花の馨り(7)
悠華の問いに、岬は答えを紡ぎ出すことができなかった。
「あたしの・・・・・・心・・・・・・?」
呆然と、口にしてみる。
言葉にしてみたものの、自分の心にすとんと降りてこず、上滑りする。
こんな風に聞かれたことがなかったから。
------奈津河か、竜か。
血筋から見れば、その答えは明白だろう。
自分が奈津河の血を引いていることは、いつか見た白い夢の中で言われたし、そして御嵩たちの言動もその事実を後押ししていた。
自分で確かめたことがなくても、いろんな事実を総合して考えてみれば、それが真実だと信じるのに時間はかからなかった。
『自分は奈津河の人間』
けれど。
心は?と聞かれたら、なぜかその基盤がぐらりと揺れる気がした。
『もちろん奈津河の人間です』
と答えたかった。それが簡単だから。
今までの岬------、御嵩のもとで何も考えずに動いていた頃ならそう答えたかもしれなかった。
でも今は、岬の心の端にある『何か』がすんなりとそう口にすることをためらわせた。
悠華の、すべてを包み込むような、すべてを見透かすようなオーラが周りを取り囲んでいるせいかもしれなかった。
そのまま固まってしまった岬に、悠華はふわりと微笑んだ。
質問したときのある種の厳しさはもう影を潜めていた。
「ごめんなさい。まだあなたには難しすぎたわね・・・・・・」
悠華の言葉には責めるような響きは全くないのに、岬はなんだかとても申し訳ない気持ちになった。
「あたしこそ・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
しゅんと小さくなり、座ったままぺこりと頭を下げる岬の肩に、悠華は優しく手を置いた。
「そんなに落ち込まないで。そういうことは普通ゆっくり考えていけばいいと私個人は思うの。・・・・・・でもね------」
少しだけ、悠華は間をおいた。
「周りが、それを許さないかもしれない。あなたに猶予をあげたいけれど・・・・・・そんなに悠長なことは言っていられないかもしれない。あなたの周りには、あなたの意思を超越したところで様々な思いが渦巻いているから・・・・・・」
「・・・・・・」
岬も、それはなんとなく分かるような気がした。
そっとしておいてほしい。
そう願っても、周りは自分を放っておいてはくれない。
------自分に力があるから。
岬は、自分の手のひらを開いてまじまじと見つめた。
------自分の力。
今まで、何度か使った力。
それはいったい一族の争いの中でどういう意味を持つものなんだろう?
初めて、岬はその力について正面から疑問を持った気がする。
御嵩は、この力を借して欲しいと言った。
この力って、なに?
今までなんとなく使っていたけれど、まだそれがすべてではない気がする。
そう考えると、急に恐ろしくなった。
「どうしたの?」
急に真剣な顔になって拳を握りしめた岬に、悠華が問いかけた。
この思いをどう表現したらいいのか分からず、岬はかぶりを振った。
「分からないんです------分からない・・・・・・。あたし、自分が自分で分からなくて・・・・・・」
堰を切ったように、岬の体の中から思いがあふれる。
それを悠華は黙って聞いていた。
「怖いんです。------怖い------。あたし、自分の力が怖い------。みんなは・・・みんなは何であたしの力を欲しがるの------?・・・あたしの力って・・・いったい何なんですか------?」
悠華がその答えを知っているのかは分からない。
けれど、口にしなければ、余計に恐ろしさが増す気がした。
「私も・・・・・・同じように思ったことがあるわ。」
悠華がおもむろに口を開いた。
直接の答えではない。
「もちろん、あなたとはちょっと状況は違うけれど------。自分の力はなぜあるのか、自分は何者なのか、分からなくなったことがあるの-------」
意外な悠華の言葉に、岬は顔を上げた。
「でもね。その果てに私はすべきことを見つけたわ。だから今の私があるの」
そう言う悠華の瞳には、強い意志が輝いているようだった。
いつか見た、麻莉絵の瞳の輝きのように。
「どうやって答えを------見つけたんですか?どうして・・・・・・どうしてそんなに、強いんですか?どうしたら、そんなふうに------」
懇願するように岬は聞いた。
どうしたら答えを出すことができるのか、どうしたらそんなふうに強くいられるのか、教えて欲しかった。
「強い・・・・・・?私が?」
悠華は小首をかしげた。長い髪が揺れ、なんともいえない馨りがふわりと岬の鼻先をかすめる。
岬はうなずいた。
「強いかどうかは分からないわね。そんなこと考えたこともなかったから。------でも、自分の心をとことん見つめてみたら見えてきたものがあったの。それが今の私を支えてくれているわ。------私を支えている思いは一つよ。」
悠華はまたふわりと微笑んだ。強さと慈悲を兼ねたような独特の雰囲気を持つ微笑み。
その答えをせかすように岬はじっと悠華を見つめた。
悠華は依然として微笑みを浮かべている。そこからは複雑な思いは見てとることはできない。
「大切な人を守りたいのよ」
きっぱりと悠華は言い切った。
「大切な、人?」
単純な答えに、少々岬は面食らった。
「そうよ、大切な人。自分を犠牲にしても守りたい人よ。」
柔らかな悠華の物腰に不似合いな『犠牲』という物騒な言葉に岬は違和感を感じた。
それほどの強い思いということなのだろうか?
「あなたには、いる?」
急に矛先が自分に向き、心臓がその動きを止めるかというほどの衝撃が岬の体中に走った。