花の馨り(1)
『あたたかい......』
そう感じて岬は反射的に微笑んだ。
肌にふわふわの掛け布団の感触。
『お姉ちゃん、昨日布団なんて干したっけ?』
思い出せない。
でも、そんなことは今はどうでもいい感じがした。
この心地よさに身を任せていたい。
『それに、いいにおい......』
太陽の香りとも違う、なんていうのか......花の香りか......。姉は普段、香水はあまりつけないけれど、彼とのデートの時だけはいい香りをさせていく。けれど、これは今までになかった香りだ。
香りがするのならこの近くに姉はいるはず。そう思って岬は口を開いた。
『おねえちゃーん、新しい、香水買ったの?』
そう、たずねたつもりだった。
けれど、意思に対して身体が反応できずに口から出た言葉は
「ね...、ちゃ......。......った?」
だった。
『あれ?おかしいな......』
もどかしさを感じて、岬は辺りをよく見ようとぱちぱちと瞬きをしてみた。
目に飛び込んできたのは一面の白。
それが天井だと気づくのに、数秒かかった。そしてその天井には、いくつものキラキラとした宝石がちりばめられた明かりが下がっていた。
------え?
岬はどきんとした。
『あたしんちじゃない...!!!』
慌てて起き上がろうと上半身をものすごい勢いで跳ね上げた次の瞬間、ぐらりと視界が大きく揺れて、重力に任せてそのままもといた場所に顔から倒れこむことになってしまった。
「......??!!」
でも、衝撃は確かにあったものの、顔は思ったほど痛くはなかった。それはこのふわりとした布団のおかげだ。
「目が覚めたのね...」
聞きなれない女性の声がして、岬ははっとした。
確認のしようにも、体が言うことをきかない。
急に動いたのがいけなかったのか、頭もガンガンしてきた。頭を上げることもできずに岬はうめいた。
「無理しないで。一時よりは下がったとはいえ、まだまだ熱があるんだから。」
聞きなれない声の女性はそういうと、しゅるっしゅるっとじゅうたんにスリッパがすれるような音を立てながら岬のそばに近づいてきたようだった。
音が止まる。
肩の辺りに細い腕を感じたと思うと、うつぶせになっていたために暗かった岬の視界がすっとまた明るさを取り戻す。
どうやら、女性が上手に岬を仰向けに直してくれたようだった。
ふわりと花の馨り。
あたり一面に広がる馨りは不思議ときつくなく、うるさくない。
『上品な香りだ』と岬は思う。
白い天井ときらびやかな照明だけだった岬の目の前に、すっと端正な顔立ちの女性の顔が
年は二十代前半だろうか?いや、落ち着いた微笑みを見ると後半かもしれない。
シャンプーの宣伝に出てきそうなさらっとした髪は胸に届くぐらいで束ねることもなく自然に任せておろされている。
肌の色はどちらかというと白いが不健康そうなほどではない。
目は二重がとてもきれいで、まぶたには控えめなピンクのシャドウがひかれている。
雰囲気は花にたとえると華やかなのに落ち着いた風格のあるカサブランカのイメージ。
「申し遅れてごめんなさいね。私は 水城 悠華(みずき ゆうか)。」
「は、はあ...」
まだ頭がはっきりしない岬はあいまいに相槌をうつ。
そういえば、と岬の心にひとつの疑問がやっと生じた。
なんだか訳が分からない状態で、不可解極まりない状態なのに疑問すらも頭に浮かべることができなかったが、やっと少しだけ落ち着きを取り戻せてきた。
「あたし......なぜ......ここに......?」
その疑問をゆっくりと口にする。
岬の疑問に女性は少し困惑したような顔をした。
言うことを考えあぐねているように。
その沈黙の中、岬も考えてみる。
『あたし、どうしたんだっけ?』
記憶をたどってみる。
次の瞬間。
「!!」
岬は目を見開いた。
「ここ、どこ!?...まさか......!!」
最悪のシナリオを思い描いて岬は愕然とする。
今、ここで気がつく前はどこにいたのか。
「い、いや......!!」
あの悪夢のような出来事を思い出して岬は両腕で自分の身を掻き抱く。
『逃げようとしたのに!!もしかしてつかまってしまったの!?』
この身に刻まれたおぞましい感触がまたよみがえってくるようだ。
ふっ、と花の馨りが強くなり、恐怖におびえる岬の肩に女性の白い手がそっと触れた。
瞬間、心の中もふうっと軽くなるような気がして、岬ははっとする。おぞましい出来事ははっきりと覚えているのに、不思議と恐怖感だけが取り除かれていた。
なんともいえない感覚に、岬は目をぱちくりさせる。
「ひどいことをされたのね。......かわいそうに。...なんてことをする男なのかしら。」
女性の顔つきが少しだけ険しくなる。
けれど、その表情はすぐに消える。
「大丈夫。私はあなたの悪いようにはしないわ。」
落ち着いた声で、はっきりと彼女は告げた。