開放(2)

 水皇は、少しだけ遠くを見つめるような瞳つきをした。
 ここにはいない、誰かを求めるように。

 兄のことをずっと見つめ続けていた女(ひと)。
 そんな彼女を、水皇はずっと傍らで見守ってきた。
 口にしてはいけないと思っていた、彼女は、兄だけを見ていたから、自分の想いを伝えれば、彼女が困ると思っていたから。 困らせたくはなかった。
 その瞳を曇らせたくはない------、そう思うほどに、彼女は明るく可憐で、いい意味でも悪い意味でも純粋だったから。

 そんな彼女が、一度だけ、自分の胸で泣いたことがあった。
 その時、自分が何か行動を起こしていたなら状況は変わっただろうか?
 そうすれば、彼女は、死なずに済んだのだろうか?
 そんなふうに、 ずっと、自責の念にかられて生きてきた。

 けれど、自分には希望があった。
 彼女の忘れ形見である子どもたちがいたから。
 けれど、その子供たちの処遇でさえ、自分の出る幕ではないと兄と長老たちの決めたままに従ってきた。

 その後、その兄も亡くなり・・・・・・。、

 その結果、子供たちの一人が一族の争いの中で命を落としてしまった。
 その時も、自分は後悔した。 もっと自分が前面に出て守ってあげることができていたなら、もしかするとその命も失うことがなかったのではないかと・・・・・・
 
 だから水皇は、残った一人だけは、なんとしても守り通そうと誓った。
 ------自分が盾になると。
 成人までは自分が表舞台に立つことで、若い命を守ろうと決めたのも水皇自身だ。
 できるだけ、一族とは離れた、一族の争いから遠くで、穏やかに育ってほしい------そう願って。
 そしてその子は、複雑な環境にいてさえ、思ったよりもずいぶんとしっかりと成長してくれたと思っていた。
 けれど、そのしっかりさが、危ういと感じるようになったのはいつからか・・・・・・。
 触ると切れそうな、それでいてちょっと別の方向から力を入れればすぐにもろく崩れそうな、危うい強さ。

 そのもろさをどうしたらいいのか、水皇にも分からなかった。
 どんなに、もっと肩の力を抜いて生きてもいいんだと諭しても、その子の態度は頑なだった。

 心配だった。
 いくら外側から守っても、心の中の問題だけはどうしようもなかったから。

 環境が変われば少しでも何かが変わるかもしれないと、その子に危険が及ぶかもしれないことを承知で水皇は自ら動き、転校させた。

 そしてある日、その子------『克也』は本当に変わった。
 ぎこちなくも、その年齢らしい表情を見せるようになった。
 それが、『ある女の子』のおかげだと知り、驚くと同時に、その女の子に感謝をしたい気持ちだった。
 克也、が毎日を生き生きと過ごしていることを、見守り役の青年から聞かされるたびに、自分のしたことは無駄ではなかったのだとホッと胸をなでおろした。
 自分の心の傷として残る彼女にも、少しは何かできたような気にもなっていた。

 それなのに-------

 自分の希望をかなえてくれた女の子------『栃野 岬』が、はからずとも克也を一族の争いに一気に引き戻すことになるとは。
 それを聞いて、さすがの水皇も愕然とした。

 けれど、事実を知ればすぐにも倒れてしまうかと思った克也は、意外に強かった。
 それは、栃野 岬がまだそばにいるからだと、水皇にはすぐに分かった。
 その子がいれば、克也は大丈夫なのかもしれない、そう思った。

 けれど、突如現れた聖蘭子という存在に、ささやかな希望も見事に打ち砕かれてしまった。
 このままでは、克也はまたもとの危うい状態に戻るだけ。

 それならば・・・・・・、と水皇は思う。

 敵方の娘ということは確かに見過ごすことのできない不安な因子ではある。
 けれど、あんなに頑なだった克也の心を変えたほどの、栃野 岬の心を信じたかった。

 一緒にいさせてやりたいと水皇は思う。
 克也が、本来の克也らしくあるために。

 もちろん、打算もないわけではない。
 克也と栃野岬が一緒にいることは、竜族にとっても悪いことではない。
 ただ、自分の一番の目的はそれではない。

 大事なものを、ことごとく守れなかった自分にとって、いつしか、克也を守ることが一番の目的になっていた。


 目の前で複雑な表情を浮かべる克也に、水皇は限りなく暖かな声で、伝える。

  「お前には、お前らしく生きてほしい。そのために、あのお嬢ちゃん------、栃野岬が必要なら、逃げずに、お前の嘘偽りない言葉を正面から彼女に伝えてこい。一族を思うお前の気持ちも、お嬢ちゃんを想うお前の気持ちも、全てをだ。 俺にも、竜一族にも、・・・・・・もちろん奈津河のやつらにも・・・・・・誰にも遠慮することはないんだ。 お前の気持ちは誰にだって負けちゃいない。ただ------、もちろんお嬢ちゃん自身にも自分の進む道を自分で選ぶ権利がある。だから、お前が負けるとすれば、そのお嬢ちゃんにだけだ。」

 ずっと何かを考えていたような、克也の瞳に、何らかの力が満ち始めるのを、水皇は見逃さなかった。
  「ありがとう、・・・・・・水皇さん」
 そう言って、克也は控えめに微笑んだ。
 その表情にはやわらかさが戻っていた。

 それを見て、満足そうに、水皇はうなずいた。

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