花の馨り(10)
かちゃり、とドアの開く音がして、悠華が部屋に戻ってきた。
花の馨りが動く。
「今、リゾットができるから待っててちょうだいね。」
「あ、ハイ・・・・・・」
そう答えた岬の目に、ふと窓の外が暗くなりかけているのが映った。
今まで全然窓の外など見る余裕がなかったが--------
そこで、岬はハッとする。
「あ、そういえばあたし、家に--------」
頭がだんだんはっきりして、家に連絡も入れずに一晩ここで(!?)過ごしてしまったのだと今更ながら気づく。父親は昨日は夜勤で帰らないから大丈夫にしても、姉は家に帰って岬が一晩いなかったことに気づくはずだ。
『ヤバイ!』
岬は冷や汗がダラダラとたれるような感覚に襲われた。
姉は相当心配しているだろう。
そのまま会社に行ったとしても、夜8時にはまた家に帰ってくるはず。
その時にまだ連絡なしに自分が帰っていないとすると--------。
--------かなり怒られるはずだ・・・・・・。
--------姉が怒ると怖いのだ。
「ごっ・・・ごめんなさい!!あたし!かっ、かえりますっ--------!!」
慌てて椅子から立ち上がると、そのままぐらり、と視界が回った。そのまま横に傾いだ身体は絨毯に崩れた。
「いた・・・・・・」
倒れたときに右手を床に打ったらしく、少々ジンジンする。
絨毯がふかふかじゃなかったら、もっと痛い思いをしていただろう。
悠華が慌てて走り寄り、岬の身体を起こす。
「まだあなたの体は本調子じゃないの・・・・・・!それに相当お腹も空いてるんでしょ?力が出なくて当然よ・・・・・・!!」
悠華が珍しく声を荒げた。
「とにかく少しでも食べ物をお腹に入れて。話はそれからよ。」
「ハイ・・・・・・」
岬はしゅんとした。
しばらくすると、リゾットが部屋に運ばれてきた。
座らされたテーブルに、白い湯気たちのぼるリゾットが悠華の手でコトリと置かれた。
「どうぞ、召し上がれ」
悠華は促した。
目の前のリゾットは、ご飯の粒がつやつやとしていて、いかにもおいしそうだ。
それに・・・・・・
「いいにおい・・・・・・」
その香りにいざなわれるまま、木製のスプーンでそれをすくって口に運んだ。
途端、口の中になんともいえない幸福感が広がる。
『ま、いっかあ。これ食べ終えたら連絡すればいいよね。』
あまりにおいしく、全てのことを後回しにしたまま、夢中で一皿平らげてしまった。
食べ終えると体温が一気に戻ったようで、岬はほうっと息をついた。
その瞬間、一気に焦りがよみがえる。
『おねえちゃんに早く連絡しなきゃ!』
岬はハッと顔を上げ、悠華に向き直った。
「あっ、あのっ......!......電話・・・あたしの携帯知りませんか?」
そう言いながら、携帯はもちろんのこと、自分の持ち物がなにもないことに今更気づいた。
悠華は、少し間を置いた後、ゆっくりと鮮やかに微笑んだ。
「お父様とお姉様には私がうまく言っておいたわ。だから心配しないで」
「え......?」
自分は携帯のことしか言っていないのに、なぜ悠華に自分の思っていることがこうも正確に伝わってしまったのか、不思議に感じ、きょとんとしてしまう。
悠華の表情は笑みを残したまま変わらない。その表情からは全く感情が読み取れない。
......あれ......?
岬はふと、この感じ、どこかで感じたことがあると思った。
表情から感情が読み取れないこの感じ。
......誰かに似ている......
しばし考えて、ああ、と思った。
この感じは......
答えを見つけた岬は、その瞬間、とてつもない眠気に襲われた。
『あれ・・・・・・?』
何かを考えようとしても、思考がまとまらない。
どんどん周りの景色が遠のいていく。
その場に崩れそうになる岬を、すばやい動作で近づいた悠華の両腕が抱きとめる。
完全に意識のない状態の岬を、悠華は冷ややかな瞳で見つめる。
それは、今まで岬には見せていたような種類のものではなかった。
「もう少し眠っていてちょうだいね・・・・・・」
冷たい表情を残したまま、再び悠華は微笑んだ。
意識のない岬を自分のベッドに再び横たえると、悠華はくるりときびすを返し、テーブルの端に置かれた携帯を手に取ると部屋のドアを開ける。
木製のドアを後手に閉め、目の前にある女神の像を見つめながら、右手に握っていた携帯を左手に持ち替え、かけ慣れた番号をプッシュした。
ほどなく、相手が出る。
「もしもし?------ええ、私よ。------至急、あなたに届けたいものがあるの。 とても大事なものよ。」