罠(5)

 岬と晶子が『ローゼンティー』に行った3日後。
 利由と克也の二人は放課後、珍しく学校の近くのファーストフード店「Wバーガー」にいた。こんなところに堂々と利由が克也を誘えるのも、いつぞやのクリスマスパーティーのおかげだ。といっても、あまり親しすぎるとどこから足が付くか分からないのでそうそう頻繁には無理だが。


 「おい、克也」
 利由は、目の前で頬杖をつきどこか遠くを見ているような制服姿の青年の目の前で手をひらひらさせる。当の本人はなかなか気付かず、三度目ぐらいでやっと驚きの声を上げた。
 「あっ......、ご、ごめん。」
 動揺した様子で反射的に目の前にあるホットコーヒーを一口飲む。利由が見たところ、それは既にぬるくなっているはず。いくら暖房の効いた店内にいてもそんなに長い間そのままにしていては熱湯もぬるま湯に変わるのは当然のことである。途中で教えてやればよかったのだが、さきほどまで自分がしゃべっている最中にどこか遠くに意識が飛ばしてしまい中途半端な相槌を打つだけの目の前の人物の態度に少々頭にきていたので、しばらくそのまま放っておいたのだ。とはいえ、あまりにも長い間そのままだったりするものだから、たまりかねて声をかけたというわけである。


 「大丈夫かよ、オイ・・・・・・。」
 利由は小さくため息をついた。
 最近、奈津河の幹部を差し置いて、中條御嵩の私兵である中條麻莉絵たちの動きが活発になっているということは竜一族としても気になるところではあった。しかし、どこに奈津河の者が聞き耳を立てているかもしれない公の場所ではその辺の話は多くはできない。というわけで、当然話の内容としてはたいしたことのないテレビの話やら学校の話やらになるのだが、利由が懸命に話をしていても、克也は『暖簾に腕押し』状態で全く意味のある反応が返ってこない。
 「オマエ、健全な男子高校生ならお笑い番組ぐらい見ろよ。------早く老け込むぞ?」
 そう言って克也の鼻の前に人差し指を近づける。
 「あぁ、そうだな・・・・・・、うん」
 変わらず克也は間の抜けた返事をした。
 「・・・・・・彼女とは本当に別れたのか?」
 話の矛先を変えた利由の問いに、克也はパッと顔を上げた。あまりにも分かりやすすぎる克也の態度に苦笑いを浮かべつつ、利由は話を続けた。
 「・・・・・・分からない。」
 勢い良く反応したにも関わらず、克也の答えは、思わず椅子からずり落ちそうになるようなものだった。
 「分からないも何もねーだろー?オマエ男でも女でも一部のやつらに反感買ってるの知ってるだろ?岬ちゃんとこじれてから!もう別れるなら別れるではっきりしろよ」
 「・・・・・・岬とのことは・・・・・・個人的な感情だけで割り切れる問題じゃない。」
 しばしの沈黙の後、克也はぽつりと言った。
 「そうじゃなくて......。オマエ自身の気持ちを俺は聞いてるんだよ。」
 利由の呆れたような物言いに、克也は一瞬何かを言いたそうな顔をしたが、すぐにゆっくりと口をつぐんだ。無理に感情を押し殺したかのような、完璧なまでの克也の無表情さに、利由は再び、今度は大きくため息をつく。頑固なこの目の前の青年は、こんな表情をする時はもう何を聞いても自分をさらけ出すことがない。それは今までの過酷な経験が造り上げた鋼鉄の仮面。哀しいまでの自己抑制。利由は少しだけそんな克也を哀れに思う。そして、守らなければと思うのだ。
 本当のことは克也自身にしか分からない。けれど数ヶ月、岬と共にいることによる克也の変化を見ていて、利由には何となく分かるような気がしていた。克也が栃野岬に対して抱いている想いは、そんなに簡単にけりが付くようなものじゃないということが。克也自身が口にした一族のしがらみによるものなんかではなく。

 克也からはっきりとしたことは聞けないまま店を出、克也と駅で分かれてからしばらく歩いたところで、利由はふと違和感を感じた。
 「------?」
 自分にまとわりつく気配に眉根を寄せる。
 視線を感じる。
 それが好意的なものではないことは明らかだった。しかし、攻撃の気配は感じられない。ただ、不快な視線だけが自分にまとわり付く。その視線の主を確かめようとしたが、感覚を研ぎ澄ましても辺り一帯に気配が分散していて特定できない。数人の視線というのではない、一人の視線だとは分かるというのに。力の強い者の気配を感じる。
  『この頃の敵方の不審な動きと何かが関係しているのか?』
 利由はその視線に気付かないふりをして足を進めた。


 ------それはこの日を皮切りに、数日間続いた。


   *****     ******


 「はー。高校生の多くいるところって疲れるねー。もう僕も若くないって事かな。」
 自室で一人、蛍光灯のスイッチを入れながら御嵩は声に出した。暦の上では既に春とはいえ、気候はまだ冬。早い日暮れにすっかりと暗くなった室内は、既に電気をつけていなければ動けないほどだ。
 「う、ふふふ」
 そう言って満足そうに眼鏡のふちを中指でなぞる。
 自分の力の中では二つの瞳の力が最も強い。この瞳を武器に仕事上の地位も、長としての地位も手に入れてきた。
 今回は自分の気配をかく乱するために特注の眼鏡を使った。自分が力を発揮するのに眼鏡は必ずしも必要なものではない。だが、この眼鏡という文明の利器は自分の力を最大限に引き伸ばしてくれる。 
 自分が長になってから、竜との闘いにおいて御嵩自らが直接手を下したことはそう多くはない。けれど長になって行動の制約が多くなる前には、相当動いてきた。その働きも、現在の地位の糧になっている。
 『自分の眼力は奈津河の中で最も強い』
 『自分は負けない』
 実際、これまでそれが事実に反したことはない。自らに言い聞かせてきた。力がなければ生き残れない、そんな世界で自分を確立していくためには自分を信じ、磨いていくしかない。強い者だけが全てを手にする。方法は何でもいい。最も信じるものは自分。自分の信じる方向に突き進むだけ。


 決行の日を明日に控え、御嵩の気分は最高潮に高まっていた。
 まずは適度に相手に緊張感を与えておこうと、ここ数日、自分自身で利由の周りをうろついていた。わざと存在の片鱗を相手に感じさせ、気付かせるように。どちらかというと群れた結果に共倒れになることを嫌う利由の性格からして、自分に少しでも矛先が向いていると知ったならば、例え一族の者であっても逆に人を遠ざけようとするだろう。その状況こそまさに願ったり叶ったり、なのである。数人の部下は別としても。


 利由の部下。
 利由自身。
 そして------。


 今回のターゲットはとてつもなく大物だ。いろんな意味で。
 その大物をどう料理するか。御嵩は悦びに浸っていた。子供が欲しがっていたおもちゃをやっと手に入れたときのように。
 とてつもない快感。
 すでに事態は動いている。------自分の手のひらの上で。
 刻々と時間は刻まれている。全て自分に都合のいいほうへと。


 コンコン


 部屋をノックする音がした。そろそろ三人が明日の手はずの最終確認のためにたずねてくる頃だ。
 御嵩はにんまりといたずらっ子のように笑った。

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