罪の重さ(4)
「馬鹿なこと――、言うな......っ」
低く、克也がうめくように声を上げる。
そして、克也から目を逸らす岬の、両肩を少々乱暴につかんだ。
「簡単に死ぬなんて言ったら許さない!岬が死んで解決するものなんて何もないんだ......!」
ただならぬ克也の様子に、さすがの岬もはっとして克也を見つめ返した。
夜更けに声を荒げてしまったことに気づき、克也は声のトーンを落とす。
「......それで一時は泉さんの気は晴れるかもしれない。でも、悲しみがそれで終わるわけじゃない。――お前の死の後には、ただ、お前の周りの友達や家族、そして俺に、新たな悲しみを遺すだけだ」
克也は岬の肩をきつく抱き寄せる。抗う岬を許さないほど強く。
「母も、智也も、みんな......、俺が......生きていてほしいと強く願う人は、皆、俺の前で、死んでいく」
伏せられたまつげが小刻みに揺れる。
「岬まで、こんな形で失ったら――俺は、もう正気ではいられない......」
苦しげに絞り出した声は、今にも泣きそうに聞こえた。
克也は岬の肩を抱く手は離さずに、少しだけ腕の力を緩める。
「岬がもし自ら死を選ぶとしたら、その時、俺の心は死ぬ。そしてやがて――命も尽きる」
岬は息を呑んだ。
「俺が生きるために、岬が必要なんだ。岬が生きていてくれることが、そのまま俺が生きる意味でもあるから......」
岬が克也を見上げると、切なげに揺れる瞳とぶつかった。
「だから死ぬなんて、言うな......!辛い時は俺を呼んでいいから!どんなことがあっても駆けつけるから!――だから、どうか、生きて――」
力強い言葉とは裏腹に、肩に触れる克也の手は震えていた。
克也の異常なまでの動揺に、岬は我に返る。
自分が死ぬことが、克也を殺すことと同じになるなんて、考えなかった。自分の行動が、克也に影響すること、分かっているようで分かってなかった。
自分からは死ねない。
自分は、克也を殺すことなんか、できない、したくない。
冷え切った自分の手を、克也の腰にまわす。
涙は、止まった。
「ごめんね......。もう、自分から死ぬなんて、言わないから......」
克也が、心底ホッとしたように表情を緩める。
「そんな克也を見たら、先に死ねないね。」
岬も泣きはらした顔で苦笑した。
そんな岬の頬を、克也はそっと両手で包むと、いとおしむように優しくゆっくりと口付けた。
深くはない、けれど、長い長い口付け。
しばらくして、唇を離した克也はつぶやく。
「人を殺めた罪は死んで償わなければいけないというのなら――俺は、既に死んでなければならない。」
岬はハッとして目を見開いた。
「俺も――これまでに直接的にも、間接的にも――、自分が奪ってきてしまった命が、ある。その報いはいつか受けなければいけないのかもしれない。以前はそれでもいいと思ってた。自分の罪の報いで死ぬなら、それは仕方がないと。」
自嘲するように笑みを作る。
岬は克也の腰にまわした手に少し力をこめた。
「だけど今、俺は生きたいと切実に願う。奪われた側の人間には許せないことだろう。本当に身勝手な考えでしかない。けれど――俺は、生きたい。岬と共に生きていきたいんだ......!」
真剣な瞳で、克也は岬を見つめる。
くしゃりと、岬の表情が歪んで、再び涙があふれる。今度は、切なさと嬉しさが複雑に入り組んだ涙だった。
「あたし......あたしもっ、克也と、生きたい――!」
克也の腰から背中に手を移し、強く抱きしめる。
命を奪った罪を自分の命で贖うことは、今の自分にはできない。できるはずがなかった。
――生きたい。
心が痛いほどに叫んでいる。
それが本当は許されないことだとしても。
自分の命に代わる償い――そんなものがあるのかどうかは分からないけど。
今は克也と、生きたい。
切ない願いに、岬の目から止め処もなく涙がこぼれる。
そして、体中の水分が飛んでしまうんじゃないかと思えるくらい、泣いた。
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「あの、助けてくださって、どうもありがとうございました。」
落ち着いた岬は、まず、先ほど命を救ってもらった女性に頭を下げた。
「気にしないで、一応上からの任務命令だから助けただけだし。――まあ、それだけが理由じゃあないけどねえ」
女性はあははと豪快に笑った。
その次の言葉を次ごうとして、岬は女性の名前を知らなかったことに気づいた。名前を呼ばないことが失礼に当たる気がして、名を尋ねた。
岬の問いに、女性はちらっと克也のほうを見る。
「克也、あたし、この子に名乗っても大丈夫?」
その言葉の不思議さに、岬は傍らにいる克也を見上げる。
なぜ、名乗るのに克也の許可を取っているのか。
克也は岬の視線に気づき、少しだけばつが悪そうに笑った。そして、女性に向き直り、「構わない。」と一言告げる。
それを待って、女性はふふとおかしそうに笑った。
「――あたしね『蒼嗣 利衛子(そうし りえこ)』っていうの。よろしく!利衛子じゃ言いにくいから『利衛』でいいよ」
そう言って、岬の頭を自分の胸にぎゅうっと抱き寄せる。
びっくりして目を白黒させる岬を、克也は苦笑いしてみている。
岬は、『蒼嗣』の名を聞いたとき、もしかすると目の前の女性は克也の家族なのではないかという考えがよぎった。
「あ、あの!蒼嗣、って、もしかして――」
岬がそう口にすると、利衛子は続けるように言った。
「あー、うん。一応あたし表向きは、克也の姉、なんだよね」
岬を開放しながら、利衛子は肩をすくめた。
さらに目を丸くする岬に、克也は微妙な表情で笑った。
「克也の、お姉さん?」
「そ。まあ、表向きは、ね。血のつながりはないけどね。」
利衛子はちらりと克也を見、「詳しいことは後で克也に聞いてー。」と、にこりと笑った。
そして、腰に手を当て、岬の姿をまじまじと見つめる。
「それにしてもねえ。宝刀の力の持ち主がこんなかわいい女の子だなんてね。初めて知った時にはホント驚いたよ」
岬は複雑な気持ちになった。
人の命を簡単に奪ってしまった自分の力のことは、なんとなくまだ耳にすることがつらかった。
「克也はか弱い女の子を一族のために利用できるほど、そういう面では器用じゃないと思ってはいたけれど......。彼女に本気なのは、継承式で克也が彼女を怒鳴りつけたときによく分かった。」
「利衛、それは――」
そのことを自分でよく思っていない克也は、たしなめるように口を挟もうとする。
けれど、利衛子は構わず続けた。
「だって、本当に心配してなかったら、あんなことしないよね。それで確信したんだ。普段、特に一族のいる場では冷静さを崩すことが滅多にない克也が、あれだけ熱くなるんだ。これは本気とみて間違いないってね」
そう言いながら、くるりと克也を振り返る。
「だからあたしも本気で助けた。克也にとってそんなに大事な人なら、絶対に失わせるわけにはいかないからね。」
利衛子は笑顔を引っ込め、岬の方に真顔で向き直った。
「もう今後は絶対に自ら命を絶とうなんて露ほども考えちゃ駄目だよ。『自殺』だなんて、克也が一番嫌いな行為じゃない。」
「え?」
利衛子の言外に含まれる微妙な響きを感じ、岬は顔を上げた。
「利衛......!」
克也は利衛子の言葉をさえぎる。
そんな克也を利衛子は横目で見やる。
「その様子だと、まだそのことまでは話してないんだ......」
「いずれ話す。だからもうそのことは......」
克也にはそれ以上そのことに触れてほしくないというオーラが全身に漂っているようだった。
利衛子はため息をついた。
「そっか。了解。――ゴメンね。あたし余計なこと言っちゃったみたい」
ぺろりと舌を出す。
「まあ、これ以上は、克也がきっとあなたになら話してくれるはずだから。」
そう言って、岬を見てにかっと笑う。
「さーて、一件落着したし、あたしはもう帰ろうかな!――尚吾、バイクで来てるんでしょ。送ってってくれない?」
利衛子は場を取り繕うように、その場で伸びをしながら利由を見た。
「え?克也と二人いっぺんには無理だよ。利衛はタクシーでも拾えよ」
いきなりの指名に利由も疑問を口にする。
そんな利由に向かって利衛子は大げさにため息をついた。
「うら若き女性を一人で帰す気?あたしはこれでもまだ華の21才なんだから!それに、ちょっとは気を利かせなさいよね!」
顔中に疑問符を浮かべる利由と克也、そして岬に向かい、利衛子は意味ありげな笑みを浮かべる。
「まさか、こんな状態の岬ちゃんを一晩中一人にさせとくわけにはいかないでしょ。あたしが見たところ、岬ちゃんちには今、誰もいないようだけど。......違う?」
克也も利由もいっせいに岬を見た。
一瞬怯んだ岬だが、ゆっくりとうなずいた。
「父は夜勤で、お姉ちゃんは旅行、です」
「ほらね。もう大丈夫とは思うけど、また誰かが一人になった岬ちゃんを狙ってくる可能性もないとはいえないし。彼女を守るのは克也の役目でしょ」
「ええっ!」
そこまで来て、利衞子が言っている意味が分かってしまった岬は、顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を出してしまった。
「岩永氏にバレたら大目玉喰らいそうだな......」
利由がぼそりとつぶやく。
利衛子はそのつぶやきを聞き逃さなかったようで、にやりとした。
「尚吾、あんた岩永さんにもばらしちゃう気?まあ『長には知らせずに速水泉を阻止せよ』っていう指令も守れなかったみたいだしねえ」
「相変わらず冗談きっついなーお前。俺が克也の不利になることばらすわけねーだろ」
口を尖らせた利由に向かって利衛子は満足そうに笑った。
「よろしい。――ということで、尚吾はあたしを送ること!そして克也は岬ちゃんちに泊めてもらいなさい。」
決定ー!と利衛子は岬の肩をポンとたたいた。