いた次の瞬間、麻莉絵の声色が変わる。
相手の名を口に出して確かめる。
「------御嵩様...!?」
***** ******
「克也......、一体お前らは何をやってるんだよ。------まぁ、何にせよ、きっぱりと言えなかったお前が一番問題なんだけどさ」
利由は大きくため息をついた。
ここは克也の部屋。特に信頼している者しか克也はこの部屋に入れたことがない。
不用意に人が出入りすることは、ひいては敵方に秘密を暴かれることにつながるからだ。それでも、少しでも一族に関する者が出入りする以上、その出入りには特に慎重にならざるを得なかった。現在この部屋に出入りが許されるのは------というより、ここに克也がいることを知るものは、一族の中では現在は三人しかいないはずであった。それは利由と基樹、そして水皇である。 しかし蘭子はその垣根を一気に飛び越えてしまった。否、克也が飛び越えさせてしまったことは、利由にとっても驚きに値することだった。克也は、同じ学校にいる以上仕方がないというが、最近の克也はどうも緊張感というものが足りないように利由には思える。岬とは違った意味で、利由にとっ てもこの事実は危惧すべきことであった。単なる"恋愛ボケ"では済まされない。
「お前、こんなに簡単に聖をそばに寄せるなんて、よもや岬ちゃんから聖に乗り換えるつもりなのか?」
わざと冗談めかして利由は問う。
克也の鋭い視線がそれを否定した。
「・・・・・・だったら、なぜ?なぜあいつにここに来ることを許した?」
「...部屋までは入れていない」
「------っ、そんなことじゃないだろう!?」
普段おちゃらけていることが多い利由に真剣に怒鳴られて、克也はうつむく。
「----分かっている。----聖が現れてから......自分の何かがおかしくなっていること......。分かってはいるんだ......」
「それは聖が来てからということじゃないだろう?岬ちゃんと付き合い始めてからだ。他でもない岬ちゃんに関することだけに......二人の仲をかき回そうとしている聖に踊らされて、お前がちゃんと対処しきれていないだけだ。......岬ちゃんのこととなるとお前はどうしようもなくいつも以上に不器用になる。お前の性格がもともと人付き合いという点では器用ではないことは俺だって重々承知してる。ただ、長としてのお前の行動に抜け目はなかったよ。でも...彼女と付き合いだしてお前は長として保つべきラインを守れていない。今回のことだってそうだ。それまでのお前なら、もっと冷静に対処する事だってできたはずだ。」
利由の言葉があまりにも正論なだけに、克也は言い返すことが出来ない。
しばらく、二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「聖と一緒のところを岬に見られたとき......全身が凍りついたように動けなかった......。」
急に何の脈絡もなく、克也はそう、ぽつりとつぶやく。
「ただ一緒にいただけだろう?勝手に聖が付いて来ただけだってことを岬ちゃんにきちんと説明すればよかったんだよ。」
「......その時は......言えなかった。一瞬、頭の中が真っ白で......何も考えられなくて......」
「なぜ?----その事がそんなに動揺するほどのことだったか!?俺には全くそうは思えないけどな......」
いくら恋人に他の女と一緒のところを見られたからといって、何もやましいことはしていないというのに大の男がしばし言葉を失うぐらい動揺するなんて、通常は考えられないことだ。
利由の言葉を、もっともだ、とでもいうように克也はゆっくりと首を縦に振った。
「自分でもよく分からないんだ...。今考えてもあの時の俺はおかしかったと思う。あんなことで---震えがくるほど動揺するとは思わなかった。-----ただ-----」
そこで克也は一旦言葉を切る。
利由も静かにその次の言葉を待った。
「きっと俺は------怖かったんだ...」
「怖い?」
利由は聞き返した。
「そう。いつか......あんな風に突然---本当のことが岬に全てバレてしまう日が来ることが......」
克也は少し悲しげに微笑みながら答える。
-----そう。
今は取るに足らないことが知れたに過ぎない。けれど、必ずいつかはやってきてしまうのだろう。自分にとって最も知られたくない事実が彼女に知れてしまう"その時"が。
それが克也自身には怖くてたまらないのだ。
その審判の日が。
"その時"が来ることを思うと、------何も知らない赤子のように、どうしていいのか分からなくなってしまう。
それほど、岬に強く惹かれてしまっている。
今日の岬の、とても傷ついた顔が脳裏に浮かぶ。
克也は下唇を噛んで、静かに瞳を閉じた。
***** ******
次の日------
岬は、初めて克也との約束をすっぽかした。
そして、麻莉絵と共に御嵩の邸宅へと向かったのだった。