罪の重さ(3)

 その、――瞬間。


 頭上から音もなく、人が『降って来た』。

 それは一瞬だっただろうが、岬にはスローモーションのようにその人が地面に降り立つのを見た気がした。降りてきたその人は、自らの両手を目の前にかざして白い光を放ち、岬に向けられた光の刃をはじき返した。


 その途端、ふっ、と岬の体が軽くなった。
 息苦しさだけは少し残ったが、何かがのしかかっていたような重さが消えていた。


 その不思議さに、呆然と岬は視線をさまよわせる。
 何が起きたのか、全く理解できない。


 目の前に突如現れた、ジーンズに、白っぽいカットソーを着たショートボブの女性。
 岬の記憶には全くいない人物だった。


 それなのに――


  「バカっ!」
 女性は、岬のもとに駆け寄ってくるといきなり岬の頬を往復二発叩いた。


 まだ岬の頭の中は混乱していたが、頬の痛さに、身体的には一気に感覚が蘇った。

  「な、なにすんのよ!?」
 いきなり頬を叩かれた怒りも含みつつ、岬は頬を抑えて叫んだ。
 口に出しておいて、まだこんな大きな声が出せる力があったのかと自分ではっとする。
 もう消えると思っていた命が再び脈打つような感覚に、岬は自分の胸を押さえた。


 そんな岬に向かって、女性は悪びれもせずニカッと笑った。
  「それだけの元気があれば、もう大丈夫だよね」


 言葉だけを岬に向けながら、女性は泉に向かって次の攻撃に対する構えを取った。 


 

  「誰っ!?邪魔しないで!!」
 泉のヒステリックな叫びが結界内にこだまする。


 泉はすぐに次の刃を両手に出現させ、女性へと投げつける。
 その攻撃を自らの手で作り出した結界で防ぎながら、女性はまたもや後方の岬に話しかける。

  「あんたね!死にたいみたいだけど、あんたが死んで何か解決すんの?」


  「え......だって――あたしは......」
 反論しようとして、思考を回転させるが、まだ先ほどまでの重苦しい思いが心に残っていて、うまく言葉がつむげない。


  「間違っても克也への償いのために死ぬとか言わないでよ!?もう一回引っ叩くからね!」


 いろんな意味で衝撃な言葉だ。
 なぜこの人がこんなに自分の思いを的確に表現できるのか。
 そして克也のことをこの人が『克也』と呼んだこと。この女性は一体何者なのか......。
 そして、『もう一回引っ叩く』、って――......!


 混乱して、先ほどまでとは違った意味で眩暈を感じる。


 一方泉は、攻撃への防御以外で女性に無視されているのを感じたのか、攻撃を止めた。
 そして問う。
  「――あなた、奈津河の手の者なの?」
 

 その女性は片手を腰に当て、もう一方の手をひらひらと振った。
  「違うよ。まあ、言ってみればあんたのお仲間。竜一族。」


 女性の反応に泉は眉を寄せた。
  「竜一族?見たことがないわ。そんな強いオーラ......力を持っている同族で、私が知らない者がいるなんて......信じられない。」
 泉の愕然とした言葉に、女性はくすりと笑って肩をすくめた。
  「まあ、いろいろ事情がありまして」   

   
 どこか斜に構えた女性の態度が癇に障ったのか、泉はさらに表情を険しくした。
  「竜一族なのに私の邪魔をするのね。ということは――若様の命令なの?」
 
 それに対して女性は笑った。
  「長は関係ない。全く知らない。気配がするから近くには来てると思うんだけどね」


 岬ははっとした。
 確かに、近づいてくるこの気配は。


 後方から名前を呼ばれる。
 目を凝らすと、先ほど岬が入ったのと同じ扉を開けて、克也が必死の形相で走ってくるのが見えた。数歩遅れて、利由が続くのも見える。


  「岬!」
 そう叫んだ克也は、岬が無事でいることにホッとしたように表情を緩めた。
 すぐそばまで走り寄った克也は、岬の横にいるもう一人の人物に目を留める。
  「――っ、利衛?」
 克也は岬のそばに立つ女性の名を口にした。驚きに上ずったような、そして小さな声だった。それは必死で走ってきたせいで息が切れているからという理由だけではないようだった。

 一方、呼ばれた方は、さして驚いた様子もなく、にこりと笑う。
  「久しぶり、克也。あんたが表に出てきてくれたおかげで、あたしも晴れてモグラ返上。――ありがとね」

 そう言いながら岬を優しく立ち上がらせると、克也の方に岬の肩をぽん、と押した。いきなりのことに、よろけた岬の背中を、克也は抱きとめる。
 そして、何かを言おうとした時、泉の叫びが聞こえた。


  「若様は関係ないとか言って、やはり若様が絡んでいたんじゃないの!!」


 克也と女性の間に流れた親しげな空気を読んで、通じていると思ったのだろう。泉は怒りをあらわにしている。


 一瞬、女性は面倒くさそうな表情をすると、頬に垂れた髪を乱暴にかきあげた。
  「っ、だからあっ。長と今回のことは関係ないって言ってんでしょ!?――あんたが家からいなくなったんで、岩永さんから『速水泉を止めろ』って幹部の何人かにお達しが出たの。あんた強いから、幹部くらいじゃなきゃ止めらんないと思ったんでしょ。しかもご丁寧に『長には知らせるな』っていうお達しつきでね」
 女性は挑戦的な瞳をして泉を正面から見据えた。


  「でもどういうわけか、長がここに来ちゃってるってことは、誰かさんがヘマしたのかなー?」
 そう言いながら、女性は克也より数歩後ろにいる利由を意味ありげに見つめた。


 自分のことを言っているのだということに気づいた利由はむっとした顔をする。
  「しょーがないだろ。岩永氏の電話がかかってきたとき、克也と一緒のところにいたんだから。こいつ、こういうことには勘が鋭いし、ごまかせないって!」


  「ふーん?あたしはまた、尚吾が仏心を出して克也に知らせちゃったのかと思ってねえ」
 含み笑いをしたまま、女性は腕を組んで利由を見た。
 それを受けて利由も少しだけ微妙な顔をする。それが全くの的外れでもなかったからだ。 


  
 しかし、そんな女性と利由の会話など聞こえてはいないように、泉はただ、うつむきながら、わなわなと拳を震わせていた。
  「基樹......余計なことを......」
 やや強い風が、泉のウエーブのかかった髪をふわりと揺らして横に流す。
 

 女性は再び泉に視線を戻すと口を開いた。
  「速水さん。あんた今ここでこの子を殺したら、結局は自分の身を滅ぼすことになるよ」
 『この子』と言って指差す先は岬だ。

 その言葉を受けた泉は、呆れたようにため息をつき、眉を寄せた。
  「あなた何言ってるの?そんな小娘一人殺したところで、なぜ私が身を滅ぼすというの?」
 馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに女性を見つめる。  

  
  「――その子を殺したら、竜一族の長は『いなくなる』。――今の竜一族の状態を考えれば、長が完全にいなくなることは得策とは思えない。」
 女性はきっぱりと言い切った。 


  「どういうこと?その子が死んだら克也様が長を降りるとでも?」
 泉は聞いた。
  「まあ、当たらずとも遠からずってとこかな?」
 女性は意味深な表情をして肩をすくめる。

 女性の言わんとしていることが完全には分からず、どこかはぐらかされているようなもどかしさに、泉は唇をかんだ。   

 克也は複雑な表情をしていた。
 利由にも十分すぎるほど分かっていた。多分、今、泉が考えている以上にそうなったときの状況は深刻なはずだ。ただ長であることをやめる、というだけのことじゃない。克也自体『使い物にならなくなる』可能性が高いことは、克也に本当に近しいものであれば分かることだろう。
 岬が中條御嵩に襲われたと知っただけであんなことになったぐらいだ。岬の存在が、もしも永遠に失われてしまったのなら――克也の精神状態がどうなるのか、利由には容易に想像できた。目の前の女性も、さすがに先日のことまでは知らないだろうが、克也の性格を十分知り尽くしている彼女であれば、利由と同じことを考えたに違いなかった。


  「え?」
 ただ一人、岬だけが疑問の声を上げる。


 女性は、振り向いて苦笑した。
  「知らぬはこのお嬢さんだけ、ってことかあ」
 茶化したように笑い、つん、と人差し指で岬の頬を軽く押す。 

 
 
 次の瞬間、泉が再び叫んだ。
  「どうして!?どうしてなの若様!」
  その表情は悔しさや悲しさが入り混じった複雑な表情をしている。

  「若様――あなたは同族の死よりもその女の方がそんなに大事だというの?あんなに――あんなに若様のために尽くしてきた竜季を――!どうして軽んじるの!?どうして――!」
 そう叫びながら、泉はその場にがくりと膝を着いた。

 
  「違う!軽んじているわけじゃない!」
 克也は否定するが、その表情は苦渋に満ちていた。
  「覚えている。竜季や一青、そしてそれに連なる者たちが、どんなに俺の助けになってくれたか。――彼らは今でも、俺の、大切な人たちなんだ。それは変わってない!それとこのこととは全く違うことなんだ!」

 自分のせいで克也が責められている、そして、克也も自分を責めているのだ、という絶望感が、またじわじわと岬の心を支配していく。

  「違わないわ!」
 泉は克也の言葉を否定し、しばらく沈黙した。

 やがて、泉は口を開く。
  「――竜季がいないの。寝ても、覚めても、あの人の腕のぬくもりまで鮮やかに思い出せるのに――。みんなの中で他愛もない話をして笑っているあの人も見えるのに。それなのにもうどこを探してももう誰も私の周りにいないの!それが苦しいのよ――!」

 泉は自分の腕で自分自身を掻き抱いた。

 先ほどの激しさとは違う、儚げなその様子が、岬の心をより鋭くえぐる気がした。
 泉の心の不安定さが、その様子にはっきりと表れていた。

  『あたしは、一人の女性の幸せ、何人もの人の幸せ、そして克也の幸せをも、奪った』
 心がちぎれそうだった。  

 しかし、消え入りそうな様子だったのは一瞬で、泉はキッと視線を上げた。
  「だから許すことはできない!いくら若様の大切な人でも!許すことなんて、絶対にっっ!!」
 そう叫んで、再び光の刃を手に岬に突進する。


 その時。


  「泉!」
 男性の低い叫び声がその場に響いた。

 その声に泉も動きを止め、声のした方をはっとして見つめた。三メートルほど離れたその先には、金髪の長い髪を胸ぐらいまで伸ばした長身の男が立っていた。

男は、そのまま驚異的な跳躍で一瞬にして岬と泉の間に降り立ち、両手を広げて泉の前に立ちはだかった。
 
  「これ以上はマズイ!今の状況は泉にとって不利だ!」
 男は懇願するような表情で泉を見つめる。


  「そこをどいて司(つかさ)!」
 息巻く泉。


  「どかない!どんな時でも泉を守るというのが竜季と俺の約束だから!」
 司、と呼ばれた男の口から『竜季』の名が出たその瞬間、泉の瞳が揺れる。


 泉は、動きを止めたまま、地面を見つめる。
 しばらくの間の後、大粒の涙が一筋流れて落ち、泉の手に出現した刃が消えた。


  「――そんな約束、いらなかったのに!」
 泉は誰に言うでもなく独白のようにそう口にして空を仰いだ。


  「そんな約束いらないから!そんな約束するぐらいなら、今ここで私を守ってよ!!りゅうきいいー!!!」
 頭を抱えてその場にしゃがみこむ。


 そして次の瞬間、泉は激しく泣き叫んだ。
 魂の奥底から湧き出る悲しみの声を、岬は聞いたような気がした。
 罪の意識にさらに心がつぶれそうになる。 
 


 男は両手を下ろすと、泣き叫ぶ泉のそばに駆け寄り、泉の額に手をかざした。すると、泉はすうっと気を失ったように重力のまま男の腕の中に崩れ落ちる。

  「司――...、沢 司(さわ つかさ)――か?」
 克也が、男に問う。


 男は腕に抱く泉を気遣いながら、ためらいがちに頭を下げた。
  「ええ、そうです。泉の無礼を――お許しください!」

  「無礼だなんて――、泉さんの気持ちを考えたら、一方的に攻めることはできない」
 克也が、横目で岬をちらりと見ながら、遠慮がちに口を開いた。

  「寛大な長のお言葉に、安堵いたしました。泉は、このままつれて帰ります。このようなこと、二度とないようにいたしますので」
 金髪の風貌には不釣合いなほど、男の言葉は丁寧だった。端はしに、『長』への敬愛の念が見え隠れする。


 再び礼をして、男は泉を大事そうに両腕に抱いたまま歩き始める。
 岬は、そんな二人の後姿を呆然と見送った。


 そして、二人が扉の向こうに消えると、岬は途端に膝の力を失ったように体勢を崩した。
 とっさに克也が岬の体を受け止め、そのまま地面に崩れるのは防いだが、そのまま抱き寄せようとした克也の手から、岬は一歩退いて逃れる。


  「あ、あたしっ、克也に、こんなに優しくなんてしてもらう資格なんてない!あたしは、――克也の仲間を何人も失わせてしまったのに......」
 ぎゅっと拳を握り締め、岬はやっとのことでそう口にした。
 罪の意識で、息が苦しい。

  「何言って――」
 克也は眉を寄せた。 


 その時、先ほど克也が『利衛』と呼んだ女性が口を挟む。
 

  「この子、死のうとしたよ。自分を殺そうとする刃を確認しながら、それでも瞳を閉じた。あたしが割って入らなかったら、命はなかったかもしれない。」


 女性の言葉に、克也の表情がこわばる。


  「岬、どうして――。――何があった!?泉さんに――彼女に何を言われた!?」
 声を荒げて、岬の肩をつかむ。

 克也の言葉に、岬はぎゅっと体をこわばらせた。


  「だってあたし......、あたしは......」
 その先の言葉を、なかなか言えない。言葉にするのが恐ろしくて。
 岬は自分の胸を押さえた。
 その手も震える。 


  「人、殺し、だから......。」 


 克也が目を瞠って、何か言おうとするのを岬はさえぎる。

  「巽志朗のこと、もう責められないよ。あたしも同じ。誰かが大切に思う誰かを、深く考えもせずに、あたしの力で、消しちゃった......っ」
 岬は両手で顔を覆った。


  「あたしが、何の理由もなく、言われるままに命を奪ったあの人たちにだって、大切に思う人がいたはずなのに......。なのにあたしは、自分が、誰かの幸せを奪っておいて、それなのに自分の周りの人が傷つくのは許せなくて。――身勝手で、最低」
 言いながらぼろぼろと涙が零れ落ちる、なんで人の命を奪った自分が泣くのか。泣いていいのは奪われた方だけなのに。そう思っても涙は勝手に出てくる。


 こんなことになる以前は、巷の殺人事件のニュースを見ては、人の命を奪ったら、命でしか償えないと、思ってた。命を奪うことは、それほどの深く重い罪だと。


 それなのに、いつの間にかその感覚がおかしくなっていた。
 憎い巽志朗を野放しにした竜一族だから、仕方がないのだと――消してもいいのだと、勝手に納得していた。


 なんて、傲慢な考え。


 消してしまった命を償う方法はひとつ―― 


  「もう、あたしが死ぬしか、償う方法はないじゃない......!」
 するりと口をついて出た言葉。

 空気の凍る音が聞こえたような気がした。

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