拉致(1)
"もう一人の長"
密かに、竜一族の一部の者たちの間でそう呼ばれる男がいた。
"本当の長"と共に生まれたこと------そのことが彼の運命を決定付けた。
彼の不幸ははじめから決まっていたのだ。
「智也・・・・・・」
そうつぶやくと克也は唇をかみ締めたまま一人、部屋で拳をガラスに押し当てた。
自分がこんな風に呼ぶことは禁忌のような、---その、名前。
自分が勝手に動けば、迷惑をかけることを知っている。今、自分が表舞台に立つことは許されていない。そうすれば自分を必死で守ってくれる者たちを裏切り、その上、危険にさらすことになる。それは十分体験として思い知っている。
こんな時に、自分は動けない。
何も出来ない。
いつもそうだ。
『あの時と同じ-----』
窓ガラスの向こうの暗闇に、浮かび上がる-----姿。
克也は思わずかたく瞳を閉じた。
「-----っ。分かっている・・・・・・!必ず、お前の敵はとる・・・・・・だから---頼むから・・・・・・消えてくれ・・・・・・!」
複雑な思いをかき消すように、克也は悲痛な面持ちで窓ガラスに額を押し付けた。
****** ******
その頃、岩永基樹は港の近くのコテージ風の屋敷で、とんでもない人物を前にしていた。
今、ここで会うとは思っていなかった人物。
「岩永さん。お久しぶりですね。」
余裕の表情で少年のような笑みを浮かべるのは、中條御嵩----敵の頂点に立つ男だった。
「不覚だ・・・・・・私ともあろうものが油断したものだ。まんまと敵の本陣に連れてこられるとは・・・・・・」
基樹はおおげさにため息をついた。
「私もまさか、こんなに簡単に会っていただけるとは思えなかった。最初から分かっていればもっと正面からお誘いしたものを・・・・・・。」
そこで御嵩は一旦言葉を切った。そして、続ける。
「------わざと捕まりましたね。我々の情報を手に入れるために。」
笑顔を崩すことなく御嵩は言い放つ。
そしてちらりと基樹の左腕の傷を見る。
------連れてこられるときにたまたまついてしまった傷だ。
今回基樹を拉致してきたのは御嵩のスタンドプレーであった。
岩永は竜側の重要人物。その岩永に傷をつけて拉致してしまったことは御嵩としては意図せぬところであった。
「------奈津河の長ともあろう方が、そんなに容易く手の内を見せるとは思えませんが。----念のため。」
基樹も挑戦的に言い返す。
御嵩はハハハ、と少年のように無邪気に笑った。
「確かに。」
御嵩はまだくっくっと笑いを残している。何を考えているのか分からない。
「で?私は何のためにここに連れてこられたのですかな?殺して見せしめにでも?」
苛立つ気持ちを抑えきれずに基樹は答えを急かした。
「まぁまぁ。そんなに急がずにお願いしますよ。時間はまだあるんだし」
御嵩は動じる気配はない。
「何かを私から聞きだしたいんだろう?」
基樹はあえてそう口にした。暗に聞きだすことは無理だと示すように。
「いや・・・・・・確かに聞き出せればそれに超したことがないけれど・・・・・・。-----聞いてほしいなら聞きますよ。----じゃぁ・・・・・・単刀直入に。----貴方たちの現在の----いや、そうじゃないな。本当の---長は誰なんです?」
挑戦的に口にすると御嵩はまっすぐに岩永を見据えた。
数秒の沈黙。
基樹は、にやりと口の端を上げる。
「言うはずがないだろう?そんなこと。」
「やっぱりね。」
それを聞いて御嵩もにやりと笑う。そして続ける。
「-----まぁ、それは言うはずがないことですね。とはいっても、そのうち調べ上げさせていただきますけど。ただ----それはおいおいやっていくこととして・・・・・・。今の私の興味は別にあるんですよ。」
「別に?」
怪訝そうな基樹を尻目に、御嵩は白いテーブルの上に置かれた小箱から一枚の写真を取り出した。
それをすっと基樹の目の前に差し出す。
「岩永さん、貴方は----この者を知っていますか?」
その写真に、基樹は衝撃を受けずにはいられなかった。
そこに写っていたのは、まぎれもなく-----自分たちの長、蒼嗣克也だったのだから。