計略(3)
高層ビルが立ち並ぶオフィス街。
そんなビル群の中の中條エンタープライズの本社ビルの社長室。
御嵩は判を押した書類を、積み重なった山の上に置くと、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
不意にドアをノックする音が聞こえ、御嵩は体を起こす。
「どうぞ」
すると、秘書の男性が顔を出し、一礼した。
「中條麻莉絵様がいらしています。社長にお会いしたいと」
「麻莉絵が?」
彼女に課していた仕事を思い、『やはり』と思う。
「社長はお忙しいと一度はお断りしたのですが、火急の用のようでどうしてもとおっしゃって――いかがいたしましょう?」
「通せ」
間髪をいれずに御嵩は答えた。
ほどなくして、息を切らせながら麻莉絵が飛び込んできた。
「御嵩様!緊急事態ですっ!!」
相当急いできたのか、はあはあと肩で息をしている。
御嵩は麻莉絵の背中をそっとさすり、近くの椅子へと座らせた。少しの間息を整えると、麻莉絵は口を開いた。
「――『彼ら』が動き始めました。彼らは岬を――手に入れるつもりです」
それを聞いた御嵩は静かに微笑んだ。
「今も彼らの動向は、将高が見張っているのかな?」
麻莉絵はうなずく。
「それと分からぬように、気配を消して付いているはずです。」
「そうか」
御嵩は満足そうに瞳を閉じる。
「おそらく今日中に何かが起きるはずです。あたしたちはどうすれば、いいですか?」
麻莉絵は御嵩を見上げる。
「麻莉絵は、どうしたいの?」
まるで小さい子供に聞くように御嵩は言った。
「あたしは――、岬を、助けたい、です。あんな、心の汚い人たちに岬がいいように扱われるのは――耐えられません!」
そう言って麻莉絵は自分の手を見つめ、ぎゅっと拳に力を入れる。
体全体で怒りを表す麻莉絵に、御嵩は再び微笑んだ。
「麻莉絵らしい答えだよね。だから、僕は麻莉絵が大好きなんだよ。」
優しく麻莉絵の頭に触れる。
「麻莉絵は麻莉絵らしく、自分の気持ちに正直に行動してごらん。君の目的を達するために、どんな手を使って、どんな人に味方をしても構わないよ。例えそれが普通では考えられない方法だとしてもね。何があっても、僕が責任を持つから」
「――どんな手を使っても?」
麻莉絵は言葉の真意をつかもうと、御嵩の顔を見上げた。
「そうだよ。――今回の事態は僕にとっても好ましくないものだ。今回のような時、直接僕が出て不穏な動きを治められればいいんだろうけど、立場上動けない。今、僕が出て行けば奈津河一族全体の混乱を引き起こしてしまうからね。だから麻莉絵は、『今動ける人の中で、一番岬のためになる人』を味方につけるといい。」
御嵩の言葉に、麻莉絵は姿勢を正した。真っ直ぐに瞳を見つめる。
「――味方につけるのはどんな人でも構わないと?――たとえばそれが、いずれは奈津河一族にとって仇なすであろう人物たちでも?」
「おや?麻莉絵はもう見当をつけているのかな?ずいぶん具体的だね」
面白そうに御嵩が問い、麻莉絵は「ええ、まあ......」と言って意味ありげな笑みを返す。
「そう。それなら、もう迷うことはないね?先のことは先に行ってから考えればいい。重要なのは、麻莉絵が今、岬を助けたいと思っていることだからね。」
「――ありがとうございます」
麻莉絵は深々と頭を下げた。
部屋を出る間際、ドアノブに手をかけた麻莉絵は、一度立ち止まった。視線もドアに向けたままで口を開く。
「――ひとつだけ、確認したいんですが――、最終的に『彼ら』は助けるべきでしょうか?」
自分がこれからしようとしていることの果てに、『彼ら』の命の保障はない。お互いに向く方向が違っていても一応『彼ら』は同じ奈津河一族だ。御嵩がそれについてどう考えているかによって、自分の最終的に取るべき行動が変わってくる。
「必要ないよ。――やられるということは、それだけ力が弱いということだ。あの者たちは本来、僕にとっては不要。自らの失態で自滅するのなら、僕は知ったことじゃない。」
きらりと御嵩の眼光が光る。
「将高には引き続き『彼ら』――中條幸一たちの監視を続けてもらうように、君からお願いしてくれるかな?」
「――なんで命令じゃなくてお願いなんですか?」
「『彼ら』を監視してもらうためにしばらく学校も休ませちゃってるし......、それにホラ、この間の一件以来、僕は将高に嫌われちゃってるからね」
肩をすくめる。
「あの不敬者にはよーく言って聞かせます」
大げさにため息をつく麻莉絵に、
「将高も、将高らしく、そのままでいいんだよ。そんな君たちだからこそ、僕は好きなんだ」
と、御嵩は楽しそうに笑った。
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「――御嵩さん、に言われてここに来たの?」
冷や汗が背中を伝うのを感じながらも、岬はそう問うた。
そんな問いに、目の前の男――幸一――はフン、と鼻を鳴らす。
「御嵩?あんなやつは関係ないね」
口先だけではなく、本当に嫌そうに言うところを見ると、本心なのではないかと思う。
「じゃあ、何のために、こんなこと――」
眉根を寄せる岬に、幸一は馬鹿にしたように唇をゆがめた。
「分からないのか?――お前の力を、手に入れるためだ」
その瞬間、なんともいえない恐怖に、先ほどとは違う意味で冷や汗が流れる。
宝刀の力を自由にできれば、この世界を自由にできる。宝刀の力の持ち主である自分の意識を壊せば、宝刀の力を利用して、今ある世界を壊して新しい世界を作ることができると克也は言っていた。それができる可能性を持つのは、竜一族では今、克也しかいないのだと。
だが、奈津河一族では――?
勝手に御嵩しかできないのだと思っていたが、他にもできる人がいるのだとしたら――?
体の芯が震える。その震えは全身に広がっていきそうだった。
幸一はにやにやと笑いながら岬の方に歩いてくる。
思わず後ずさりして、足を圭美のベッドにぶつけてしまい、大きな音をさせてしまった。はっとして後ろを振り返るが圭美は相変わらず静かに眠っていた。その寝顔に少しホッとする。
そんな岬の様子を見ながら、幸一は、意外なことを口にした。
「お前、俺と手を組まないか?」
岬は自分の耳を疑った。何を言っているのか理解できない。
「何を言ってるの?あたしはあなたに協力するつもりはないから」
幸一をきっと睨みつける。
「――お前は御嵩のことを良くは思ってないんだろう?俺たちと協力して、御嵩を長の座から引き摺り下ろしてやらないか?」
「何、言って――、」
「あいつはどこの馬の骨とも知れぬ汚らわしい愛人の子だ。傍系とはいえ、一族出身の父母の元に生まれた俺の方が血筋としては正統だ。一族の長に本当にふさわしいのはこの俺だ」
妙な自信に満ち溢れたこの男はどこかが狂っているように感じ、岬はさらに恐怖感を抱いた。
恐怖感を振り切るように、岬は口を開く。
「誰が奈津河の長になるとか、そんなことあたしには関係ない。あたしにとって大事なのは、克也に害があるかどうかだよ。だからあなたには絶対に協力はしない。あなたが、克也に協力するとは思えないもの」
「克也?ああ、竜一族の長か。敵の長に入れ込んだというのは、本当だったようだな......」
チッと幸一は舌打ちした。
「そこの女――」
そう言って圭美を指差す。
「お前の親友のそいつを、こんな風にしたのは竜一族だろう?竜一族が、憎くないのか?」
「――もちろん、圭美をこんな状態にしたヤツは憎いよ。でも――憎いのは『竜一族』じゃない。」
「巽志朗は竜一族だろう?」
「そう、巽志朗は竜一族だよ。志朗がやったことは許せない。でも、彼と克也は別だもの。」
「巽の裏に竜族の長がいてもおかしくないんじゃないか?お前は、敵の長にだまされているとは考えないのか?」
腕を組んだまま、面白くなさそうに幸一が言う。
「――少なくとも、あなたの言葉より、克也の言葉の方が信じられるから」
岬の言葉に嘘はなかった。
「あたしは、もう決めたの。どんなことがあっても、克也のそばを離れないって」
真っ直ぐな岬の瞳に、幸一は呆れたようにふーっと長い息を吐いた。
「これだから夢見るお子様は、な。愛だ恋が一番最強だとでも思ってるんだろう?――ならば、仕方がないな」
皮肉げに鼻を鳴らすと、幸一はすっと動いた。
『いけない!』
岬がそう思ったときには既に遅く、岬は二の腕をつかまれて、幸一の方に引っ張られていた。
体制を崩し、そのまま倒れそうになるのを、なんとか踏ん張るが、そんな努力など踏みにじるかのように、すぐに幸一の手が伸びてきて、後ろから手首をつかまれ動きを封じられる。
「嫌......!」
逃れようと岬が抵抗の声を上げようとするのを、幸一の無粋な手が遮った。
ツン、とする独特の刺激臭が岬の鼻を襲う。
「な、に......?」
疑問を口に乗せるか否かといううちに、岬は目の前が霞むのを感じた。
口にタオルのようなものを当てられて、逃れようともがくが、後ろ手に手首をつかまれていて動けない。男の腕の力にはかなうわけがなく、その刺激臭が自分の口に当てられているものからしているのだと気づいた瞬間、何も考えることができなくなって、岬の意識はどこかへ飛んでいた。
ぞのまま、重力にしたがって床に崩れそうになる岬を、幸一が抱きとめる。だらりと力なく腕にもたれかかる岬を受け止めながら、幸一はにやりと笑った。