開放(4)
麻莉絵は、迎えに来るという将高の申し出を断り、電話を切ってすぐに駆けつけた。
時計は午後9時過ぎを指していた。
悠華から聞いた大体の事情を、将高はなるべく私情をはさまないように、淡々と麻莉絵に伝えた。
御嵩が岬を襲ったことなど、本当は麻莉絵にとっては複雑な思いが頭の中を駆け巡るに違いないのに、麻莉絵は冷静に聞いていた。
「------で、岬は大丈夫なの・・・・・・?そんな怖い経験をして、トラウマとかになっちゃってるんじゃ・・・・・・。------それじゃなくても今は心がぼろぼろに傷ついているのに・・・・・・」
まだ眠りから覚めない岬を心配そうに見つめ、その頬に手をそっと添える。
「悠華さんが癒しの力を発動させたのでだいぶ落ち着いたらしいですよ?------どうやら、例の竜の長の件もひとまずの区切りがついたって話ですし・・・・・・。」
「本当かしらね・・・・・・?あんなにつらそうだったってのに・・・・・・」
麻莉絵は、『悠華』の名前に少し頬をひきつらせる。
「まあ、今回の全ての元凶はあのお方ですよ。全く、たくさんのガールフレンドに飽き足らず、今度は栃野さんを襲うなんて、男の風上にも置けませんねえ」
呆れたようにそう口にする将高に、麻莉絵は『とんでもない!』という顔をした。
「御嵩様がいきなりそんなことするなんて普通じゃ考えられないわよ。きっとそのときは正気じゃなかったのよ」
御嵩への気遣いを見せる麻莉絵に、将高は心の中で舌打ちした。
岬へのひどい扱いを知れば、麻莉絵の御嵩への忠誠心も少しは揺らぐのではないかと、少々期待したのだ。
だが、それは違ったようだ。
まあ、仕方がない。自分はそんな一途な麻莉絵をまるごと好きになったのだ。
一筋縄じゃないのは知っている。
そのとき。
「う・・・・・・ん」
二人の座るソファのすぐ横の簡易ベッドに寝かされていた岬が身じろぎした。
将高にも麻莉絵にも一瞬緊張が走る。
二人が見つめる中、岬の目がゆっくりと開かれる。
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岬は、見慣れない風景に、二度、まばたきをした。
目は開けているものの、うまく焦点が合っていない感じだ。
クリーム色の壁と天井が見えるので家の中ということは分かるが、全く見たことのない風景。
顔を動かすと、ようやく視界に自分の知っている人物(もの)が目に入った。
心配そうに覗き込む、朱色のチュニックを着た女の子。
相変わらず、髪の毛が肩の辺りで元気にはねている。
「麻・・・・・・莉、絵・・・・・・?」
岬はゆっくりと上体を起こしながら、ちょっとかすれているけれど、しっかりと相手の名前を呼ぶことができた。
その様子に、麻莉絵は途端にくしゃっ!と顔を崩した。その瞳からは涙があふれ出る。
「みっ、みさきぃ???!!!大丈夫なのぉ??!?」
がばっと抱きつかれ、岬は目をぱちくりさせた。
そう聞かれて、自分の身に起きた様々なことが、頭の中を去来したけれど、何からどう伝えたらいいのか分からず、今、自分が一番気になっていることの方が、まず口をついて出た。
「ここ、どこ?・・・・・・麻莉絵の家じゃないみたいだけど・・・・・・」
麻莉絵がいることからして、頭にとある可能性が浮かんで、少しだけ憂鬱にもなる。
だが、すぐに麻莉絵から答えが返ってきた。
「将高の家よ。」
一番恐れていた場所ではなくてとりあえずホッとする。
視線をずらすと、控えめに窓際に立つ、将高を見つけた。
「悠華さんが、僕の家にあなたを運んできたんですよ。」
将高の言葉に、はっとする。
「そういえば、ゆっ、悠華、さんは?!」
はっとしてあたりをぐるりと見回すが、その姿を見つけることはできなかった。
「悠華さんなら、僕たちにあなたを託して、帰りましたよ。一緒にいられなくてすまながっていましたよ。まあ・・・・・・、あの人も忙しい人ですからね・・・・・・」
そう言ってにこりと笑う。
なんだか、頭がいまいち状況についていっていないが、とにかく、悠華はここにいないということは納得した。
そこでふと、岬は何か引っかかりを覚えて、心の中に芽生えた疑問を独り言のようにつぶやく。
「ちょっとまって?あたし、悠華さんちでリゾット食べたのよね・・・・・・?で、食べ終わったら、妙に眠くなって・・・・・・」
岬の言葉に、麻莉絵と将高は目を見合わせた。
こめかみに指を当てながら、将高がため息をつく。
「それは・・・・・・一服盛られましたね・・・・・・。」
「え?」
悠華に対して、そんなイメージを持っていなかった岬は目を丸くした。
「岬?あの人の見た目にだまされちゃ駄目よっ!」
麻莉絵がわなわなとこぶしを震わせながら岬の目をまっすぐ見つめる。
「あの人はね、涼しい顔をして、背を向けてアッカンベーをするような人なのよっ!」
「うーん・・・・・・?」
岬は苦笑するしかない。
将高は、確かに麻莉絵のいうことは間違ってはいないと、心の中で苦笑した。
そして、麻莉絵とのやりとりを見て、『本当に大丈夫そうだな・・・・・・』と思う。
悠華は文字通りの二重人格の上にあの性格で、何を考えているのかいまいち分からないが、癒しの能力だけはやたらと強力だ。それだけは信用できる。
ただ、なぜ、御嵩邸で起こったことを悠華が知りえたのか、そして、なぜ助けたのか。どうも合点が行かない。
悠華が心に描く『世界の安定』とやらと、岬の持つ力と、なんらかの関係があるということか。
将高が考えにふけっていると、麻莉絵が呆れたような、大きな声を上げた。
「将高っ!なにぼーっとしてんのよ。一服盛られたんなら早く完全に体から睡眠薬抜けるように水分とらせなきゃでしょ!なんか飲み物ないの?」
「相変わらず人使い荒いですねえ・・・・・・。ま、ここは僕の家だし、どこかのお坊ちゃんと違ってお手伝いさんがいるわけでもないから仕方がないですね。今用意しますよ。」
ここにいない最大のライバル『どこかのお坊ちゃん』に嫌味を言うことで、ささやかな抵抗をしつつ苦笑すると、部屋の外に出て行った。
将高が出て行くと、8畳ほどのこの部屋には岬と麻莉絵の二人きりになる。
すると、麻莉絵が少し言いづらそうに、口を開いた。
「ごめんね・・・・・・大変なときなのに、その、御嵩様が、・・・・・・ひどいこと・・・・・・」
その先はどうしても言えないらしく口ごもったが、岬には伝わった。
「麻莉絵が謝ることじゃないよ。」
「でもっ・・・・・・」
うるうると瞳を潤ませる麻莉絵に、岬はにこっと微笑んだ。
「確かに、ものすごい怖くて嫌だったし・・・・・・今も忘れることなんてできないけど・・・・・・。でも、だからこそ気づいたことがあるから・・・・・・」
岬は瞳を一度閉じ、しばらくして再びゆっくりと開く。
「気づいたこと?」
「うん。------あたしが、したいことに気づいた。」
「------岬は、何をしたいの?」
麻莉絵の問いに、岬は少しだけ、答えるのをためらった。
自分のしたいことは、麻莉絵にとっては、都合のいいことではないのかもしれないと思ったからだ。
敵である竜一族の長。
その人のことを、自分はずっと見ていたいと思っているのだ。
「麻莉絵、あたしこそ、麻莉絵に謝らなきゃいけないかも・・・・・・」
意外なことを言われたという顔をしながら、麻莉絵は岬の言葉を待った。
「あたしね・・・・・・。------克也のこと、どうしても嫌いになれないんだ・・・・・・。まだ、この先どうしたらいいのかとかまでは分からないんだけど・・・・・・。ただ、遠くからでもいいから、見ていたい。だから・・・・・・克也を・・・・・・死なせたくないの。」
きっぱりと、克也を死なせたくないと言い切れる自分に、言いながら自分でも驚いてしまう。
悠華が、自分の心を解放してくれたおかげだ。
でも、やけにはっきり言い切ってしまってよかったんだろうか?
岬はすぐに目の前の麻莉絵がどう思っているのか、心配になった。
「------あたし、裏切り者だね。敵の長のこと、死なせたくないんだなんて。」
自分でもめちゃくちゃなことを言っているのかもしれないと思う。
麻莉絵はすぐには何も言わなかった。
しばらく下を向いて黙った後、短くため息をついて口を開いた。
「裏切り者というなら、あたしも同じなのかも・・・・・・。だって、あたし、そんな岬のこと、非難する気にならないもの。そんな岬のこと、あたしは好きよ。あたしとは違う人を見ているけど、一人の人を追い続けているのは一緒だもの。その人は自分なんて見ていないかもしれないけど、それでも追うことをあきらめられないよね。」
麻莉絵は、ちょっと寂しそうな表情でそう語った。
麻莉絵の想う人とは御嵩のことだろう。
だったら、今回自分がした最悪な体験は、麻莉絵にとっても、聞くのもつらいことだったに違いない。
けれど、それも乗り越えて、岬を気遣える、そしてそれを聞いてもなお、相手を信じ続ける強い心。本当にすごいと岬は思う。
自分は、相手を思う自分の気持ちにさえ蓋(ふた)をしようとしたというのに。
「麻莉絵・・・・・・も、そんな思いを抱えていたんだね・・・・・・」
岬は、麻莉絵の肩に自分の手を置いた。
自分のつらさだけでつぶされそうになっていた時には、自分だけがつらいと思ってた。
自分が、世界中で一番不幸なように思えていた。
けれど、そうじゃなかった。
自分の気持ちがひとつ前に進めたことで、少しだけ周りが見えた気がする。
「あたし・・・・・・、ここで麻莉絵に会えてよかった。あのままだとあたし・・・・・・奈津河一族のことまで大嫌いになってたかも・・・・・・。」
そう言っていたずらっぽく笑う。本心だ。
正直、まだ御嵩とのことは許せていないし、会いたくはない。
けれど、それに連なる者------麻莉絵や将高まで遠ざけたいとは思わない。
「ほんと?------あたしも、岬に嫌われなくてよかったよ・・・・・・」
二人はお互いに笑い、手を取り合って笑った。
「あたしたち、友達でいようね。」
麻莉絵の言葉に、岬は満面の笑みで応えた。
------ガチャリ。
ドアが開いて、将高がコップ片手にお茶のペットボトルをもってくる。
「すいません、少しは気のきいた飲み物があるかと思ったのですが・・・・・・こんなものしかなくて。」
えーーー!とブーイングする麻莉絵を横目に、岬は首を振った。
「あ、いえっ!なんでもいいです!いただきますっ」
将高相手だと、相手が低姿勢なだけに、同年代なのにこちらも敬語になってしまう。
将高は岬を、ソファに座るよう促すと目の前にコップを置き、2Lペットボトルからお茶をコポコポと音を立てて注いだ。
「岬、それ飲んだらあたしんちに帰るから、泊まっていってね。・・・・・・忌々しいことだけど、『悠華サン』が勝手に、昨日も今日もうちに岬が泊まっていくことにしちゃったみたいだから。」
悠華が『うまく言っておいた』というのはこのことだったのか、と岬は納得する。
麻莉絵の言葉に将高は再び苦笑した
「もうお帰りですか。余韻も何もあったもんじゃないですねえ。」
「なんの余韻よ。」
にべもない言葉を返す麻莉絵に、将高は肩をすくめた。
「いえ、なんでもありませんよ。------夜道は危ないのでお送りします。」