罠(1)

 扉を開けると、正面の座り心地良さそうな大きめの椅子にこの部屋の主は座っていた。
 「麻莉絵、ご苦労だったね。」
 岬より一歩前に出た麻莉絵に、この部屋の主である御嵩はニコニコとねぎらいの言葉をかける。そしてその微笑を残したまま、麻莉絵の後ろに複雑な面持ちで立っている岬に声をかけた。
 「栃野さん。ようこそ。---以前神社でお会いしましたよね?あの時はどうも」
 「あ......」
 岬は少々緊張気味でうまく答えを返せなかった。何しろ社長という地位にいる人の邸宅に来たことなんて初めてで、この場にいるだけで何となく気後れしてしまう。高級住宅街に位置するだけあって、来る間も見えるものは門扉のしっかりとした大きな邸宅ばかりだった。その上、さらにここは、通されたこの部屋の扉から向かって右の大きな窓の外に見えるのは芝生や木ばかり、というほどに広大だ。


 数分間、三人は部屋の中央にあるソファーに座ってとりとめのない話などをしていたが、途中で御嵩は麻莉絵にこう切り出した。
 「ごめん。ちょっとだけ栃野さんと二人きりにしてくれないかな?」
 「ええ......、構いませんけど?---岬は大丈夫?」
 この状況に慣れていない岬を気遣う麻莉絵。御嵩はそんな麻莉絵の様子を微笑ましいというように見つめる。
 「大丈夫だよ。ほんの少しだし。---もちろん麻莉絵の手前、手を出したりしないから安心してよ」
 おどけて言う。
 「やだなぁ。御嵩様に限ってそんなことはできないって信じてますけど!というより、---御嵩様が相手にするのはいつも後腐れのない女性ばかりのようですし?」
 少々皮肉る響きも含ませて麻莉絵は御嵩を上目遣いで見やる。
 「何気に麻莉絵は厳しいなぁ......、ま、言い訳はできないけどさ。」
 御嵩は苦笑した。その様子を見てひとつため息をつくと麻莉絵はすっと立ち上がった。
 「---それじゃ、あたしはちょっと席を外させてていただきます。あ、でも岬。もちろんこの屋敷内にはいるから安心して?」
 そう岬に対していい置くと扉の前まで歩いて行って御嵩に一礼し、するりと部屋の外に出て行った。


 一瞬シーンとしてしまった部屋だが、岬が不安がらないようにとの配慮か、すぐに明るい声で御嵩は話し始めた。
 「ごめんね。じゃぁ、早いとこ話を終わらせてまた三人でお茶の続きでもしよう。おいしいお菓子を用意させたからね。」
 ニコニコと微笑を浮かべ、御嵩ははっとしたようなそぶりを見せた。
 「ちょっと待って。」
 そう言っておもむろに自分のジャケットの胸元に手を入れると何やら赤いケースを取り出した。何が出てくるのかと岬が身構えていると、ケースをカツンと音を立てて目の前のテーブルに置き、そのケースを開いた。中にあったのは紺のふちの眼鏡。そして今までかけていたふちなしの眼鏡を外すと、ケースの中にあった眼鏡をかける。
 「失礼。これは仕事用の眼鏡でね。これをかけていると肩が凝ってしょうがないんだ。」
 そう言って屈託のない笑いを浮かべる御嵩に、ついつられて岬の顔にも笑みがこぼれる。
 それに満足したようにうなずいて、御嵩はゆっくりと話し始めた。


 「話というのもね......、実は、君に協力して欲しいことがあるんだ」
 少年が未来を夢見るような希望に満ちた瞳をして御嵩は岬に言った。
 「......協力......?」
 岬は問う。
 「そう。......君の力を借りたいんだよ。」
 「私の力......」
 岬は意味もなくその言葉を繰り返したが、"自分の力を使う"ということの実感がない。遠くの話という気がする。まるでファンタジー映画を見ているようなふわりとした気持ちでいた。
 「僕たちがやりたいことにはぜひとも君の力が必要なんだよ。君の能力は僕たちの持つ能力の中でもかなり特殊なんだ。」
 「やりたいこと?」
 「そう。もう分かっているとは思うけど---。竜一族を、滅ぼしたいんだ。それには......彼等の長を筆頭とした"能力を持った者"たちを全て消す必要があるんだ。」
 「そんな......こんなに急に、そんなことはとても......」
 初めてあからさまにそんなことを言われ、岬は戸惑っていた。あの麻莉絵でさえ、こんなに直接的なことはこれまで言わなかった。
 『能力を持った者たちを......消す......』
 それがどういうことなのか、岬の頭でも理解できた。
 あの一瞬に発現した自分の力。あの時---自分の力の向いた対象の末路を岬は知っているのだから。漠然とした不安に駆られて岬は思わず声を荒げた。
 「そんなこと......、あたしには---できません---!!」
 そう言って視線を床に落とす。
 そんな岬を御嵩はしばらく冷静に見据えていたが、やがてゆっくりとその口を開いた。
 「じゃぁ、君は竜一族を---、巽志朗を許せるというのか?」


 ---巽志朗---


 その名を耳にして岬は一瞬その場に凍りついた。
 ただでさえ不安定な精神状態の今の岬に、その名前はさらに不安定要素を加えるものだった。岬はうつろな瞳でその名前を反芻した。
 「た、つみ......志朗......」
 呆然とつぶやく。
 「そうだ。彼は君と---君の友達に何をした?」


 ------甦る。
 脳裏に焼きついて離れない、あの時の映像。投げられた言葉。
 そして---変わり果てた親友の姿---。


 言いようもない怒りがふつふつと湧いてくる。
 「そうだよ、栃野さん」
 御嵩は、ゆらりとほのかにオーラをまとわせる岬を鎮めるように正面に歩み寄り、岬の肩に手を置いた。
 「そう、これは悪いことじゃない。僕たちだって好んで人殺しをしているわけじゃない。人助けだよ。この世の中に悪がのさばっているのを僕らは放っておけないだけなんだ。これは君や君の友達のための事でもあるんだよ。あんな男を野放しにしていたのは竜一族だ。巽志朗を世に送り出した竜一族に---君たちの復讐を遂げるんだ。そのための支援を僕たちは厭わない。」
 そう言う御嵩の瞳はまっすぐにこちらを向いている。
 なぜだか目を離すことができなかった。声を出すことも忘れ、岬はただ、吸い込まれそうなその瞳を見つめた。


 ------その時に御嵩が岬にある術を施したことなど、岬は気付くはずもなかった。


   *****     ******

 その晩---、麻莉絵と将高、そして岬はある者達と対峙していた。もちろん、その動きは麻莉絵たちも御嵩からの情報で予測済みであったが。
 「あんたたちだろ?竜季さんをやったやつってのは......」
 相手は全部で三人。その中のリーダー格のような一人が怒りも露に言葉を投げかける。
 「いかにも。手を下したのは僕ですよ?」
 にこりと自慢げに、そして挑戦的に答える将高の態度が相手には大いに癪に障ったらしい。
 「貴様ッ!」
 「上層部の人たちは諦めても、一番弟子だった俺たちはいつになってもお前をゆるさねぇ!」
 「竜季さんの恨み、刺し違えてでも晴らしてやる!」
 三人は代わる代わる叫び、そして同時に将高に向かって攻撃を仕掛けた。
 将高はひょいとその最初の攻撃を避ける。
 彼の能力を持ってすれば本来この程度の攻撃はかすり傷にもならない。それどころか相手の力を受け止め、反対に殺してしまえるほどの能力を持っているのだ。しかし今回、彼等の攻撃に中途半端に応じているのは、今回は御嵩から岬の力を使わせるように指示されているからだ。
 「この程度ですか?あなた方がそんな程度じゃ、"竜季さん"とやらの実力もたいした事はないということでしょうね...」
 将高はわざと相手の気を逆撫でするような言葉を発して相手の怒りを倍増させる。


 「岬ッ!」
 麻莉絵が横にいる岬を促す。
 「私が援護してるから、岬は自分に集中して!」
 岬は戸惑った。
 「どうすれば...」
 どうすれば自分の力を発揮できるのか分からないのだ。
 将高が相手の憎しみを一手に引き受けて適当に攻撃をかわしているのだが、そんなに長い間動かせ続けて待たせるわけにもいかない。
 岬はあせった。
 「わ、からない!分からないよう!!」
 パニックになりかけて泣きそうな声を上げる岬に、麻莉絵は必死で呼びかける。
 「落ち着いて!御嵩様の言葉を思い出して!」 


 岬ははっとする。
 『そんな時には憎いアイツの顔を思い出せばいい。あの、巽志朗の顔を。そして巽によってひどい目に遭わされた君の親友の姿を。』
 御嵩の言葉が甦る。
 『圭美......!』
 頭の中で岬は叫んだ。
 脳裏に断末魔の叫び声をあげる圭美の姿が映し出される......


 一瞬、岬は何かに導かれるような不思議な感覚を覚えた。その途端、岬の中で何かがはじけとんだ。

 「あ......あぁぁぁぁぁっ......!!!」
 そんな叫びと共に岬の体の表面から強いオーラが発生する。
 ---それは巽志朗を消したのと同じもの---


 そして次の瞬間、岬の力は真っ直ぐに対象に向かって放たれていた------

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