計略(1)

 昼ごろ降り始めた雨が、夜を迎えてもしとしとと降り続いていた。
   
 都会の高級マンションの二十二階にある一室。玄関の表札にはローマ字で『NAKAJYO』。奈津河一族の前長の弟である中條 博の長男、中條 幸一(なかじょう こういち)の自宅である。リビングで三人の男が、難しい顔で、テーブルを挟んで膝を突き合わせていた。

  「一体御嵩のやつは何を考えてるんだ。あんなに大きなことをぬかしておきながら、何の動きも見られない。」
 博は苛立った様子で、持っていたグラスを少々乱暴にテーブルへと置いた。

  「所詮、遠吠えに過ぎないのかもしれないな」
 博の様子を横目で見ながら、一歳になったばかりの愛息子の両脇を抱えてあやすのは、幸一だ。その横には彼の妻である真紀が「いくらまだ分からないとはいえ、小さい子供の前でそんな話......」と苦笑いを浮かべている。
   
  「だけど、あいつ、何考えてるか分かんないよ?僕はこの沈黙こそ怖いよ。」
 肩をすくめるのは次男の喜一(きいち)だ。
   
 中條博には三人の息子がいる。上から幸一、次に喜一、そして利一である。
 幸一は博と共に中條グループ企業を切り盛りし、喜一は都内にある病院の院長をしていた。
 幸一、喜一の二人は、こうして会うことも多かった。そしてさらに去年幸一に息子が生まれてからは、孫を見るという名目で博が、こうして幸一の家に来ることも増えていた。ただし、三男の利一だけは少々変わっていて、めったに中條家の面々に会うことはない。
   
   
  「それでも、このまま御嵩のヤツが何の手も打たずにいたら、宝刀の力が竜のやつらにまんまと奪われてしまうな」
 幸一は息子を妻に預けながらつぶやいた。そして真紀に目配せをして息子を連れて別室に移るように促した。察した真紀はホッとしたように息子を抱いて部屋を出て行った。
 その様子を見送りながら、博も同調する。
  「確かに、その事態だけは避けないとならん......」
   
   
 しばし考え込んだ後、幸一がおもむろに口を開いた。
   
  「なあ、宝刀の力って、確か他人も制御可能じゃなかったっけ?」
 その言葉に、博は忌々しげに自分の顎を乱暴になでる。
  「可能は可能だが、誰にでもできるわけじゃない。守人(もりびと)の意識を混濁させた上で、残った意識をこちらに向かせて宝刀の力を制御せねばならん。さじ加減の非常に難しい術だ。むやみに手を出せばこちらが宝刀の力の餌食になる」
   
 そんな博に、幸一は可笑しそうに肩を揺らした。
  「親父。現代は科学の時代だよ?いつまで古いやり方してるんだよ。要は『守人』の意識を混濁させた上で、こちらの言うことだけを聞くようにしむければいいんだろ?今の医学を使えばそんな状態いくらでも作り出せる。なあ、喜一?」
 薄ら笑いを浮かべ、幸一は喜一を見て面白そうにグラスをもてあそんだ。
   
 兄の言葉に心底困ったような表情で、喜一はは肩をすくめる。
  「おいおい......話を僕に振るなよ。僕はそんなことに関わるのは嫌だよ。医者は人の命を救うのが仕事なんだから......」

 そんな喜一を冷ややかに見つめ、幸一はため息をつく。 
  「相変わらずお前は臆病だな。――もちろん、人命は大切だ。ただな、今回だって何も人殺しをするわけじゃない。ただ、あの娘には一生、三途の川が見えるお花畑を彷徨ってもらうだけ。たとえそれで廃人のようになってしまっても、力が失われない限りは大事に大事にこちらで面倒を見てやるんだしな。」
 クック、と幸一は残忍な笑みを浮かべる。
   
  「喜一、お前、やらないなんて言わせないからな。それが中條家に生まれた者の義務だ。それとも――中條からお前の病院への資金援助を打ち切っても良いのか?」
 幸一の言葉に、喜一はぐぐっと言葉に詰まる。
 中條からの資金援助を打ち切られたら、自分が院長を務める病院は色々と苦境に立たされることになる。大事な病院を盾に取られては、喜一はうなずくしかなかった。
  「......分かったよ......。ただ、その代わり何があっても僕や病院には影響が及ばないようにしてくれよな。」
   
 喜一が渋々といった様子で承諾するのを確認し、博は語りかける。
  「分かっておる。――恨んでくれるなよ、喜一。もしも俺や幸一が宝刀の力を手にすれば、御嵩を出し抜くことだってできる。そうなればもっと多額の資金をお前に回してやる。あんな愛人の子供にこのまま大きな顔をさせておくのは面白くないからな。――血筋的にはこちらの方が正当な後継者なのだから。――まず問題は、守人をどうやってこちらにおびき寄せるかだな」

  「それについて、ひとつ考えがある。」
 幸一が再びにやりと笑った。

   

   ■■■   ■■■

   


  「そういえば、もうすぐ、圭美の誕生日だね」
 昼休みの学食。学生たちのざわめきの中、窓の外の雨を見つめながらおもむろに晶子がつぶやく。
 先日梅雨に突入したせいか、ここのところ毎日雨続きだ。昼間でも薄暗い空を見ていると、岬も何だか気分まで沈んでいきそうだった。
   
 ――そういえば、去年の今頃はまだ何も起こっていなくて、晶子の家で誕生パーティーをしたっけ、と岬は思い出す。
 それを契機に様々なことが頭の中を行ったり来たりし、どんよりとした重さが自分の心にのしかかる。

 深刻な表情でうつむいてしまった岬を気遣うように、晶子はそっと隣に座り、ぽんぽんと肩をたたいた。
  「ごめんね。色々と思い出させちゃったね......」
 晶子が知っているのは、圭美が現在のように植物状態になってしまったということ。そしてその直前まで、岬と圭美と克也との間に不安定な空気が流れていたということだけで、一族の間のことは全く知らない。けれど晶子は、克也とくっついた岬が圭美に対して抱いていた罪悪感も、圭美の複雑な心のうちもきちんと理解している。それだけでも岬には十分な理解者だった。
  
  「こっちこそ気を使わせちゃってごめんね、晶子。」
 友達のぬくもりのおかげで心にほんのりと明かりがともり、岬は自然に笑えた。
 そんな岬に、晶子はホッとしたように小さく息を吐く。
  「今年も......誕生パーティーは無理にしても、何かやりたいな。ささやかなパーティ、誕生会、ってぐらいの規模のやつを圭美のところでやっちゃおうか?あ、でもあの病室でやるって一応病院の人に言っておいたほうがいいよね」
 晶子の明るい提案に、岬の心も晴れてくる気がした。
   
  「とりあえず、病院に行ってみる?」
 岬は笑顔で言うと、晶子もノってきた。
  「そうだね!」
 その場に二人の明るい声が響いた。

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