計略(2)

 昼休みの終わり。晶子と教室へ戻る途中で岬は、男友達と話しながら戻ってくる克也を見つけた。
   
 軽く手を振る岬に、克也も微笑みを返す。
   
 一時期は色々なうわさが飛び交った岬と克也のカップルだったが、渦中の一人である蘭子が先日から学校に出てきたことと、岬と克也があまりにも自然に接しているために多くの者が毒気を抜かれたというのもあり、事態は収束に向かおうとしていた。
   
  「あ、待って、克也!」   
 いつもなら、その程度の挨拶でそのままお互いの教室へ入るところだが、今日は岬が克也を呼び止めた。
 圭美の誕生日会についての確認に、その日の放課後に晶子と一緒に病院へ行くことになったが、克也にも声をかけてみようと思ったからだ。
 歩みを止めた克也に、克也の友人と晶子は先に教室に入っていく。

 『呼び止めちゃってごめんねー』と言いながら、岬は克也のもとに走り寄った。
  「あのね、今日学校が終わったら、あたしと晶子で圭美のところに行くんだけど、克也も一緒に行かない?もうすぐ圭美の誕生日だし、病室でささやかなお誕生日会をしたいと思ってて。ただ、一応病院内だから許可もらいに行くんだけど」
 岬の誘いに、克也は途端にすまなそうな表情になった。
  「ごめん、引越しのための荷造りがまだ全然まとまってなくて......。もう明後日だし、今日はちょっと気合入れて片付けないと......。学校が終わったらすぐに帰らないといけないから、今日はこの後会えないかもしれない」
   
 『あ、そうか......』
 克也が久遠の家に越すのは、もう明後日。
 心のどこかにはいつもあっても、なるべく考えないようにしていたのだが、こういうことを聞くとどうしても心に冷たい風が通り抜けるような気がする。
      
  「ごめん、岬。今週が過ぎれば少しは時間が取れるようになると思うから......」
 暗くなってしまった岬の表情を少し誤解して謝る克也に、岬も慌てて笑みを作り、『気にしないで』というように、目の前でぶんぶんと片手を振った。
  「ううん、逆にこんな時に考えなしに誘っちゃってごめんね。あ、ほら――晶子もいてくれてるし、今日は聞きに行くだけだから!」
 わざと軽く言うことで努めて明るく振舞おうとしたのだが、どうしても岬の心に寂しさがこみ上げる。
   
  「ほんとに引越ししちゃうんだよね......。」
 岬の言葉に、克也も視線を落とす。
  「学校で毎日会えるし、別に牢獄じゃないから休日にでかけることだってできる。今よりは出づらくなるのは確かだけど、岬のためなら抜け出してでも会いに行くよ」
 いたずらっぽく微笑む克也に、岬にも笑みがこぼれる。
   
  『克也も忙しいんだもんね。今はできるだけ克也の邪魔しないようにしないと』
     
 ひととき、視線を絡ませた後、岬は伸びをした。
 気持ちを切り替えて息を吐く。
   
  「――じゃあ、そろそろ教室入るね。」
  「うん」
  「じゃあ、また」
      
 そう言って小さく手を振る。そして、岬が踵を返したその瞬間――、
     
  「っ、岬――!」
      
 克也は岬の姿に胸騒ぎを覚え、思わず呼びめた。
 だが、岬が振り向いた時には、もうその感覚は消えていた。
   
  「――いや、なんでもない。」
 気のせいだったのかと思い直し、小さく微笑む。
   
  「なに?もうー!」
 岬は笑って克也に手を振り続けながら、隣の教室へと消えて行く。
   
 克也はその光景を見つめながら、先ほど尚吾からメールが来ていたことを思い出していた。尚吾は引越しの手伝いで、久遠の家とアパートを行ったり来たりして色々動いてくれていた。荷物のことで聞きたいことがあるから、学校が終わったらすぐに連絡が欲しいとのことだった。
 岬とできるだけ一緒にいたいのはやまやまだが、こうして周りで動いてくれる人がいる限り、自分の思いばかりを優先してはいられない。   
 そのまま克也は、少し前に感じた違和感に蓋をしてしまったのだった。
   
 そして放課後も、岬のクラスのホームルームが長引いたことで、先ほどの克也の言葉通り、その日は岬と克也が会うことはなかった。
   
   
   ■■■   ■■■
   
   
 病院に着いた岬と晶子は、入院棟のエレベーターで七階へ向かった。
 ずっと寝たきりの圭美の病室は動きがないため一番奥手にある。二人はまず、圭美のところに行ってから、病院のスタッフに話をしようということにしていた。

 『大島 圭美』と書かれた札を岬はぼんやりと目にする。
 実は岬がここに来るのはずいぶんと久しぶりだった。前にここに来たのは一月だ。その後、蘭子の騒動や一族のごたごたで、まともな精神状態ではなかった自分。ここに来れば否応なしに克也を思い出してしまうから、来られなかったのだ。
   
 中に入ると、状態が安定しているのか、最低限の装置だけをつけた圭美の姿があった。
  「圭美ー!おひさー!来たよー!」
 晶子のちょっと間延びした明るい声が響く。
 岬は晶子の半歩後ろに付いていた。
   
  「あたし、ちょっとお手洗い行ってくる、ちょっと待ってて」
 荷物を岬に手渡しながらおもむろに晶子が言う。
  「了ー解ー」
 岬が答えるのを待って晶子は病室を出て行く。
      
 晶子が出て行ってしまうと、余計にこの部屋の静かさがしみる気がした。
   
 ゆっくりと岬は圭美のベッドに近づく。
 自分の記憶にある姿のまま、きれいな圭美の姿。思わず岬はしばし見とれた。もともと綺麗だった圭美だが、今では日に焼けないために余計に肌の白さが際立つ。

  「ねえ、圭美......、しばらく来られなくて......ごめんね」
 ベッドのそばの椅子に晶子の荷物をそっと置くと、そっと圭美の手に触れる。
   
  「色々ショックなことがあって......、自分の気持ちも見失いかけてた。――でもね、もう、逃げないって決めたんだ。」
 自分の中の決意だが、こうして圭美にだけは伝えておきたかった。
   
  「あたしね――、蒼嗣の――」
 そこで岬は言葉を切る。
 今まで岬は、圭美の前では克也のことを、圭美がこうなる前のように『蒼嗣』と苗字で呼んでいた。名前で呼ぶことは、親しさを強調するような気がして、言えなかったのだ。
  「ううん、もう逃げないって決めたから、ちゃんといつもの通り呼ぶね......。あたし――克也――のこと、本当に大事なの。好きで好きでたまらないの、役に立ちたい、失いたくない――。」
 言いながら、岬は自分の瞳に涙が溜まってゆくのを感じていた。色んなことが頭の中を行ったり来たりする。圭美とのこと、克也への想い。全てが混ざり合って、涙が止まらない。
 あの時に、こうして圭美の前で自分の気持ちを正直に言えていたら、少しは何かが変わっていたのだろうか。

   
  「誰にも、この気持ち、負けない。――ごめんね、圭美にも、もう譲れない。もしこれから、圭美が目を覚ましても、もう譲れないからね」
 流れる涙はそのままに、岬は笑う。
 あれから半年以上経って、自分はようやく圭美の前で素直になることができたのだ。
   
 その時――圭美の顔を見て岬は驚きに息が止まるかと思った。 
     
  「圭美?」
   
 一瞬、圭美の表情が動き、微笑んだように見えたのだ。
   
 目をしばたたかせ、岬は顔を近づける。
 だが、今見てもそんな様子は見られない。

  『気のせい?――でも、今、確かに......』
   
 そう思ったその時、聞きなれない声が背後から聞こえてきた。
      
  「この病室を見張れとは言っておいたが、まさかこんなに早く網にかかってくれるとはね」
  
 振り向くと、そこにはグレーのスーツ姿の男が立っていた。髪型は前髪を横に流したショートスタイルで、大人の男の雰囲気を漂わせている。身長は男にしてはそれほど高くはないが、小さめな岬にとっては十分威圧感を感じる。否、威圧感を感じるのは身長のせいだけではないかもしれない。男からは、いるだけで高圧的な空気が強く伝わってくる。

  「しかも今日は竜のお邪魔虫がいないときた。余計な手間が省けるというもの。実にありがたい」
 男は笑って心底愉しそうに目を細めた。
      
  「――誰!?」
 圭美を背にして岬は叫んだ。目の前の男には生理的に嫌なものを感じる。
   
  「俺か?俺は、中條幸一。中條御嵩の従兄――といえば分かりやすいか?」
 『御嵩』の名前を聞いて、岬は体の芯が冷えるのを感じた。

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