間者の告白(5)
「岬さん、私は以前――、あなたが、御嵩のもとにいてくれたらと願っていたわ。私が先見で視たものが現実にならないように」
憂いを帯びた悠華の瞳がゆるりと閉じられた。膝の辺りで組まれた指が小刻みに揺れているのに岬は気づく。
「このままでは破滅、って......一体、どんな未来を――視た、というんですか?」
岬の問いに悠華は瞳を開いた。
「――宝刀の力によって――、消滅する御嵩の姿よ」
岬は息を呑んだ。
それはつまり、また自分が人を手にかけるということ――。
「――先見で視たことは、絶対に現実になってしまうんですか?――どうしても、変えられないこと、なんですか?」
岬は呆然と聞いた。
それを見つめて、悠華は自分の指に視線を落とす。
「先見の力はある意味絶対よ。ただ――私は、変えたいと――思った。」
視線の先は変えていないが、岬の瞳に映る悠華の瞳には、強い意志のようなものが見えた気がした。
「ある意味といったのは、『駒が動かなければ』という前提でのことだからよ。変えられるか、そうじゃないかと問われれば、その答えは『変えられる』よ。でも、駒――実際に動くのが人間である以上、意思を持っている以上、簡単に動くものではないわ。一度引き離しても再び惹かれあった、今のあなたたちのようにね」
岬と克也は目を見合わせた。
「動くのは人間ゆえに――、先見で視たことは容易には覆せない。それが、先見の力が絶対と言われるゆえんなのかもしれないわ」
悠華は静かに笑った。
「私は――蒼嗣くんの存在が邪魔だった。」
伏し目がちに、だがはっきりと口にした悠華の言葉に、その場の空気がぴんと張り詰めた気がした。
「御嵩は宝刀の力を諦めない。竜一族を追い詰めることを止めることもない。岬さんが蒼嗣くんを想っている以上、このままでは、先見で視たことが現実になってしまう、そう思って――。」
「だから、邪魔をしたというわけか。」
克也は冷ややかに告げる。
「それならば、まず何より――中條御嵩の方を変えるべきだ。婚約者なら、そっちの方がよほど簡単なんじゃないのか」
克也の言葉に、悠華の表情から笑みが消える。それを見ながらも克也は続けた。
「俺は、進んで争いたいわけじゃない。もちろん一族の中には好戦的な者もいる。だが、もし奈津河も変わるならば、その動きだって抑えてみせる。」
きっぱりと言い切る克也に、悠華は寂しげな瞳で微笑み、首を振った。
「私が、彼に――御嵩に愛されていたなら――、それができたのかもしれないわね。――先見の結果は――もちろんすぐに御嵩に言ったわ。だから考えを変えてほしいって。......けれど、あの人はそれを受け止めてはくれなかった......。当然よね、私は、姉の代わりでしかないんだから。」
悠華の一言に、岬も克也もはっとして悠華を見つめた。
「代わり?」
岬は聞き返した。
「そうよ。あの人が、御嵩が本当に愛しているのは私じゃない。愛しても手に入れられない姉の代わりに、手近にいる、似たような容姿の私を婚約者にしただけ。」
どこか遠くを見るような目で悠華は言った。
「そんな......」
岬は思わずそう口にした。
確かに、麻莉絵たちの言動から、御嵩は婚約者とは親密ではないと感じてはいた。けれど、まさかここまでとは。そして、明らかになった悠華の姉と御嵩のこと......。
今まで一枚岩と感じていた奈津河一族にも、複雑な事情があるのだと、岬は驚いた。
「――そして、もうひとつ――私が御嵩を変えられない理由がある」
悠華は再びゆっくりと口を開いた。
「御嵩の中には、御嵩の意思とは別に、別の意思を持ったものが存在しているわ。」
思いもかけない言葉に、岬は克也と目を見合わせる。
「別の意思を持ったもの?」
岬の言葉に悠華はうなずいた。
「過去の亡霊よ。かつての恋人を探して取り憑いているの」
岬ははっとした。
「それってもしかして――、さっきの話に出てきた柚沙っていう少女の――」
「ええ。柚沙の恋人だった――和馬(かずま)という男よ。和馬は柚沙の死を受け入れられず、ただ、目の前から消えてしまった柚沙の魂だけを今でも探し続けているわ。」
「それって――、御嵩さんが和馬さんの生まれ変わり――ってことなんですか?」
岬の問いに悠華は首を振る。
「そういったものではないわ。執念とでも呼ぶものかもしれない。生まれ変わるためには、本人が一度死を受け入れないといけないのだけど――和馬の場合、肉体の死は迎えても、魂がそれを受け入れず、いまだにこの世に留まっているの。」
「要するにユーレイってことですか?」
岬の一言に悠華は口元をほころばせる。
「そうね、そんなところね。和馬は、柚沙と関わりの深い宝刀の力を手に入れれば何かが変わると思っているのかもしれない。その魂からはただ、宝刀の力への強烈な執着が感じられるの。その執着が、御嵩の心と同調しているのよ」
「それで?結局あなたはどうしたい?何を岬に伝えたいんだ?」
克也が口を挟んだ。
悠華の表情が曇る。
「そう、ね。そうだったわね......そのために呼んだのだったわ」
悠華は居住まいを正した。
そして、一度立ち上がると――
岬に向かってその場に跪いた。
「ゆ、悠華さんっ!?」
予想外の悠華の行動に、岬は慌てた。
そんなことしないで――、と言おうとして、次の悠華の言葉に岬は凍りついた。
「岬さん――!どうか、どうか御嵩を殺さないで――!」
『殺さないで』という強烈な言葉が、岬の心に突き刺さるようだった。
自分が、人殺しだということを、嫌でも思い出されてしまう言葉。
ぎゅっと拳を握り締め、しばし言葉を失う。
「あなたは、岬に対してどんなに残酷なことを言っているのか、自覚があるのか?」
克也がきっと悠華を睨みつけた。
「ええ、分かっているわ......それを承知でお願いしているのよ」
岬は両手を胸の前でぎゅっと重ねる。手が、小刻みに震えた。
心の中で押し殺していた感情があふれ出すのを感じる。
「あ、あたしだって、こんな力、使いたくないです......!でも、でも......それを許してくれないのは、中條さんの方じゃないですか!」
岬は声を荒げた。
「分かってる!分かってるわ!だから、だからこそ!どうしてもお願いしたいの!あなただけ、あなただけが、頼みの綱なの!」
悠華も顔を上げ叫んだ。
悠華を気遣うように、肩に蘭子が触れる。
「あなたの心につけいるような言い方をして、卑怯だって分かってる、でも私は、御嵩が生きていてくれるなら、卑怯者と罵られても構わない。たとえ一族から裏切り者と言われても、――御嵩に嫌われても――、助けられる希望が少しでもあるならその可能性を捨てない!そのためなら――敵にだってすがるわ。」
悠華は絨毯を見つめながら独白のようにそう口にした。
「岬さん、あなたなら、この気持ち分かってくれるはずだわ。もう、なりふり構っていられないのよ。御嵩は、動き始めてる。このままでは、御嵩は――!お願い、岬さん、無理な願いだってことは十分承知しているわ。けれど、どうか御嵩を、御嵩を助けて......!御嵩を失いたくないの。他には何も望まない!」
悠華は両手で顔を覆った。気まずい沈黙が流れる。
岬は瞳を閉じた。
愛する人を守るためなら何でもする、という悠華の心からの願いに、自分の克也への想いがシンクロするようで、胸が苦しい。
「――お約束は、できません。」
そう言ってうつむく岬を、悠華は呆然と見上げた。
「けれど――努力は、してみます。それだけしか、今は言えません――」
それが、今の岬の、精一杯の答えだった。