間者の告白(4)
しばらく歩いたところに、一台の黒いワンボックスカーが停まっていた。
蘭子はその車のほうに岬たちを案内すると、運転席の窓をコンコンとたたいた。
それに応えるように、運転席の窓が自動で開いた。
中にいたのは長い髪をひとつに後ろでまとめた女性だった。サングラスをかけているせいで表情が分かりづらい。
けれど、岬にはその横顔をなんとなく見たことがあるような気がしていた。
その女性は無言のまま、蘭子と目配せをする。
「どうぞ」
蘭子は後部座席のドアを開けると、岬と克也に向かって中に入るように促す。
まずは克也が先に、そして岬が続く。
後ろのドアが閉まると、蘭子は助手席に座った。
後部座席左側から運転席の方を見ると、女性の横顔が目に留まる。
『悠華、さん?』
横顔が、岬の知る『悠華』と重なり、岬は反射的に瞬きをした。
ただし、全く違う雰囲気を纏っていることが、岬を確信へと導かない。
悠華に似ているけれど、なんだか纏う空気に刺々しさを感じる。
岬が考えをめぐらせている間にも、車はどんどん山深く入っていく。
窓の外に流れていく景色を見つめながら、岬は自然と克也のシャツの袖を掴んでいた。
『克也が、一緒でよかった。』
克也が一緒にいなければどんなにか心細かったに違いない。
対する克也はといえば、ずっと外に目をやったまま、ずっと難しい顔をしている。
車の中では誰も、何もしゃべることはなく、ただエンジン音だけが響いていた。
山間をしばらく走ると、急にあたりがひらける。
たどり着いたのは、洋館風の大きな屋敷だった。外壁等は年代を感じさせるが、汚い感じは受けない。
まずは蘭子、そして続いて岬たちも車から降りる。
一番最後に女性も車の外へと降り立つが、全く声を発しないどころか、岬たちの方を見ようともしない。
そんな女性に、克也は後ろから声をかけた。
「さっきからずっと気になっていた。――あなたが纏うオーラの種類を。随分と複雑なオーラをしてはいるが......、奈津河方の人間だろう?」
蘭子がぎょっとしたように克也を見つめた。
岬も克也を見つめる。
一瞬の間があった。
女性がサングラスの奥で一度目を閉じたのが分かる。
次の瞬間、女性は少しだけ目を瞠ったようだった。
ゆっくりと辺りを見回す。
その仕草は不自然に見えた。
「否定しないということは、あなたが、奈津河の人間であることに間違いないということなのか?」
克也がもう一度問う。
女性は、一度深く息を吐いた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「ええ、そうよ。私は奈津河の人間」
オーラ云々は岬には全く分からなかったが、彼女の持つ雰囲気が一瞬にして変化したような気がして、岬は目を細めた。
彼女は次の瞬間、サングラスを鮮やかに抜き取った。
「自己紹介が遅れてごめんなさい。どこに誰の目が光っているのか分からなかったので、あえて名乗ることを避けていたの」
サングラスを外した彼女は、紛れもなく『悠華』その人だった。
岬たちの方に向き直り、ふわりと微笑む。
「私は、水城悠華。岬さん、お久しぶりね」
「悠華さん......!」
岬もようやく微笑むことができた。
克也は目を瞠った。
「水城、悠華――、中條御嵩の婚約者か。そうか、あなたが黒幕――」
悠華はそんな克也を見る。
「こんなところで立ち話ではきちんと話せないわ。中へどうぞ――」
そう言って、建物の中へと皆を誘った。
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「この間は、ありがとうございました」
岬は、ふかりとしたソファに腰掛けながら、テーブルを挟んで向かいの悠華に向かってぺこりと頭を下げる。
「私は何もしてはいないわ。少し手助けをしたただけよ。立ち上がったのはあなた自身よ。」
優しく微笑まれ、岬は何となく恥ずかしくなって瞳を伏せた。
「それより――、最後まで一緒にいられなくてごめんなさいね。そしてちょっと、手荒なことをしてしまったせいで、特に麻莉絵ちゃんは、怒っていたでしょう?」
その時、岬の頭に、ひどく憤慨していた麻莉絵のことが浮かんだ。
『手荒なことって、一服盛られたっていうことでしょうか?』という言葉が喉まで出掛かったが、克也が心配しそうなので寸でのところで呑み込んだ。
「本当に悪いことをしたわ。けれど、あのまま帰ってほしくはなかった。あの二人に、どうしても会っていってほしかったの。」
悠華の瞳と岬の瞳がぶつかる。
「御嵩がしでかしたことで、あなたの気持ちが奈津河から完全に離れてしまうことが、怖かったの。」
悠華は辛そうに岬から目を逸らした。
「悠華さん」
岬は驚いた。
あの二人のもとに運ばれたことに、そんな意味があったとは。
確かに、あの二人とあのタイミングで会わなければ、奈津河一族全てが大嫌いになっていた。
「――御嵩があなたにしたことは......決して許されるようなことではないわ」
悠華はぽつりと言った。
少しだけ思い出し、寒気を覚えたような気がして、岬は自分の左手で右腕を押さえる。
「許すとか、許さないとか、そんなんじゃないんです。ただ、怖いんです。もう、二度と顔も見たくない」
克也が、気遣うようにそっと岬の肩を抱いた。そのぬくもりに、少しだけ体の緊張が解ける。
悠華は、そんな二人に目を細めた。
「そんなことになったのは、私のせいでもあるわ。本当にごめんなさい」
怪訝な顔をした岬に、悠華は言葉を続ける。
「私は、あななたちの邪魔をした。その結果、こんなことを引き起こしてしまうなんて思わなかった。いえ――、私は本当はもっと酷いことを考えていたのよ。本当に申し訳ないと思っているわ・・・・・・。」
「なぜ!?なぜ、あなたはあたしたちの邪魔をしたの?」
岬は、うつむく悠華に詰め寄った。
こんなに物腰の柔らかな、あの時岬を助けてくれた悠華が、どうして蘭子を使ってあんなことをしたのか、どうしても結びつけることができないのだ。
「御嵩を――救いたかったからよ......」
悠華は遠い目をして言った。
「私には、癒しの力と、少しばかり未来を『見る』ことができる、先見(さきみ)の力があるの。」
「癒しの力と先見の力......」
岬は、御嵩に襲われた恐怖が、悠華が触れたときにふっと和らいだことを思い出す。確かに、悠華にはそんな力があるのかもしれない。それならば、少しばかり先を『見る』力というのも、本当なのかもしれないと思う。
「ある時、御嵩のことを『先見』で見たわ――。そうしたら、このままでは彼に未来がないことを知ったの。」
「未来が――ない?」
岬は聞き返した。
「そう。その先にあるものは、破滅のみ」
破滅。
鮮烈な言葉に、岬は言葉を失った。
「その先見をしてしまってからというもの――御嵩を救いたくて、方法を探したわ。そのうちに、宝刀の力にまつわるひとつの事実にたどり着いたの」
「宝刀の力にまつわる事実?」
岬は悠華の言葉を繰り返した。
「ええ。奈津河に密かに伝えられる、悲しい物語よ。」
悠華は視線を膝の上で組んだ自分の手に落とす。
「もう何百年も前まで――、宝刀の力は、文字通り宝刀に宿っていた。それは奈津河の屋敷の奥深く、神を祀る社に大切に保管されていたの。でも、ある時事件が起こり、宝刀が壊れ、中の宝刀の力がその近くにいた柚沙という少女の中に取り込まれてしまったの。」
岬はとっさに克也を見た。
それは以前、似たようなことを克也にも聞いた気がする。
「ここまでは、竜の長も知っていたようね。その先もご存知?」
悠華の問いに、克也は静かに小さく首を振った。
「俺が知っているのは、その後、その少女が自殺したという話だけだ。少女が宝刀の力を取り込んだまま死んだせいで、奈津河の者の中に突発的に宝刀の力を持った人間が生まれるのだと。」
悠華はふわりと微笑んだ。
「さすが、竜の長ね。――そう。その通り、柚沙は自殺したの。 」
「それはなぜ――」
岬は聞かずにはいられなかった。
宝刀の力の主が自殺したということが、どうしても他人事ではないように思えたのだ。
「宝刀の力が敵方に渡ることを恐れた一族は、柚沙を幽閉した。何より、柚沙の中に入ってしまった宝刀の力がどういうことになるのか、一族の者にも想像がつかなかったから。だから、柚沙を閉じ込めることで、一族の安定を図ろうとしたの。――柚沙は一生、外に出られないことが決められてしまった。――そんな柚沙の身を憂えた柚沙の恋人は、年に一度見張りが手薄になる日を狙って、柚沙を助け出し、駆け落ちしようとしたの。」
悠華は岬と克也を正面から見た。
「けれど、それを許さない柚沙の兄が、二人の前に立ちはだかり――。柚沙の恋人と闘いになってしまった。」
悠華は眉を寄せて瞳を閉じる。
「自分のために二人が争うのを見ていられなかった柚沙は、ある決心をするの」
「決心......?」
岬はつぶやいた。
「宝刀の力を封印することを」
「封......印?」
岬は呆然と繰り返した。
この忌まわしい力――、それを封印できる方法があるとは。
もし今、それができれば、これ以上この力で傷つく人がなくなる。
「封印、封印なんてことが、できるの!?」
嬉々として岬は身を乗り出した。
だが、喜びを隠せない岬の横で、克也は腕を組んで渋い顔をしたままだ。
「宝刀の力を封印しようとした者が死を遂げた。だが、今も宝刀の力はこうして岬の中に存在している。ということは――、その少女が封印に失敗したということになる。」
克也の言葉に、悠華はため息をついた。
「そういうことに、なるわね」
「単刀直入に訊く。宝刀の力を封印する方法とは?」
ストレートに克也は聞いた。
「竜一族の長のあなたに私からそれを言えと?」
静かに、冷ややかな笑みをたたえて悠華は克也を見据えた。
克也もひるむことなく見返した。
「――封印が失敗したということと、その少女の命が絶たれたということは、関連があるんじゃないのか?」
克也の鋭い視線に、悠華は肩をすくめた。
「ごまかせないのね。さすがだわ。」
その言葉に、岬も動きを止めた。
「その通りよ。封印は――、宝刀の力を完全に封印するには、岬さんのように、力を宿すことができる『守り人(もりびと)』一人の命と引き換えにしなければならないの。」
一旦言葉を止め、少し間をおいてから悠華は再び口を開く。
「しかも――、並外れた再生の力を持つ宝刀の力は、『守り人』の命をもって一旦封印しても、そのままでは再び蘇ってしまう。だから力を持った者が自分の命とともに封印し、さらに転生の輪から外れなければならないわ。そのためには、『守り人』が自分で現世への未練と来世への執着を完全に断ち切らねばならないの」
今度は克也がため息をつく。
「やはりな......。封印の方法があるなら既にその方法を取るものがいてもおかしくない。それがないということは、まず普通なら取ることができない方法だということだ。」
岬は再び呆然とした。
宝刀の力が封印できるものだと分かったことは大きな収穫だ。だが、それが自分の命と引き換えでなくてはならず、なおかつこの世にも次の世にも未練を残してはいけないというのだ。
希望が見えたと思った途端、奈落の底に突き落とされたようだった。