開放(1)
久遠邸------
様子が尋常ではないのを心配して、利由は克也を一人暮らしのアパートではなく、この水皇の邸宅に引きずってきた。
克也は、少々ふらつくものの、一応歩くことは歩くし、基本的なことはするし、何か話しかければ答えもする。
ただし、相変わらず表情は硬いままだ。
勤め先から戻ったばかりの水皇は真っ先に克也の通された部屋に向かった。
この家の中でも特にセキュリティの強い奥の部屋。
部屋の少し手前にあるカードリーダーに、すらりとカードを通す。
途端に『ピー』という電子音が軽く響き、目の前の扉が開かれる。
和風な屋敷におよそ似つかわしくないセキュリティロックシステム。
その扉を開けると、その先にもうひとつ扉があった。
扉を勢いよく開け、その先のふすまに手をかけ、前触れもなく、水皇は開け放った。
和式なつくりの部屋でノックなどするわけもないが、例えそうでなくてもおそらく今の水皇は同じことをするだろう。
そのくらい、心の中は余裕がなかった。
「水皇さん・・・・・・」
先に声をあげたのは克也の傍らにあぐらをかく利由だった。
利由はどこかすがるような目で水皇を見ていた。
その横に、壁にもたれかかって足を無造作に投げ出した格好で克也はいた。
「長」
水皇がつとめて落ち着いた声でそうを呼ぶと、克也は顔だけ水皇の方を向く。無機質なその表情に、さすがの水皇も一瞬声を失う。
が、数秒の後に水皇も気を取り直した。
「驚いたな・・・・・・。全く予想しなかったわけではないが・・・・・・、あのお嬢ちゃんのことで、お前がこうなっちまうなんてな・・・・・・。」
克也は無言で視線を畳の上へと逸らした。
代わりに答えたのは利由だった。
「それだけ・・・・・・彼女の存在が大きかった・・・ということだと思います・・・・・・。・・・・・・気づいていながらまさかと思って楽観視していた俺の責任です・・・・・・」
悔しそうに言う利由に、水皇は首を振った。
「いや・・・・・・、お前のせいではない。・・・基樹も何度も俺に謝っていたが、基樹のせいでもない。この状態を作ったのは別の人物だろう?そいつが一番の問題だ。」
「というと?」
利由が確認するように聞き返す。
「------聖 蘭子だ。」
「------そうですね・・・・・・」
利由もそれは大いに認めるところだった。
水皇は険しい表情で続ける。
「思えば彼女は最初から不審な点はいくつかあった。だが、好きに泳がせて何者かを見極めるという名目でそれに目をつぶってきてしまった俺の責任でもある。」
「水皇さん・・・・・・それはあなたのせいじゃ・・・・・・」
利由が否定の言葉を継ごうとする。
それを水皇はきっぱりとさえぎった。
「いや、一族についての全責任は現在、私にある。」
そして水皇は克也の前に歩み出た。
座ったままの克也を見下ろす。
「長・・・・・・、お前は竜族の長だ。どんなにお前が抗おうとしてもその事実は変わらない。お前が完全に全権を手放すと言わない限り。そしてそれを長老たちが認めない限り。------俺は現在一族を任されているものとして、今のお前を見過ごすわけにはいかない」
鞭打つような言葉に、克也はさらに自分の手のあたりへと視線を移す。
「だがな------」
水皇はその場にしゃがみこむ。
克也が顔をあげさえすれば目が合うという位置だ。
ふっ、と水皇の表情がやわらぐ。
「ただの叔父さんとしてはな、少しホッとした部分もあるんだよ。 澄香嬢を失い、智也も失って------、自分を殺して一族の長として精一杯生きてきたお前をずっと見てきたからな。 ------お前にも、再びそんな状態になるまで、愛し、心許せる相手ができたっていうことに。」
その言葉に、克也はのろのろと顔を上げた。
少し伸びすぎた前髪がさらりと横に流れ、その間からのぞく瞳は明らかに動揺しているものの、水皇の瞳をまっすぐに見つめた。
水皇はポンと克也の肩に手を置いた。
「お前は俺のかわいい甥っ子だ。竜族の長という以前に、お前には・・・・・・幸せになってもらいたいんだよ」
克也の瞳が揺れる。涙こそ出てはいなかったが、表情としては泣いているに等しかった。
「水皇さん・・・・・・ごめん・・・・・・!」
搾り出すように克也はうめいた。
「俺は・・・・・・長として、もっとしっかりしていたかったのに・・・・・・。自分を律して・・・・・・何度も長の役目だけを果たそうと考えた。・・・・・・なのに・・・・・・、そんな意思とは無関係に・・・・・・どうしても、止められない・・・・・・!」
ぎゅっと瞳を閉じる。
「俺は・・・・・・、彼女、を・・・・・・、・・・・・・岬、を・・・・・・想う気持ちを止められない・・・・・・。竜族の長の責任なんて全て・・・・・・全て放りだしたいぐらいに・・・・・・!」
ずっと吐き出せずにいた言葉。
口にしてはいけないことだと、自分の内に閉じ込めれば誰にも迷惑がかからないと思っていた。 けれど結局、こんなふうに誰かに頼らなければ、自分を保てない。
------自分は弱い。
克也はとことん自己嫌悪に陥っていた。
その様子を、水皇は静かに、穏やかな目で克也を見つめ続けていた。
その瞳に後押しされるように、克也は言葉をつむいだ。
「こんなんじゃ駄目だって、分かってる。俺は長として・・・・・・失格だ。でも・・・・・・俺は、岬、を・・・・・・誰にも奪われたくない・・・・・・!」
「じゃあ、誰にも取られないように、お嬢ちゃんをかっさらってくるんだな。」
水皇はにやりと笑った。
「水皇さん!何をこんなときにのんきに冗談なんて・・・・・・」
利由は言いかけたが、水皇の瞳を見てハッとする。
顔は笑ってはいるが、水皇の目は真剣だ。
「長の責任とか、一族のためとか、そんなものはどうでもいいんだよ。『克也』」
水皇はあえて『長』とは呼ばなかった。
「お前の気持ちのままに、お姫様をかっさらってこい。長としてじゃない。一人の男として、お前の正直な気持ちをお嬢ちゃんにぶつけてこい」
「水皇・・・・・・さん・・・・・・」
瞳を見開いて驚きの表情を隠せない克也を見て、水皇は思わずふきだした。
「そんなこと、一族の中で俺しか言わねえな。 ------でも、これは俺だから言えることでもあるんだよ。------若いころの俺は、いろんなしがらみにがっちり縛られて、大事な人に、大切なこと、言いそびれちまったから・・・・・・。 ------今となってはもう言えない。どんなに願ってもな。 こんな一族に生まれちまった以上、いつ何時何事か起きるか分からない。 お前には、俺のようにどうしようもなくなってから後悔はしてほしくないんだ。 」
そこでいったん言葉を切る。
「お前は------その人の------忘れ形見だから。」
かみしめるように水皇は言った。
克也の瞳がさらに大きく見開かれる。
「水皇さん、それって------」
肯定するように、水皇は笑った。
どこか寂しげな瞳をたたえて。