誤算(1)

【PG12】(参照)
   

 ふわり、ふわり。
 目の前を白くてやわらかい花びらが飛んでいく。
   
  ――ここは、どこ?
   
 目の前が明るすぎてはっきりと周囲が見えない。
    
 目を細めると、遠くに人影が見える。
   
  ――誰?
   
 人影は少しずつ近づいてくる。
 目を凝らすと、腰より長い黒髪を揺らして歩いている。
   
 もっとよく見ようと足を動かすと、途端に強い風が吹いた。
 バランスを崩してその場に膝をついた途端、景色が一変する。
   

 ――薄いクリーム色の壁が目の前にあった。
   
  「な、に?」
 自分が今、膝をついて這っているような姿勢でいることに気づき、寝ているのではなかったことに驚いた。
 瞳を動かすとそれまでいたようなまばゆい光に満ちた場所ではなかった。
 四方を壁に囲まれた狭い部屋。
   
  「あたし、起きてたの」
 そろり、と立ち上がろうとして、ぐらり、と目の前が回り、倒れこむ。
 途端に立ちがるのが嫌になって岬はそのまま横になった。
   
  「あれえー?ここは、どこだっけ?」
   
 口に出してみたものの、思い出せない。しかもうまく口が回らなく、なんだかもどかしい。
 ほとんど何もない、薄暗くて閉鎖的な部屋。もちろんここは自分の部屋なんかじゃない。それは分かるのだが、ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのかが分からない。
   
  「まあ、いっかあー。」
 思考することがとても面倒に思えて、岬は天井を見つめた。
 天井の近くに、小さな窓があった。外は暗い。

 岬は突然泣きたくなった。涙で天井の照明が揺らぐ。
 なんだか、『誰か』に会いたい。無性に『誰か』に会いたくて、胸が締め付けられる。
   
  「か、つ、や............」
 自然と唇に乗った名前。
  「――つや、かつや、かつや、かつや......」
 それが何かを探るように、無意識に繰り返す。
   
 次の瞬間、一気に色んな記憶が自分の中になだれ込んできて、岬は慌てて体をひねって起き上がった。
   
  「馬鹿!あたしの馬鹿っ!何忘れてんのよっ!」
 ぱちん、と自分の両頬をたたく。
   
 岬は自分で自分を掻き抱く。
 ――怖い。
   
 自分の記憶が正しければ、訳の分からない注射をされたのは一回だけ。それなのに、今みたいに何もかも忘れてしまった時間ができてしまっている。
  『もしかして、もっと打たれてたりして!?』
 岬は慌てて両腕を確認した。左腕にひとつだけ注射後の保護パッドが貼ってあった。それを見る限り、打たれたのは一回で間違いないらしい。
 幸一は、あの薬を何度も打つといっていた。何度も打たれてしまったら、自分はどうなってしまうのか。
   
  「嫌、嫌だよ......克也――」
 丸く体を折って岬はしゃがみこんだ。震えが止まらない。
   
 そのとき、がちり、と音がしてステンレス製の扉が開いた。
 白衣の男性と看護士らしい服装をしている二人の男が見える。
 三人は、すぐに内側の扉も開けて中に入ってきた。
   
  「い、嫌......!!」
 反射的に、岬は後ずさった、だが、狭い部屋の中ではすぐに壁にぶつかってしまう。
   
 白衣の男性は、眼鏡を片手でずり上げながら岬の近くに歩いてきた。それと同時に、看護士らしき二人の男性が無言で岬を両側からがしっと捕まえた。
  「やめてよ!こんなことやめて!」
 体の自由を奪われたまま、岬は叫んだ。
   
  「元気は、あるようだね......」
 そう言いながら白衣の男性が岬の腕を半ば無理やり引いて脈を取る。
 岬はつい、と横を向いた。
  「ごめん」
 何に対してか、その男性は岬に謝った。
  「謝るくらいなら、なんでこんなこと――!」
 まくし立てようと大きな声を出すと、突然目の前がぐらりと揺れて、岬は思わず目を閉じる。

  「君は既に普通の状態じゃないんだ。精神にも肉体にも相当な負荷がかかった状態だからね。――記憶が、はっきりしない時間が、あったんじゃないのかな?」
   
 岬はどきりとした。先ほど、短い間ではあったと思うのだが、それはただ単に寝ぼけたというだけですまない状態だったことは、自分でも分かってしまうのだ。
   
  「今は、変化することが辛いと思う。でも、そのうち、何も考えられなくなるから......それまでの辛抱だよ」
 優しい笑顔で恐ろしいことを平然と言う。
  「冗談じゃない!あたしはそんなの嫌!他人にいいように力を使われるなんて、考えただけでも気持ち悪い!」
 こうやって少しでも大きな声を出すと、目の前の景色がぐるりと回るのを感じる。
   
 白衣の男性は岬を見つめて寂しげに微笑むと、昨日と同じ注射の箱のふたを開く。
   
 「いや!やめてよ!それはいや!!」
 めまいを感じながらも岬は力の限りもがくが、相変わらず二人の男に両脇を抱えられたままなので何もできない。さらに、無理やり右腕を白衣の男に引かれる。
   
 岬の必死の叫びも、閉鎖されたこの空間に吸い込まれるだけ。
 午前四時。時間通り、岬に二本目の薬が投与された――。

   
   
   ■■■   ■■■
   
   
 グリーンタウン総合病院から車で三十分ほど離れた都内のホテルで、幸一は煙草をくゆらせる。
  『もう、二本目が打たれた頃か......』
 時計の針は午前四時を回っている。
 少々興奮気味であるのか、珍しくこんな時間に目が冴えてしまった。
   
 栃野岬に対して自分たちがしていることが、反社会的なことであることは分かっている。こんな『仕事』をする時には、自宅には帰らない主義だ。大人である妻はまあいいとしても、自宅には子供もいるのだ。
 
  「もうすぐ、だ。もうすぐ宝刀の力が手に入る」
 愉悦の表情を浮かべてつぶやく。
 全ては宝刀の力を手に入れるため。ひいては奈津河一族のため。
   
 栃野岬が姿を消したことで、今頃竜一族は必死になって探しているだろうが、大島圭美の病院の者には暗示をかけておいたし、容易にここにたどり着けはしまい。そのうちに宝刀の力の主はこちらの言うことしか聞かなくなる。そして――仕上げは、この自分がする。自分が、正統な奈津河の継承者なのだから。
   
 奈津河の現長、中條御嵩には将来の展望が見えず、信用に足らない。
 刹那主義の匂いがする。
 水城悠華という婚約者がいても、ほとんど会いさえしない。結婚もするのかしないのか分からない。
 そんな将来の見えない者に、大切な一族を任せるわけにはいかない。
   
 自分には妻も子供もいる。
 きちんと、奈津河を未来に繋げていける。
   
 そんなことを考えていると、ノックの音がする。   
 ドアの穴から外をのぞくと、博が立っていた。
 博は同じホテルの隣の部屋をとっていて、日付が変わる頃にはお互いの部屋に戻ったのだが、次の日の約束はしていなかった。だが、こんなに早く父が訪ねるなど、これまではないことだった。
   
  「どうした?朝早く、こんな暗いうちから。早起きが得意になったのは年のせいか?」
 幸一の憎まれ口に、博はフンと鼻を鳴らした。
  「相変わらず口の悪いやつだな。今日はひとつお前に忠告してやろうと思ってきたっていうのに」
  「忠告?」
 幸一は怪訝な顔をした。
   
  「お前、栃野岬に最終的に術をかけようと思ってなどないだろうな?」
 博の問いに、幸一はぴくりと片眉を上げた。
  「――思ってるよ?あの薬は気分を常に良くするものだから、薬の効力だけでは誰のいうことも聞くようになってしまう。それを防ぐためには、俺の命令だけを聞くように術を施す必要があるからな」
   
 だが、博は眉をひそめた。
  「それだけはやめておけ。宝刀の力は危険なんだ。あの御嵩でさえ力に飲み込まれそうになったんだぞ?」
   
 『御嵩』と比べるような言い方に、幸一は苛立ちを感じた。
  「親父は俺の力が御嵩に劣るとでも思ってるのか!」
   
 そうじゃない、とすぐに言って欲しかった。だが――、
  「それは――」
 博が言葉に詰まったのがはっきりと伝わる。

  「――親父は俺が御嵩に劣るってそう思ってんだよな......!だから心配でこんな忠告をしにきやがるんだ。――親父はいつまでたっても俺を子ども扱いする。」
 
  「そんなことはない!幸一、お前は奈津河の正統な血筋の――!」
  「俺がやつに勝(まさ)ってるのはそれだけか!!」
 声を荒げる。
 博はさすがに表情を固くした。
   
 感情的になっている自分に気づき、幸一は大きく息を吐いた。
    
  「悪い。――出てってくれ。頭を冷やして考えるから」
  「分かった。――とにかく、術をかけるのだけはやめておけよ?」
 博の言葉に幸一は「ああ」と生返事だけをして、目を逸らす。
 気まずそうに、何度も振り返りながら部屋を出て行く博を、全く見なかった。
   
   
 幸一は苛立っていた。
 子供の頃から、自分は御嵩と比べられてきた。
 父の博からは、一族の純粋な血を引く長男であることを理由に、何においても常に御嵩よりも上であれといわれて育った。
 そして、自分もそれなりに頑張ってもきたのだ。
 だが、結局、長に選ばれたのは御嵩だった。
 その時の父の落胆の顔を、自分は一生忘れないだろう。
 いつまで経っても俺は父にとって世話の焼ける子供で、表の仕事でも、一族のことでも、自分に全てを任せてくれない。
 世間からは親父のお膳立てがないと何もできないと笑われているように感じることだって度々あるのだ。
   
  『俺は、もう独立してもいい頃なんだよ』
 カーテンを開けて、幸一はまだ目覚めぬ空を見つめた。

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