涙(1)

 誰もいない部屋の灯りのスイッチを片手でたたくと、パッと目の前が明るくなる。

 克也は、フローリングに鞄を軽く滑らせると、ふと、後ろを振り向いた。

 視線の先には、ただ所々細かい傷の付いた白いドアがあるだけ。
 ただ、なぜか克也はしばらくドアから目を離すことができなかった。

 胸騒ぎ、とも呼べるものだろうか?

 自分の胸元に手をやる。

 岬の気配がしたような気がしたのだ。

 「・・・・・・相当、重症だな。」
 ため息をつく。

 岬がいるはずはない。
 愛しく思うその気持ちがとうとうここまできてしまったのか。

 そのまま、玄関と部屋を仕切る扉を閉め、制服の上着を脱ぎ、えんじ色のネクタイをしゅるりと首元から引き抜いた。

 それでも、波立った心は全くおさまる気配がなかった。

 自分がどれほど岬を欲しているのか、思い知らされる。
 こんなにも。

 ------会いたいと、思う。

 今日はやめておこうと、決めたのは自分だというのに。


 克也はもう一度振り返り、玄関の方を見つめた。 


      ■■■■■■      ■■■■■■

 岬は、改札を出て息を深く吸った。

 駅からの道は覚えている。

 以前、麻莉絵に手を引かれながら通った道だ。
 そして、克也と蘭子がアパートの前で一緒にいるのを目撃してしまい、傷心のまま走り抜けたあの道。

 その道を自分がまだ覚えていたことに驚きも感じながら、街灯だけで照らされた薄暗い道を歩く。
 時々、岬の横を車が勢いよく通り過ぎていく。


 そこの角を曲がれば、アパートが見えてくる。
 岬は、そこで足を止めた。
 あまりの緊張に、喉がごくりと音を立てる。


 しばらくの後、岬は意を決して角から一歩踏み出した。
 途端に、二階建てのアパートが見えてくる。

 あんなに角を曲がるのを躊躇していたのに、見えてしまったらたまらず、岬は走り出した。

 アパートの正面に立ち、上を見上げる。

  『・・・・・・勢いでここまで来ちゃったけど・・・・・・。よく考えたら、これってストーカー的行動だよね・・・・・・』

 目の前の黒い階段を上れば、克也の部屋にたどり着ける。

 手すりに手をかけ、一歩一歩、足を進める。

  
  『行って、どうするの?』
 岬は、自分に問いかける。

 行っても、克也はいるかどうか分からない、ましてや、あんな別れ方をして、さよならとまで言われたのに。

 それなのに。

 歯止めをかけようとするもう一人の自分とは裏腹に、足はのろのろと前へ進んでいる。

 階段を上りきる。


 その時、不意に目の前の部屋のドアが開いた。
 あまりの突然の出来事に、心臓が止まるかと思った。

 中から出てきたのは

 ------克也だった。

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