涙(4)

 岬の涙に、少し驚いた克也が唇を離す。

  「岬?」

 自由になった岬の唇から、たまらず嗚咽が漏れる。
 心配そうに岬の瞳を覗き込む克也。

  「っ、ちが・・・・・・違っ、ごめ・・・・・・。克也の、せいじゃない。・・・・・・克也のせいでもあるけど!違うの!」
 我ながら訳の分からないことを言っていると思う。
 でも、そのくらい、涙でひどい顔になっているのと同じくらい、頭の中もぐちゃぐちゃだった。

 うまくいえない言葉の代わりに岬は、克也の頬を、涙で濡れた自分の両手で包むと、もう一度、自分から唇を重ねた。

 克也はそんな岬に少し目を瞠ったけれど、静かに目を閉じ、手を伸ばして岬の背に優しく触れる。

 克也に触れている間も止め処もなく流れ落ちる涙。
 まるで今まで止まっていた全ての涙を吐き出すように。


 ――長いキスの後、二人は並んで寄り添い、座っていた。
 言葉はいらなかった。


 その静けさを破ったのは克也だった。
 意を決したように、ゆっくりとひとつひとつの言葉をかみしめるように話し出す。
 
 「・・・・・・岬に、言っておかなければいけないことが、もう一つある。」

 岬は上半身を起こしながら、顔だけ動かして克也を見上げた。
 克也の表情は少しこわばっているようで、岬も克也に寄りかかっていた体を起こした。

  「・・・・・・本当は、言いたくないんだ。でも、これから避けて通れないことで、他人の口から変に伝わるくらいなら、自分で言いたい。」

 克也は緊張した面持ちの岬の頬を両手でそっと包み、岬の額に自分の額を軽く触れ合わせた。

  「・・・・・・俺の気持ちは、そんなものより岬への思いの方が優ってる。それだけは、信じて欲しい。」

 岬が、ゆっくりとうなずくのを待って、克也は額を離し、続けた。

  「――お前の、力のことだ。どこまで中條が話しているか分からないが、お前の中には宝刀の力が宿っているんだ。」

 『宝刀の力』
 自分のもつ力がこう呼ばれていることを岬は知っていた。
 けれど、本当はどんなものなのか、岬自身は理解していなかった。

  「宝刀の力は、この世にあるものを全て無に還すことのできる力だ。全てを一瞬にして消すことができる。」

  『無に、還す!?』
 岬は、克也の言葉を心の中で反芻した。
 途端に、それは何かそら恐ろしいもののように感じ、岬は自分の腕で自分を掻き抱いた。

 克也は、岬をそっと引き寄せた。
 克也の温かさが伝わったことに安心して、岬の緊張は少しだけ緩む。

  「でも、それだけじゃない。無から、新たなものを生み出す力でもある。奈津河も竜も、だからお前の力が欲しいんだ。――邪魔なものを消す――それだけじゃない、極端な話、今あるものを全て消して新たな世界を築くことができる。・・・・・・お前の力は、世界を意のままに操れる力なんだ。」


 岬は思わず、今まで肩に添えられていた克也の腕を強くつかんだ。
 背中をひやりとしたものが流れるような恐怖感。
 頭が、ついていかないけれど、とてつもなく大きな、恐ろしい話だと感じる。
 そんな恐ろしいものが、自分の中にあるなんて――!!
 手が、震えた。


  「竜族の長としての俺は、お前の力を、手に入れなければいけない。」
 克也は、つらそうに瞳を閉じた。

  「もとはといえば、宝刀の力はその名のとおり、刀に宿っていたんだ。けれど、ある時、事件があって宝刀は破壊され、宿る場所を失くした力は奈津河一族の者の中に宿るようになった。突発的にその力を宿す者が時折現れるようになったんだ。だから竜一族は、その力を宿すものを、常に手に入れようとする。」


 克也はそこで視線をやや遠くに移し、少しして岬に戻す。


  「宝刀の力は、使い方を誤ると暴走する。宝刀の力を制御できるのは、宿り主――持ち主であるお前しかいない。だから――もし、力を制御できるお前の意思が、竜一族の意思に反した時は、お前の、・・・・・・意識を――壊してでも操る必要が、ある。もちろん、そんなことは誰にでもできることじゃない。お前の・・・・・・意識を完全に消してしまうとその力は制御を失い暴走する。だから、お前の意識が完全に壊れない、ぎりぎりの線で残していく必要がある。・・・・・・それは能力の高い者でも相当難しい術だ。失敗すれば、その力はすべてを飲み込む。中條御嵩でさえ現にこの間、間接制御に失敗し、宝刀の力は暴走しかけた。」

 岬は『ああ』と妙に納得した。
 再び術をかけてほしいと願った自分に、もう、術はかけられないといった御嵩。
 すごい能力を持つはずの御嵩になぜできないのかと不満に思ったが、そういうことなら納得できる。

 そして克也は、しばらく沈黙した。
 その先に続く言葉を言いたくないように。
 しばらくの後、かみしめるようにゆっくりと口を開いた。

  「・・・・・・今の竜一族で、それを可能にするかもしれない能力を持つのは――俺しか、いない・・・・・・」

 岬を支える腕にさらに力がこもる。

 岬も、克也の腕をぎゅっと握り返した。
 あの時――、自分の力の暴走を止めたのは誰だったのかを、岬は思い出す。
 その時の自分の周りはものすごい風圧で近づくことができなかったという。それなのに、気がつくと克也は自分のそばにいた。
 あの状況で、動けたのは克也だけだったということになる。
 それだけ、克也の能力が高いということなのか。
 だとすれば、御嵩でさえ失敗した、難しいといわれる術をかける能力もあるのかもしれない。

  「でもそんなのは嫌だ!」
 克也は声を荒げた。
  「俺は、お前に、――そんなひどいこと、できない。お前の力はお前自身のものだ。力をどう使うかはお前自身が決めればいい。――だけど!俺は、竜一族の長だ・・・・・・。一族のためには、そんな甘い考えは許されない。」
  克也は、うめいた。 
  「 俺も、まだ、どうしたらいいのか分からないんだ。・・・・・・そんなもののためにお前がほしいわけじゃないのに! お前を利用したくはない。だけど、俺はお前にそばにいて欲しい。それなのに、俺のそばにいると、お前が――一族に、利用されてしまう・・・・・・」

 克也の葛藤が触れている部分を通して伝わってくるようで、なぜか岬はまた涙が出てきた。
  「克、也、克也・・・・・・苦しまないで、あたしのために。」
 
  「ごめんね、あたしが、変な力の持ち主なせいで克也を、苦しめているね・・・・・・。それなのに、ごめんね、あたし、それでも――克也のそばにいたいの。」

 もし自分が、何もかも全て竜一族が奈津河一族を滅ぼすために力を使うといえば、克也の苦しみはなくなるのかもしれない。
 けれど、。自分にできるのだろうか?
 全て捨てて?
 巽志朗への恨みも、麻莉絵たちへの親愛の情もすべて捨てられるのか。
 自分が竜一族のために宝刀の力を使うということは、麻莉絵たちを死に追いやること――、それも頭の隅で分かってはいる。

  『だけどあたしはただ・・・・・・克也の・・・・・・そばにいたいだけ――。』
 
  「岬・・・・・・」 
 克也は岬の唇を再び自分の唇へとひきよせる。
 
 何かが解決したわけではないけれど、今はただ、お互いのぬくもりを確かめたかった。

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