激戦の末の真実(4)

 ぱりぃん......!!
 何かが破壊される音がした。
 それは現実にあるもの------例えばガラス------などではなく、岬の心の中で何かが壊れた音であった。
 それは心の中、のものであるはずなのに、その場にいた全員の耳に届いたのだった。

 いつもの岬の力の発現の仕方とは明らかに違うことは確かだった。
 岬の身体は静電気を帯びたように、その輪郭にパチパチと小さな火花を散らしている。そして自分以外のものは全て排除したいとでもいうように、全てを吹き飛ばしてしまいそうな強風を放っていた。その渦は結界中に広がり、御嵩の施した結界でなければとうに破壊されているはずだ。


 「な......にっ......!?」
 御嵩は驚愕に思わず声を荒げた。
吹き荒れる嵐の中で、他の誰もがそうであるように地面に這いつくばりながら、御嵩は必死に岬の方へ目をやろうとして煽られる髪を左手で押さえた。この結界の中ではゴミが飛んでくることはないが、あまりにもの風の勢いに目を開けているのでさえ困難だ。
 先ほどの音が何であったかは御嵩には自分の感覚としてすぐに汲み取ることが出来た。
 それは、自分が岬の心の隙間に埋め込んだ、自分への服従心が壊された音であった。
 服従心を追い出したのではない、そこに何か新しいものが埋まったわけでもない。
 ただ、その部分だけがまるでガラスが砕け散るように壊れたのだ。
 他ならぬ岬自身の力によって。
 それは、御嵩自身にも予想もつかなかったことであった。
服従心という留め金を失い、埋め込まれるものもないまま心にいきなり大穴が開いてしまった岬の放つ力がどうなるのかは全く分からない。このまま結界を壊し、この地球------いや、世界さえも壊してしまうのではないだろうか。
 「やめなさい!姫......!やめるんだ......、やめ......っ」
 ムダと分かっていても、もがき、岬の方へと手を伸ばして進もうとするが、岬を中心に吹き荒れる強風によってすぐに押し戻されてしまう。
 「くっ......!」
 悔しさに拳を握り締める。
 自分はこんなに無力だったか。今までの努力も策も何もかもムダだったというのか?
 いや、そんなはずはない......!
 心の中で自問自答してみたところで、何も状況は変わらないのだ。


 その時、ふと取り巻く環境に変化が起きたのを感じ、御嵩ははっとして顔を上げた。

 岬は突然、自分の皮膚の感覚が戻ったような温かさを感じて目をしばたたかせた。
 何がおきたのかはすぐには理解できなかった。


 まだ五感が凍り付いているのか、目の前には何も見えない。
 けれど、自分の右頬には何か柔らかな糸の塊ようなものが触れていた。
 自分の肩に痛いぐらいに加わる力。
 岬の上半身はぴたりと何か大きなものに押し当てられていた。
 それは自分を拘束するものだと感覚で知りながら、なぜか岬は嫌じゃなかった。
 ぼんやりと視線を宙にだだよわせながら、岬は無意識に口を開く。
 「か、つ、や......?」
 頭がボーっとしすぎて、今まで何があったのか思い出すことがこの時の岬にはできなかった。そんなものはどうでもよかった。ただ、感覚的に温かなぬくもりに身を任せていたかったのだ。


 ------岬は克也に抱き寄せられていた。


 どのくらいそうしていたのだろうか?
 誰も、何も言えなかった。動く事すらなかった。


 しばらくたっても岬の意識はまだはっきりしておらず、まだどこか遠くをさまよっている感覚があった。身じろぎもせず自分に抱きしめられる格好のままでいる岬に、もう嵐がおさまったと判断したのか、克也はそっと両腕の力を緩める。
 去ろうとする克也の気配を察して岬は思わず反射的に克也の腕を掴むと、視線が一瞬ぶつかった。
 克也は少しだけ眉を寄せる。そして、自分の両手を岬の両ひじのあたりにそっと乗せると、身をかがめて岬に口付けた。今の岬には、それを払いのける気にはなれなかった。もっとも、岬はまだ身体の感覚が戻っておらず、払いのけるような力もなかったが。
 少しだけ、岬の腕に添えられた克也の両手に力がこもる。


 そして------何かを振り切るように、克也は唇を離した。


 岬の両腕を掴んだまま、しばし克也はうつむいていた。岬の目の前に、やや色素の薄い克也のさらりとした髪がある。
 ------少しずつ、岬を掴む克也の手の力が抜けていく。
 岬の腕からふっと克也の腕の重みがなくなったその時、
 「さよなら、岬。」
 そう言って克也が微笑んだ。どこか哀しげに、そして優しく。


 やがて遠くなってゆく後姿を、岬は声もなく、ただ、見ているしかなかった。
 ------自分の心の中の時が、再び止まったような気がしていた。

  *****     ******


 次の日の昼、将高は御高を前にして、かなり苛立っていた。
 いつもの御嵩の応接室。窓際に、太陽に背を向けて座る御嵩を前に、椅子に座ることもなく将高は怒りに肩を震わせて立っていた。
 岬の力が暴走しかけた時、麻莉絵と岬にかけられていたシールドは既に御嵩によって解かれていたが、危うく麻莉絵は岬の暴発した力の最初の犠牲になるところだった。もしも同じシールドの中にい続けていたら、傷を負って満身創痍な状態の麻莉絵など、すぐさまこの世から消えていただろう。
 「貴方はなぜ、麻莉絵さんを利用しようとしたんです?」
 「利用?------どうして将高はそう思うの?」
 きょとんとした瞳で御嵩は問い返す。この人の本質を分かっている人でなければ、その子供のような純粋な瞳に惑わされ、騙されてしまうだろう。
 「ごまかさないでください!」
 将高は声を荒げる。あまりに力が入りすぎ、はぁはぁと肩で息をしてしまう。身体が熱い。
 「麻莉絵さんは貴方に絶大な信頼を置いていた。そして貴方のために、かなわないと分かっている相手に向かっていったんだ!いくら自由に動ける身ではないとはいっても、貴方には利由から麻莉絵さんを救う力ぐらいは出せたはずだ!------あんなに彼女がぼろぼろになる前に!!」
 一気にまくしたてる。御嵩はその間、背もたれの長い椅子に深々と腰掛け、胸の前で手を軽く組み合わせたまま、静かに聞いていた。
 将高は続ける。
 「------僕に差し向けられた敵方が、思ったより強かったことは僕にとっては誤算でした。まさかあんなに手間取るとは思わなかった。状況を甘く見ていた僕の失態です。しかしその時僕は------貴方にも分からないことがあるのだと思ったんですよ。何でもお見通しのような貴方にも人間くさい所が残っていたのだと。------けれど、長の正体を知って、その考えは見事に覆されましたね。意外にすんなり合点がいきましたよ。貴方の誤算に見えたことも、実は全て貴方の計算どおりだったってことが!今回の闘いが竜一族との闘いの一部だと信じて疑わなかった僕たちは、まんまと貴方のエゴにつき合わされただけだったのだと!」


 将高は呼吸を整えるために、そこで一旦言葉を切った。
 「僕はもう------貴方の下では動きたくない------。」
 将高は吐き出すようにそううめいた。
 「敵に回るとでも?」
 ぴくりと御嵩の眉の端が上がる。
 そんな御嵩の様子を見て将高はふふんと鼻を鳴らした。
 「僕はもはや貴方の敵でも、味方でもありませんよ。------忘れたんですか?僕はいつでも麻莉絵さんのために動きます。彼女が選ぶ道を、僕は見守るだけです......。彼女が貴方についている限り私は結果的に貴方の味方でしょうね。ただし------あなた自身についているわけではない------。」
 御嵩の瞳を、臆面もなく真っ直ぐに、そして冷ややかに見つめ返した。そして御嵩のそばからすいっと一歩後ろに下がると、くるりと御嵩に背を向けてつかつかと出口へと歩いていった。そして将高はその部屋の扉を閉める。


 ------将高は一度も御嵩を振り返らなかった。


   *****     ******


 夜の繁華街。
 少々派手めな紅いコートを着た一人の女が携帯電話のボタンを手馴れた手つきで押す。膝上のミニスカート、足には黒いロングブーツ。まだ大人とももう子供とも言えない微妙な顔立ち。
 「あ、蘭子です。はい。元気です。」
 携帯電話を片手で右耳に押し当てながら、人ごみを器用にす通り抜けていく。
 「一番目の任務は無事完了しました。------例の二人、とうとう......」
 その先の言葉を、蘭子は飲み込んだ。はっきりと言えなかったのは、電話の相手にとってこのことが良い知らせでもあり悪い知らせでもあると知っているからだ。


 数秒の沈黙。
 その間、蘭子は電話の向こうの相手の話を時折相槌を打ちながら聞いていた。


 その後、また蘭子は話しだす。
 「はい。私は、任務を遂行し続けるまでです。いえ、本当に大丈夫です。......何事も、全てあなたのために------。」
 蘭子は立ち止まり、ふっ、と瞳を閉じる。電話の向こうの相手をまぶたに思い描いているように。
 「では失礼します。」
 そう言って電話を切る。
 そしてその手ですぐに今の通話の履歴を消す。
 悟られるわけにはいかない。誰にも。
 あの人の為に。


 蘭子はネオンの瞬くビルの間をするりと抜けて、再び人ごみに消えていった。

<第2章 終>

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