開放(3)

 すっかり日の暮れた窓の外に見える桜の木の枝を見つめながら、一人の青年はこめかみの辺りを自らの指で押さえ、今日何度目かのため息をついた。

 そして、ため息の原因------目の前の長髪の人物をきっと上目遣いににらんだ。
 目の前の人物は、ところどころ切れ目の入ったGパンに、Gジャン。中には得体の知れない化け物が描かれた黒いTシャツをのぞかせている。頭にはなにやらごつごつとしたメタル系のアクセサリーのついた黒いキャップ。長い髪はゴムでひとまとめにしている。
 一応、法律上の性別は女性であるのだが、その振る舞いや言動から、今まで青年は、今では一族の中でもおそらく自分しか知らないであろう『この状態の彼女』を女性と思った記憶がない。


 青年は投げやりに問いかける。
  「で!?------なんで、うちなんです!?」
 うめくようなその問いには、にやりと不適な笑みを浮かべた。
  「そりゃあ、この状況からして『あの人』のところには連れて行けるわけないだろ?麻莉絵ちゃんにはなんだか俺、少々嫌われてるみたいだしさあ。あ、正確には『俺』じゃなくて『もうひとり』に対してだけどね。------そうなるとお前んとこしか考え付かなかったんだよ。お前も一応男だけどさ、麻莉絵ちゃん一筋だし、お前の性格からして、万が一にも『彼女』を襲うなんてことはできないはずだと思ってね。どう?」
 そう言って、目の前の厄介者は不適に笑みを作る。

 その、しれっとした態度に青年------『大貫 将高』は、脱力した。
 「・・・・・・確かに、あなたの着眼点は悪くないですよ。『悠華さん』」
 将高の言葉に、目の前の人物はムッとしたように眉根を寄せた。

 「そんな名前聞きたくないね。今の俺は『ゆうと』だからな。」
 はき捨てるようにつぶやく。

 「貴女がいくら否定したところで、表の人格は悠華さんですからね。それは忘れないでいただきたいものです。奈津河一族のために。」

 「・・・・・・分かってるよ!」
 『ゆうと』は、右眉をぴくりと動かした。

 すると、次の瞬間に、顔つきが変わる。

 目の前の人物から、荒々しさがすうっと消え、自分の目の前の風景を、まるで今はじめて見たように、確かめるように瞳を左右に泳がせた。

 しばらくの後、目の前の人物は口を開いた。
 「ごめんなさいね、将高。」
 格好は変わらないのに、その体から出るオーラも、物腰もまったく別人のようだ。

 その変化に、将高も思わず瞬きをした。
 何度遭遇しても、この瞬間には慣れない。

 なんとか気を取り直し、将高は、部屋の中央にあるソファに座るよう、悠華にすすめた。
 悠華がふわりと腰を下ろすのを見て、自分も木製のローテーブルを挟んだ対面の椅子に落ち着いた。

 「あなた以外には考えられなかったの。」
 悠華は、頭にあった黒いキャップを両手でとり、銀光りするアクセサリーのひとつを人差し指でもてあそびながら、懇願するような瞳で将高を見つめた。その瞳には決して色仕掛けのようなものは含まれていないが、その優雅さを備えた憂える瞳には、将高以外のたいていの男なら、いっぺんでどきりとしてしまうに違いなかった。

  「いえ・・・・・・。少々驚きはしましたが・・・・・・、『あの人』の尻拭いをするのはもう慣れてしまいましたからね・・・・・・。僕から、栃野さんの一大事だと話せば、麻莉絵さんも素直に協力してくれるはずですから。------ただ、今回のことは、麻莉絵さんには少々つらい思いをさせることになるかもしれませんが・・・・・・」

  「あなたたちには、『あの人』が迷惑ばかりかけるわね・・・。本当に申し訳ないわ。」
  「あなたのせいではありませんよ。」
 きっぱりと言い切る将高に、悠華は困ったような微笑を向けた。

  「なんだかんだ言って貴方も麻利絵ちゃんも優しすぎるのよね・・・・・・。貴方ももっとあの人に怒ってもいいところよ。------特に、先日、麻莉絵ちゃんを無駄に戦わせたことに関しては・・・・・・」
 悠華が言うのは、麻莉絵と利由尚吾が正面衝突したあの時だ。

  「全てあの人の、自分のエゴのための、戦いだったのだもの」

  「・・・・・・そうですね・・・・・・。------それに関しては、もういいんです。あの人にもきっぱり言ってきましたから。僕は何も変わることはないんです。はじめから、僕は麻莉絵さんのためだけに動いてきたんですから・・・・・・」

 将高の強い意志の感じられる言葉に、悠華は『------そうだったわね------』とふわりと微笑んだ。

  「それだから、今回も、私はあなたに『彼女』を------、岬さんを頼むのよ。」
 悠華は、傍らの簡易ベッドに眠る岬に目を落とした。

  「彼女は『鍵』なのよ。『宝刀』は意思を持っている。その意思を制御できるのは彼女しかいないのだから。彼女には安定した精神を持ってもらわなくてはいけないわ。それがこの世界のためなのよ」
 どこか熱を帯びたように語る悠華に、将高は少し困ったように微笑む。
  「あなたの話は常に壮大ですね。僕などには『世界』を考えるような余裕はないですから。」

 あら、というように悠華は唇に自分の手を軽く置いた。
  「ごめんなさいね、つい無駄な話をしてしまったわ。・・・・・・とにかく、岬さんをよろしくたのむわね。くれぐれも、襲ったりしちゃ駄目よ?」
 おどけたように微笑む悠華に、将高も笑みを返した。
  「おや。僕を信じてくれてるんじゃなかったんですか?」

  「もちろん、信じているわよ。これは一応の確認ね。それと------明日の夕方までには必ず岬さんを解放してね。------ある人と約束してしまったから。」
 そう言って、悠華はウインクした。

  将高は少しだけ眉根を寄せた。
  「よもや、今のあなたは『ゆうと』じゃないでしょうね?」

 悠華も立ち上がりながら、首をかしげた。
  「さあねえ。最近たまにどっちだか分からなくなることもあるのよね・・・」
 意味ありげな笑みを浮かべると、『それでは失礼するわね』と軽く会釈をして、早々に窓の外へと消えてゆく。

 あっという間に悠華は見えなくなり、消えた方向をにらみつつ、 あくまでもここが二階であるということを考えれば、実は本当に『ゆうと』だったんじゃないかと、将高は再びため息をついた。

 数秒の後、将高は学生鞄から携帯を取り出し、短縮ダイヤルで電話をかけた。
 一番指に慣れた番号。

 「もしもし、麻莉絵さん。こんな夜更けに悪いんですけど、少し協力してほしいことがあるんです------」

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