罠(4)

 「ちょっと、岬ってば!」
 放課後、岬は晶子に教室の出入り口で呼び止められた。今まさに教室を出ようかといった様子だった岬ははっとする。
 二度目の力を使ってからというもの、晶子ともクラスメートとも何か大きな隔たりがあると感じてしまうようになっていた。もちろんいつもと同じに振舞っているつもりではいたし、それなりにやっているのだが、ふと我に返ると、どこかガラス越しに日常を見ているという気がしてしまって仕方がないのだ。
 「何?」
 首だけ振り返って聞く。
 「ちょっとこの後『ローゼンティー』に寄って行かない?」
 晶子はにっこりと笑った。
 『ローゼンティー』は、この学校の生徒たち------とりわけ女子が多いのだが------が、よく利用する、学校から歩いて5分ほどのところにある喫茶店である。そこそこ広いオープンスペースもある、緑あふれるおしゃれな喫茶店である。『ローズ』というゴールデンレトリバーという種類の大型犬が看板犬となっていて、それも女子高校生たちからの人気の一因だった。岬はそこのキャラメルパフェがお気に入りである。
 しかし、最近は放課後といえば学校の違う麻莉絵と駅で待ち合わせることが多くなっていた岬は、『ローゼンティー』には全然行っていなかった。
 「え、今日は......」
 今日は珍しく麻莉絵とは約束していなかったが、気が進まなくて何となく渋ってしまった岬に晶子はぷうとふくれる。
 「この前もそうやって逃げられたんだからぁ。今日こそは付き合ってもらうわよ?」
 そう言ってガシッと岬の腕に自分の腕を絡ませ、岬を引きずり加減でどんどん進み始めた。
 『あたしって......こういうのに弱いんだよなぁ......』
 晶子に引きずられるように歩きながら、岬はため息をついた。


 店の奥の方の二人用のテーブルをはさみ、晶子と岬は向かい合って座り、メニューを開く。
 そうは言っても、二人ともここに来たら大体は頼むものは決まっているので、すぐに店員を呼んでオーダーした。
 「ねぇ、岬ぃ。蒼嗣くんとは本当にどうなってるのよ?」
 店員がテーブルから離れると、晶子はおもむろに聞いてきた。
 『やっぱり......』と岬は思う。晶子の様子から、多分二人になったら聞かれることは間違いないと思っていたのだ。少し目を泳がせると、入り口近くで看板犬の『ローズ』が眠そうに<フセ>の状態で横たわっている。『ローズ』を眺めながら、岬は答えを探した。
 「あぁ......うん、何かもう......ダメかなー、とか。」
 岬は少し投げやりに笑って答えた。
 「聖蘭子のことが原因なの?」
 ざわり、と心の中を何かざらついたものがなで上げるような不快な感覚。もう忘れることができそうに思えたのに、再び岬をその感覚が襲う。
 沈黙を答えと取ったのか、晶子は言葉を続けた。
 「------いいんだよ。別に。あたしは、岬が本当に蒼嗣くんのことが嫌になったっていうなら、何も言わない。でもね」
 そこで晶子は言葉を切る。
 「一部の子達に岬が、『蒼嗣を振ったひどいオンナ』とか、『振られた情けないオンナ』、とか勝手なことを言われて馬鹿にされてるのが、あたし、許せないよ。」
 晶子は本当に悔しそうに眉根を寄せて唇を噛んだ。
 岬は途端に情けない気持ちになる。今まで数週間、そんな嫌なことには耳を塞いできた。気にしないようにしてきたのだ。けれどこういう風に他人に心配されてしまうと余計に自分がみじめに思えてくる。
 「いいよ。本当のことだし。どちらも本当だしね。」
 岬は吐き捨てるように言った。
 そんな岬の様子に晶子は少し驚いた顔をしたが、それはやがてすまなそうな表情に変わる。 
 「ごめん、余計なお世話だね......。でもあたしは......どんなに二人が幸せそうだったか知ってるから......。だから余計に聖蘭子なんかのせいで二人が壊れちゃうなんて悔しくて......」

  「もういいよ、晶子......。どんなカップルだって壊れちゃう時は結構あっけなく壊れちゃうもんだよ。あたしだってまさかちょっと前まではこんなことになるなんて考えもしなかったしね」
 心配されるのが嫌で岬はわざとあっけらかんと返した。
 そんな岬を気遣うような表情をしながら晶子は言葉を続けた。
 「でもね、岬。気に障ったらごめんね。あたしは------岬が蒼嗣くんを嫌いになったなんて思えないんだ。だって岬、蒼嗣くんと一緒にいるとき、すごく辛そう。本当に嫌になってる顔じゃないよ。岬、かわいそうだよ......」
 晶子の目には少しだけ涙がたまっている。
 「やめて......!」
 いたたまれずに岬は瞳を閉じてうつむいた。
 「克也の事はもう考えたくないの。もう決定的な瞬間に出くわしちゃったから。だからお願い、晶子ももう克也と蘭子のことは話題にしないで。もう聞きたくないから。」
 少し、きつい口調だったと思う。けれど、今、心を平静に保つにはこう言うしかなかった。少しでも弱音を吐いたら一気に崩れ落ちそうで。
 そんな岬の様子に、晶子も「ごめん。」と言ってうつむく。


 その後------晶子から、蒼嗣のことは一言も話題に出されることはなかった。
 気まずいながらも、とりとめのない会話をし、店を後にした。
 「それじゃ、また明日学校でね。」
 晶子は手を振る。
 「うん」
 岬も表面だけはにこやかに笑った。心では色んな思いが渦巻いていたのだけれど。
 『ごめん、晶子......』
 ありがたいはずの晶子の思いやりも、今の岬には辛いものでしかなかった。克也との数ヶ月の幸せな時間を思い出すのも身を切られるほど辛かった。克也と蘭子とのことを聞くのが嫌で晶子にもひどい態度をとってしまった。今後、晶子とも気まずくなってしまうような気がした。
 こうして自分は、少しずつ<普通の生活>と離れてゆくのだろうかと、人ごみに紛れる晶子の後姿を見やりながら岬は思った。


   *****     ******


 「この際だから確認しておくけど、竜一族の幹部は、こっちでお陀仏にしちゃったやつらを含めて確認できている限りで7人、っていうのは前に言ったよね?」
 麻莉絵は、目の前のテーブルの上に置いたデータを岬の前に差し出しながら話し始めた。
 ここは御嵩の邸宅の一室。いつも呼ばれる御嵩の部屋から一つ部屋を隔てたこじんまりとした部屋である。とはいえ、テレビやテーブル、パソコンなどがあり、お茶を入れる道具や湯沸し器まである。ちょっとした町役場の会議室といったところか。ここは主に将高と麻莉絵が使わせてもらっているらしい。そのせいか、高校の参考書やら、麻莉絵のお気に入りのクマのプーさんのぬいぐるみなどもあったりする。
 「まぁ、うちの幹部も全部で11人いるからあちらももっといるのかもしれないけどね。この幹部たちは竜一族にとって最も重要な情報を握っているの」
 「最も重要な秘密?」
 「そう。------竜族の長の正体を知っているのはこの幹部たちだけ。」
 「竜族の長......」
 岬はぼんやりとその存在を考えてみるが、何せ全く情報のないものを想像しようとしてもそれは無駄というものだった。
 「でもさ、麻莉絵。------なぜ竜の長の正体は不明なの?ここまで情報をつかめているんだったら、そんなものすぐに分かりそうなものじゃない」
 「4年前までは長と呼ばれる者もちゃんと分かってた。分かってたはずだったの。以前の竜族の長は、久遠 智皇(くおん ともおう)と言って------それって今の久遠グループをまとめてる久遠水皇の兄だったのね、------で、その久遠智皇が病気で死んで、その後はその息子である久遠智也が次の長になったんだけど......。」
 「何かあったの?」
 「そうなのよ。ちょっとしたトラブルがあってね------、まぁその頃のこっちの一族としては万々歳な状況だったのだけれど------こっちの一族が殺しちゃったのよ。その智也を。」
 「え......っ。」
 岬は驚きに目を瞠(みは)った。麻莉絵は続ける。
 「竜族っていうのは徹底して古典的な一族でね。こっちはたとえ直系といえども実力がなきゃ長にはなれないけれど、あちらは一族の直系の男子が長の地位を受け継ぐことになってるの。でもね、智也を殺した時、彼のこちらに対する力の手ごたえがほとんど感じられなかったらしいの。その時はあっちの一族の長は生まれつき能力がなかっただけと思ってた。特殊能力ってのは遺伝せずに一族の血の流れる者の中に突発的に現れるものだから、能力が必ず一族の直系の男子に現れるわけじゃないし。------でも、その後奈津河一族は考えを変えたの。だってね、智也を失った竜一族はさぞ慌てて、意気消沈して、くたばるかと思いきや......まもなく何事もなかったように体制を建て直したのよ。おかしいでしょ?」
 麻莉絵の問いに岬もうなずく。
 「だから私たちは考え直したの。智也はダミーだったんじゃないか、って。」
 「ダミー?」
 聞き返した岬に、麻莉絵は大きくうなずいて言った。
 「そう、本当の長は別にいるんじゃないか、ってね。------けれど、ホンモノの長を探すことには思いのほか難航してる。何重にも何重にもパスワードがかけられてるみたいな強固さで、本当の長の存在は隠されているのよ。ご丁寧なことだわね。そんなにまでして守らなければならないほどあっちの長の能力は弱いのかしら?」
 ため息をつく麻莉絵を見ながら、岬は今初めて知った竜一族の事情の一部をぼんやりと考えた。奈津河一族と竜一族は、自分が以前考えていたよりもっととてつもない大きな因縁のもとに争っていて、それぞれの事情があって......。そんな事情もこうやって少しずつ自分は知っていく......。知ってしまえば自分ももう、闘わざるを得なくなる。
 引き返せないところまで自分は来てしまったのだと岬は改めて思い、自らの両腕を抱いた。

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