花の馨り(6)
落ち着いた色合いの木目調のテーブルの中心に、水を張った背の低い小さなガラスの器がひとつ。
その中にはかわいらしいピンクの花びらが三片浮かんでいる。
この部屋全体に広がる花の香り。
部屋の主の趣味なのか、この部屋の植物が占める割合がとても大きい。部屋が広いにもかかわらず、である。
とはいっても、うるさくはない程度で、部屋の主のセンスがうかがえる。
やわらかな花の香りの中で、岬は少しずつ落ち着きを取り戻し、今では起きて部屋の片隅に置かれたテーブルとセットの椅子に腰掛けていられるほどになった。
熱が三十七度以上あったはずなのだが、今はうそのように体の重苦しさが消えていた。
反対側の隅に目をやると、先ほどまで横になっていたベッドがある。
「ホットココア、勝手に淹れてきちゃったけど、よかったかしら?」
そういって、この部屋の主...と思われる人物------悠華が部屋のドアを開けて戻ってきた。
そして、小さなトレーの上にあったマグカップをゆっくりと岬の目の前に差し出した。生成りの色の上部にピンクの線が入ったカップ。
「あっ、ハイ......」
岬がうなずくと、悠華の繊細な指がそのカップをコトリ、と優雅な手つきでテーブルの上に乗せる。
『どちらかというと、この人の指にはもっと上品な...例えば花柄のティーカップなんかの方が似合いそうなのになあ』と、岬はぼんやりと思った。
数時間前に初めて会ったばかりだというのに、不思議と悠華に対しての警戒心はなかった。
そして、昨夜の御嵩との忌まわしい出来事も、どこか遠くのことのように感じられる。
この部屋の不思議な雰囲気------どこか俗世と離れた時間が流れているようなこの雰囲気------によるものでもあるかもしれない。
そして、悠華自身についてもこの部屋と同様に不思議な雰囲気をまとっていることには違いなかった。
さきほど、悠華の手が肩にそっと触れただけで、それまで重苦しかった自分の体と心がふっと開放されたように感じた。
『それはこの人の、特殊な能力なんだろうか......。』
そんな考えに行き着いてはっと顔を上げると、彼女の柔らかで華やかな微笑みが真正面にあった。
ちょっと気後れしてつい頬が赤らんでしまった岬だが、それ以上何もいえないでいると、悠華はふふ、と笑って口元に手をやった。
「岬さんってかわいいのね。」
「へ?」
いきなりなんの脈絡もなく『かわいい』と言われて岬は間の抜けた反応をしてしまった。
頭の中をハテナが行ったりきたりしている。
それでなくても、この状況をなるべく自分の理解のできる範囲で把握しようと必死な状態なのだ。
「...この状況で名前しか言ってないんじゃ意地悪だわよね...。...でも色々複雑すぎて、何から話せばいいものやら...迷うわね。」
そう言って悠華はしばらく何かを考えているように、テーブルの上で組んだ自分の両手を見つめた。
岬はココアをひとくち口に含んだ。
しばらくして、悠華は口を開いた。
「ねえ、岬さん。あなたは奈津河の人間?それとも竜方の人間?」
突然、しかも真意のつかめない質問をふられて岬は言葉に詰まった。
悠華の口から一族の名前が出たことで、やはり彼女も一族がらみの人物だったんだと頭の片隅で納得はしたが、今の質問が何を聞こうとしているのか分からずに戸惑った。
「え......あ......」
すぐに答えられない岬を悠華は何も言わずにまっすぐ見つめてくる。
「あたしは......、奈津河の...血を...ひいてる、らしい...んで、......奈津河の人間...ってことですよね...?」
なぜか悠華に確認を求めるような言い方になってしまった。
「そう。......そう、ね。あなたの言い方を借りるなら......私も奈津河の人間、ということになるわね。」
含みのある言い方だった。
少なくとも敵方ではないと分かっただけでも岬はホッとしたが、どうも何か引っ掛かりをおぼえて仕方がなかった。
戸惑う岬に再び悠華はたずねる。
「------では、岬さん。あなたの心は?」
そう口にした悠華の表情が心なしか厳しさを含んでいるような気がして、岬は思わずごくりと息を呑んだ。