罠(2)
岬の力はいっぺんに三人の男に襲いかかり、彼等が声を発する間も与えなかった。こうして、一瞬にして彼等の存在は無に還った。
三人の存在が消えてもなお、岬の力の渦は周りの木々の枝を次々と無へと還し続けていた。
「岬!」
「栃野さん!」
また麻莉絵が岬を鎮める呪文を唱えようとした。
その時。
「姫、もうやめなさい」
凛とした声がその場に響いた。
どこからともなく現れたのは御嵩だった。
その途端、岬は御嵩のもとに歩み寄り、一礼をする。
意外なその光景に、その場にいた麻莉絵も将高も唖然とした。
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利由が克也のもとを尋ねたのは夜中。
克也も、普段ならとっくに眠りについている時間なのに、今日約束の場所に現れなかった岬のことを思うとなかなか眠れなかった。だが、眠れなかったのはそれだけのせいではなかった。何か数時間前から胸騒ぎがして仕方がなかったのだ。
「---あれほど止めたってのに......竜季さんの下が動いた......」
利由は、少々急いできたせいではずんだ息を整えながら、絞り出すような声で言った。
"下"というのは、竜季を尊敬し、部下であった者たちのことだ。数ヶ月前にやられた竜季の仇討ちを彼等は計画し、実行したのである。計画段階で利由は止めたのだ。相手が悪いと。相手は奈津河の幹部クラスの中でも特に有能とされる大貫将高と中條麻莉絵である、『かなうはずがない』と。------しかし、竜季を慕っていた者たちにとって、そんな制止など竜季を殺された恨みの前には意味を持たなかった。
かくして彼等は玉砕覚悟でぶつかり、そして、そのとおり破れたのである------。
確かに竜の一族に連なる者が殺されたことは、大きなことである。
しかし、そのことを長である克也の耳に入れるのは、よほど幹部クラスがやられたのではない限り大体が後になってからであり、今日のように事が起きてすぐに告げられることはまずない。生死にかかわらないにしても、一族同士の争いで傷つくことはそう珍しいことではないからだ。起きてしまったこと全てをいちいち報告することで、必要以上に克也と竜一族が接触することの方が問題だと幹部の間では考えられている。長い間闘いに慣れてしまった者たちの出した悲しい結論だ。
それゆえに、幹部の部下が消されたぐらいで、こんな夜更けに慌てて利由が部屋を訪ねてくることは今までなかった。ただならぬ雰囲気に克也も息をのむ。
「彼等の気配は闘いの最中に突然消えた......。俺が現場に駆けつけたのはそれからすぐのことだったはずなのに、亡骸のかけらすら見つけられなかった。そして、周りの木々も、一部がまるでもともと存在しなかったかのように削り取られて消えていたんだ。------これがどういうことか分かるか!?」
利由は珍しく動揺しているのか、乱れた髪を乱暴に掻きあげた。
"生命のあるものの存在そのものを一瞬にして証拠も残さずに無に還す力。"
そんな力を持っている者など限られている。
そして現在、そんな力を持っている奈津河一族の者といえば------
「まさか......」
その者の名を口にするのをためらう克也の代わりに、利由は苛立ち気味に言い放った。
「------岬ちゃんだよ!彼女しか、考えられない!」
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岬は部屋の窓から差し込む光に目を覚ました。
二度目の力を使って人を消してしまったのはつい昨晩の事だ。
岬はまだぼうっとしていた。
あれが本当にあったことは事実ではあると認識はしているのだが、どこか実感がない。
三人の存在を目の前で消し去ったことは分かるのに、何の感情も湧いてこない。一度目に力を使った時には感じていた気持ちの重苦しさがないのだ。
あれから、今の状況に至るまでの記憶だって途切れ途切れである。けれど現在自分の部屋にいるということは何とかして帰ったことには違いないらしい。しかし、何だか心のどこかが自分の自由にならないような、どこかに枷をはめられたような不思議な感覚を覚えていた。
------とはいえ、その感覚以外に別段変わったところもなく、こうして色々考えている自分もいて、いつもと変わらない朝なのだが。
何だか釈然としない気持ちのまま、岬はベッドから起き上がった。
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昼、将高は御嵩の邸宅を訪ねた。ここに来るのはあまり好きではないために自分から出向くことはめったにないことだったが、それでも今回はすぐに確認したいことがあった。
「少々聞きたいことがあります」
いつもの、西側の応接室。
休日といえば、ふらふらとどこかへ出かけてしまう御嵩が邸宅にいたことは奇跡に近いことだった。
「何かな?」
白っぽいシャツをラフに着たチノパン姿の御嵩は、窓のサッシに片手をかけてニコリと口の端を上げた。
「昨晩、栃野さんは貴方の指示に従って意外と簡単に力を発揮し、貴方の発した『姫』との呼びかけに答え、貴方の言うとおり動きました。まだ彼女は自分の宿命を知らないはずです。なのにあの時の彼女の様子は尋常じゃなかった。まるで------貴方が操る人形のような目をして貴方に一礼した。もしや、貴方は彼女に術を------」
そこまで将高が言うと、御嵩は声高らかに失笑した。
「その通り!さすがは将高くんだね!」
そんな御嵩の様子をさして興味もなさそうに見やると、将高は続けた。
「貴方は以前僕たちに言ったはずです。彼女の------宝刀の力は------扱いが難しく、持ち主の心と複雑かつ密接に関わりあっていて、持ち主の心を無理に曲げたりしてむやみに扱うと暴走しかねない不安定な力だと。彼女の本当の力はあんなものではありませんよね? 巽の時も今回の時も本来の力の片鱗に過ぎない。彼女が本気になれば私や麻莉絵さんの力など及ばない......、もしかすると貴方の力さえも。それなのに------」
"それなのになぜ、そんな無謀なことをするのか"と、言外に疑問と批判をこめて将高は言葉を切る。
「それは確かに。だけど、私が今回彼女に施したものは『巽志朗への憎しみ』と『力を使おうとする意思』という起爆剤がそろわなければ何も起こらない。通常と変わらないよ。それに、僕は彼女の心を無理にこじ開けてまで術をかけたわけでもない。万が一の暴走を止めるために、一時的に彼女の心の空洞となった部分にそっと僕への服従心を埋めただけだからね」
「空洞となった部分......?」
将高は怪訝そうに聞き返した。
「心の『隙間』だよ。ちょうどその隙間に、パズルの最後のピースを当てはめるように服従心を埋め込むことができたんだ。人はその心の隙間が大きければ大きいほど、術にかかりやすいもの。麻莉絵によると、栃野さんには今、恋人との間でいざこざがあるらしいからね。人間というものは、ショックなことがあるとそればかり考えていては心の均衡を保っていられない。だから意識的に心の中に『そのことについて何も考えない、感じない空間』を作って平静を保つものだからね。」
「貴方も罪なことをしますね......。麻莉絵さんがあんなに大切にしている栃野さんに......」
そう言う将高の表情は、少々面白くなさそうである。
「おや?君がそんな人情的なことをいうとは驚きだな」
対する御嵩はとても面白そうに答える。
「僕は麻莉絵さんの味方ですからね。麻莉絵さんを傷つけるようなら、たとえ貴方でも許しませんよ。」
そんな将高に、御嵩は『やれやれ』といった様子で肩をすくめる。
「将高は麻莉絵のことが本当に好きなんだね」
「茶化さないでください」
「そうじゃないよ。褒めているんだよ。でもね将高、君は賢いし、役に立つ男だ。君が思うよりずっと僕は君のことをかっているんだよ。僕を裏切らないで欲しいな......」
最後の方は子供が拗ねるような言い方だった。