助力(1)
時は少し遡る。
まだ岬が拉致されてから一度も目覚めていない頃、慌てて圭美の病院に駆けつけた克也は、病院の正面玄関で晶子を見つけることとなった。
「井澤――、帰ってろって、言ったのに!」
「岬が誘拐――されたかもしれないっていうのに何事もなかったように家に帰れるわけないじゃない!!」
晶子は『誘拐』のところで周りを気遣うように小声になりながらも、苛立った気持ちそのままに、きっと克也を睨んだ。
今まで動揺していたためにそこまで頭が回らなかったのだが、よく考えてみると確かに、晶子の立場に立てば当然のことだなと、克也は思い直す。
「お前――、岬がいなくなったことを誰かに言ったか?」
「何人かの看護士さんに、聞いたけど......、何も知らないって......」
晶子は今にも泣きそうだ。
克也も近くにいた病院スタッフの何人かに声をかけてみたが、皆、一様に知らないと繰り返す。
『そう簡単に尻尾をつかませてはくれないか――......』
克也は唇を噛みしめる。
圭美の病室に入り、克也は感覚を研ぎ澄ます。何か、誰かの力の片鱗でも残されていれば、と思うのだが、手がかりになるようなものは何も感じられない。というより、もしかすると自分の心の動揺が、術の感度を下げているのかもしれなかった。
「井澤」
克也は傍らの晶子を見た。
「これだけ聞いても誰も知らない、もしくは口を割らないということは、闇雲に探し回っても見つからないと思う。もう少し違う方法で情報を集めないと」
「――そんな!もう少し探したら見つかるかも――」
食い下がる晶子に、克也は首を振った。
「いや――、無理だ。」
「――っ!......蒼嗣くんは、なんでそんなに冷静でいられるのよっ!」
晶子の言葉に克也の表情が固まる。
「ごめん、そんなはずなかったね......」
克也の表情に、言い過ぎたと思ったのだろう。晶子は謝った。
「――いや、井澤が謝ることなんかない......」
少しだけ俯き、克也は言葉を続けた。
「ただ......無理してでも冷静でいないと、事態は変わらないと、思うから......」
「――そう、そうだよ、ね......」
晶子も頷いた。
「圭美......」
晶子は圭美のそばまで寄った。
あの時のようにとはいかなくても、ほんの少しでも何か反応はないかとじっと見つめるが、圭美はあの瞬間がまるで嘘のように、静かに眠り続けている。
「あの、蒼嗣くん......」
晶子が圭美のことを話そうとした、その時――克也が口を開いた。
「そういえば、なぜ井澤は『中條幸一』が岬を連れ去ったと分かったんだ?」
晶子は、圭美をちらっと見る。
「圭美が、教えてくれたの」
「え?」
さすがに、克也も耳を疑う。
「信じられないかもしれないけど......、ホントなの。途切れ途切れだったけど、あたしに分かるように教えてくれた。まるで、岬の危機を知らせるためだけに起きたみたいに、それだけ言うとまた眠っちゃった......」
克也も晶子も同時に圭美に目をやった。
「起きられなくても、もしかすると、大島は、話していることなんかの外部からの刺激を感じられるのかもしれないな......」
克也は呟く。そして、圭美の手をとった。
「――ありがとう、大島。岬は――必ず、俺が、助ける。お前の頑張りを、決して無駄にしない」
克也の呼びかけに、圭美の反応はない。
だが、克也にはきっと圭美は聞いてくれているのだと確信していた。
一度瞳を閉じると、克也は晶子に向き直る。
「井澤、お前を巻き込みたくはなかった。だが、『中條幸一』の名を知っていて、俺と一緒にいたところも見られているかもしれない以上、もう無関係とはいえない。このまま家に帰るのは――危険かもしれない。」
晶子は眉をひそめた。だが、すぐに気を取り直したようにまっすぐ克也の瞳を見返した。
「一体、何が、起こってるの?岬は、なぜ誘拐されちゃったの?もう、こんなことになっている以上、本当のことを教えてくれても、いいよね?あたし、もう無関係じゃないんでしょ?」
克也は少し迷った。
だが、このまま晶子が引き下がるとは思えない。何より、もう晶子をこの問題に巻き込んでしまっている以上、何も話さないことはかえって晶子を危険にさらしてしまいかねない。
「『久遠フィナンシャルグループ』を知っているか?」
いきなり話が変わったように思えたのだろう。晶子はきょとんとした顔をした。
「え?『久遠』って、『久遠銀行』の?」
晶子の言葉を克也は肯定する。
「ああ。悪いけど、俺と一緒にその代表の家に行って欲しい。そこで、何もかも話すから――」
■■■ ■■■
晶子と共に久遠水皇邸に戻ってきた克也は、晶子を邸内の部屋へと案内した。その後、克也は今後のことを水皇たちと話し合うために、久遠邸の中心部であるこの『菊の間』へと移動したので、今はお手伝いの静流が、晶子の話し相手になっているはずだ。
「あーもうっ!今から中條幸一らのとこに乗り込んでやろうか!?」
尚吾が片手でがりがりと自分の後頭部をかきむしる。明らかに苛立っている様子が伝わってくる。
尚吾にとって、今では克也のかけがえのない相手として、克也のことと同じくらい岬のことが大切だった。
その大切な存在が、いきなり理不尽に連れ去られたのだ。
「焦って踏み込んでも知らないと通されるのがオチだ。確実にあいつらを追い詰められる証拠をつきとめなければ」
水皇が諭す。
「そりゃあ、そうだろうけど!こうしている間にももし、岬ちゃんが――!!」
尚吾は声を荒げた。
水皇は、横目でちらと窓の方を見た。
窓際には、外に目をやったままの克也が佇んでいた。この部屋に入ってから一度も口を開いていない。
普段、いかに克也が岬を大切に思っているのかをよく知っているだけに、克也の精神状態が今どうなっているのか、水皇にはとても気がかりだった。
それは尚吾にとっても、基樹にとっても同じだった。
「岬ちゃんを連れていったってことは、やつらの狙いは宝刀の力か。中條御嵩に岬ちゃんを引き渡すつもりなのか?」
尚吾は誰にともなく聞いた。
「それは、あいつらに限ってはないだろうな。中條家は愛人の子供である御嵩を常々快く思っていない。隙あらば中條御嵩の座を奪い、自分たちが奈津河の後継者になろうと目論んでいるようなやつらだ。力は弱いがプライドが高い連中だ。御嵩におべっかをつかうとは考えづらい」
水皇が答える。
「となると、自分たちで宝刀の力を制御するつもりか......」
尚吾はうなった。
「だが、あいつらがそんな力を持っているわけがない。中條御嵩にすら負けたやつらだぞ?」
基樹が声を荒げる。
「克也、大丈夫か?」
ずっと黙ったままの克也に、心配になった尚吾はついに声をかけた。
「――大丈夫だ」
表情は硬かったが、しっかりと答えた克也に、尚吾はひとまずホッとする。
克也は難しい顔で腕を組み、ひたすら一点を見つめていた。
「中條家には、博の次男の経営している病院が、あったな」
視線はそのままで、ぽつりと、克也がつぶやく。
「大島が入院しているのは、俺が知る限り中條家と所縁のある病院ではない。ただ、岬が『病院』という場からいなくなったということは――、病院に何か関係があるような気がしてならない」
「俺も同じことを考えていた」
水皇がそれに同意する。
「宝刀の力を本当の意味で制御できる可能性を持つのは、奈津河では中條御嵩以外にはいない。守人の意識をぎりぎりで壊すなんていう技は、能力を持つ者の中でも限られた者だけだ。そもそも『人の心の中に干渉できる種類の力』を持っていなければ、たとえ力が強い者でもあっても無理だ。その点でだけいえば、おそらく心配ないはずだ。だが――そんなことは相手だってよく知っているはずだ。やつらの目的が何なのかが分からない分、気味が悪い」
水皇の言葉に、一同唸るしかなかった。
「だとすれば、その次男の病院とやらに探りを入れるしかない、か......」
尚吾がつぶやく。
「問題は誰が行くか、ですな」
基樹が口をはさむ。
克也が口を開きかけるのを尚吾は遮った。
「間違ってもお前は行くなよ?お前は一族の長として、今回の作戦の指揮を執る必要がある。動くのは俺たちの役目だ。」
「だけど......!」
その時、がらっと部屋の入り口の引き戸が開いた。
「遅くなりましたー!長のお召しってことで、蒼嗣利衛子、ただ今到着しました」
少々大仰に登場した利衛子は、水皇と基樹に会釈をすると、克也の前で立ち止まり笑顔を作る。
そして、水皇から一通りの説明を受けた。
「あたしが行く。あたしが一番敵に面が割れてないから侵入しやすいと思うんだ。克也、あなただってそのためにあたしを呼んだんでしょう?」
克也が押し黙る。それは肯定を意味していた。
克也にもそれが最善であることは分かっていた。だが、気持ちが逸る。冷静で理性的であろうとする自分を突き破り、感情的な自分が外に出ようと蠢く。
心配で心配でたまらない。
大切な者を奪われる絶望感が甦る。
実母の時も、智也の時も、自分は近くにいながら助けられなかった。何もできなかった。
そして今回――自分の行動次第では未然に防げたかもしれないことなのに、自分はできなかった。
克也は思わず口元を押さえた。
その手が、震える。
「克也......」
尚吾が今にも崩れそうな克也の背中を支える。
皆にこんな自分を見せたくなくて、精一杯虚勢を張ってきた。だが、一度不安を認識してしまうと、とことん沈んでいきそうだった。
「克也、しっかりしなさい!あなたに何かあったら一番悲しむのは岬ちゃんだよ!――あなたの大切な岬ちゃんのためにあたしは必ず情報をつかんでくる!だから、あなたは待っていて!」
目の前に立ち、利衛子は克也の両腕をつかんで揺らした。
克也は一瞬の間の後、利衛子の瞳をまっすぐに見つめた。
「利衛......頼む......」
何ともいえない顔をして克也は言った。利衛子には泣いているようにも見えた。
「任しといて!」
こんな時だからこそ明るく振舞う利衛子のVサインに、その場にいた皆が和む。
少しして、水皇は手に持った鞄からノートパソコンを取り出す。そして電源を入れると、いくつかの資料を画面に表示させ始めた。
「中條家の次男、中條喜一が院長を務めるのはこの『グリーンタウン総合病院』。分院もいくつかある。」
利衛子は画面を見つめた。
「喜一が何らかの事情を知っている可能性は高い気がしますね。とはいえ、まずは......、岬ちゃんがいなくなった場所である大島圭美さんが入院している病院――克也が聞いた限りでは知らないと言っていたようですが、もう少し丁寧に聞きこみした方が良いですよね。」
「そうだな......」
水皇が頷く。
「そこから喜一の方に切り込めればいいんですけど......」
利衛子は口元を指でもてあそびながら、うーん、と唸った。
水皇は横目で克也をちらと見た。克也は、青ざめてはいるが正気は保っているようだった。
『踏ん張ってくれよ、克也。今ここで踏ん張れるかどうかが、今後のお前を左右する』
克也がこうなってしまうのも、もとが繊細なのに加え、二度も目の前で大切な人の衝撃的な死の場面を見ていることがトラウマになっているからなのだろうということは容易に想像できる。
けれど長としてこれでは、今後起こりうるであろう困難に耐えられない。それは長としては致命的な欠陥になる。
長として生きることを決めた以上、自分はもとより、自分の相手が危険にさらされることも覚悟しないといけない。今後ここまでのことはないにしても、似たようなことは、争いが収まらない限り十分起こりうることなのだ。
『とはいえ、今はまず岬さんを無事に救うことが先決だな。そうじゃないと克也は即座に崩れる。さっきの状態を見ても、ぎりぎりで心の均衡を保っているってところだろうからな......』
「行って来ます」
「利衛も――、気をつけて。俺にとっては、利衛も大切な――家族だから」
穏やかな克也の言葉に利衛子はしばし目を丸くし、そして微笑んだ。
「ありがとう。克也の口から家族って言葉が出るとちょっと感動するね」
ウインクしてその場を後にする利衛子の消えた方向を見つめ続ける克也の肩を、尚吾はぽんとたたいた。
「利衛子を信じろ。智也のときとは違う。お前はもう、一人じゃない。」
「そうだな......」
克也は大きくゆっくり息を吐いた。