間者の告白(6)

 帰る間際、岬はお手洗いに行くために、案内役の蘭子と共に部屋を出て行った。
   
 期せずして部屋の中で並んで立つことになった克也と悠華だが、渋い顔をしていぶかしむような視線を送る克也に、悠華は苦笑した。
  「そんなに彼女が心配?大丈夫、もう私にはあなたたちの邪魔をするメリットはないのは分かっているでしょ。きちんと戻ってくるわ」
   
  「いや......そういうことじゃない。」
 克也は視線を少しだけ彷徨わせたが、やがてゆっくりと悠華を見据えた。   
  「岬は、人を疑うことを知らない。だが――、俺は純粋にあなたの話を信じるには複雑な生い立ちをしすぎている。俺が、岬に入れ知恵をして、あなたの願いを退けるように言ったらどうするつもりなのか?」
 克也の問いに対し、悠華は優雅に、しかし不敵に笑った。
  「あなたは確かに御嵩にとっての脅威ではあるわ。ただ、あなたは、岬さんの意思を無視はできない。違うかしら?」
 悠華の答えを聞いたその瞬間、ふっ、と克也の顔に自嘲的な笑みが広がる。
  「確かに。あなたの着眼点は恐ろしいほど的確だ。そしてあらゆることに鋭い。――なぜ、中條があなたを選ばないのか、不思議だ。」
 克也の言葉に、悠華は少しだけ視線を足元に落とした。そして再び顔を上げる。    
  「ありがとう。褒め言葉として受け取っても構わないのかしらね?けれど、人の心が打算だけで動くわけでも、また打算が全くなくて動くのでもないということを、あなたは良く知っているのではないのかしら」
  「――そうだな。」
 克也は思わず視線を逸らした。    
 心の深淵を見つめるような悠華の瞳に、何とも言いがたい恐怖を感じたのだ。どこまでこの人には『視えて』いるのだろうか、という恐ろしさ。
 少しだけ未来を視ることのできる、先見の力を宿しているせいだろうか――、悠華は人間の真の姿を見る力があるのではないだろうか、と思わせる何かがあった。神秘がかったその瞳に射抜かれれば、見られたくない心の奥底にあるものも全て丸裸にされてしまうのではないかという気さえする。
 それでいて、悠華自身は非常に謎めいていて、本当の姿が見えないのだ。その不気味さ。   
 ――中條御嵩もそう思うことがあるのだろうか。
 悠華を遠ざけるその理由もそこにあるのかもしれない、なぜか急にそんな気がした。
    
   
 逸らしていた視線を戻すと、克也は問うた。
  「もうひとつ、どうしても聞きたいことがある。あなたは――俺が竜族の長だということを中條御嵩に知られるより前に知っていた。それはなぜだ?」
   
 悠華は謎めいた微笑を返す。
  「それは決してあなたが心配するような――奈津河の筋から伝わったものではないというのは断言できるわ。でも、私が言えるのはここまで。これ以上はお互いのためにならないわ。私にとってもあなたにとっても。」
   
 『あなたにとっても』の意味を図りかね、克也は眉を寄せた。   
 しかし、克也が考えることを遮るように悠華が再び口を開く。
   
  「私にも逆にあなたに聞きたいことがあるの。――あなたはさっき、『進んで争いたいわけじゃない。奈津河が変わるならば、一族の中の好戦的な動きを抑えてみせる。』と言ったけれど、その言葉に嘘偽りはないのかしら。――争いを止めるには、奈津河も竜も互いに犠牲者を出しすぎている。恨みの連鎖は複雑に絡み、少々の策ぐらいでは止められないと思うのだけど。」
   
 克也は唇を引き結んだ。
 それが難しいことは自分にも良く分かっている。
 近しい者の命が理不尽に奪われれば、奪った者を憎む。そして敵を討ちたいと願う。それは人間として当然の感情だ。止めようとして止まるようなものなら、一族から、いや、世界中から争いがなくなっている。
 けれど、だからといってそのまま、奪い、奪われるこの状態を何もせず放っておくわけにはいかない。
   
  「――だからこそ、だ。新たな憎しみや悲しみを生まないために、これ以上の犠牲はお互いに出すべきじゃない。俺は――、難しいからといってこの異常な状態を放置することはできない。綺麗事じゃなく、俺は、岬との未来をを捨てたくないから。」   


 この状態のまま何もしなければ確実に自分も岬も、複雑な恨みの連鎖に絡め取られていつか命を落とす。自分は竜一族の長であるため、そして岬は自らの意思とは無関係にその身に宿す力のせいで、多くの憎しみの矢面に立たされる存在だから。
   
 けれど自分は、奪ってしまった命への償いの方法を模索しながらも、それでも岬との未来を諦めたくないのだ。
 世の中全ての争いを止めることはできない、けれど自分の手の届く範囲なら――一族の争いのことならば、こんな無力な自分にも何かができるかもしれない。
   
 その言葉に、悠華は満足げな表情で微笑んだ。
  「そうね......。――っ......!」
 瞬間、悠華の表情が歪み、頭を片手で押さえてよろめいた。
 思わず克也は手を伸ばし、その体を支える。
 悠華はこめかみの辺りを指で押さえ、苦しそうに呻いた。少しだけ、そのまま動けない様子だったが、やがて息を整え、掴んでいた克也の腕を離した。
    
  「......大丈夫なのか?」
 克也が見下ろすと悠華は少々無理している様子ではあったが微笑んだ。
  「ごめんなさい......、よくあることなの。少々厄介な病気を抱えていてね。」
  「病気?」
 怪訝な表情の克也。
  「といっても、命に関わるようなことではないのよ。でも、厄介な症状よ......」
 視線を遠くに移し、悠華はぽつりとつぶやいた。
   

   
   ■■■   ■■■
   


車を玄関に回すために、悠華は一人で車庫に向かっていた。
  「なかなか『悠華』が替わってくれないから、久々に少々手荒な替わり方しちゃったよ。」
 足早に向かいながら、そう独白し、にやりと笑う。それは先ほどまでのゆるやかな微笑みではない。
  「甘いね。」
 思わず、クク、と篭った笑い声が漏れる。
  「甘い、甘すぎて反吐が出そうだ」
 先ほどまで『悠華』だったものが、今は雰囲気が変化している。
   
  「確かに、少しは物事が『判る』みたいだけど、こっちから見たら蒼嗣くんもまだまだヒヨっ子ちゃんなんだなあ。かわいいなあ。」
 言葉とは裏腹に瞳が鋭くきらりと光る。
   
  「おかげでこちらは、あちらの命を自由にできる権利をいただいちゃったけど」
 そう言って立ち止まり、目の前に手のひらをかざすと、手の中に蒼い炎が出現する。

  
 それは『生命のかけら』とも呼べる、魂の一部を抜き取ったもの。
 抜き取る側のさじ加減によっては、抜かれた方の命さえ失われる。

   
  「蒼い光、かあ。魂の色はその人の力の色にも関係するっていうけど、本当なんだ。綺麗だなあ。さすがは竜一族のお坊ちゃん。」   
 うっとりとその光を眺め、はたと何かを思い出したように動きを止める。
  「そういえば、お嬢ちゃんに蒼嗣くんには手を出さないように言われてたんだっけ。――これって約束破ったことになるのかなあ。ま、気づかれなかったし、今は『まだ』何も悪さはしてないから、いいよね。」
 自分で勝手に納得して再びにやりと笑う。
      
  「さあ、お手並み拝見といきますか。竜一族の長と、そして忌まわしい力の持ち主が何を見せてくれるのか。しばらく高みの見物させてもらいましょ。」
 手のひらからすっと炎が消える。悠華の体の中に吸い込まれた『生命のかけら』は来たるべき時までそこで眠るのだ。
   
   
  「『ゆうと』様、そろそろ......」
 いつの間にか後ろに付いていた蘭子が、現在の『悠華』の状態を正確に読み取り、声をかける。
  
  「はいはい。俺は二人を車で送り届けないとね。何しろ『大事な』ふたりだからね」
 『大事な』をわざと大仰に言い、『ゆうと』は車へと向かっていった。

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