誤算(2)

 夏に向かう空は、もう白み始めていた。
   
 尚吾はベッドで布団をかぶり横になっていた。   
 曲がりなりにも一族の長である克也を差し置いてベッドに寝られないと、自分が椅子で寝ると主張したのだが、どうせ眠ることはできないから椅子でいいと、かたくなに言い張る克也に根負けしてこういうことになった。
   

 何度かうつらうつらとしてたまに記憶が飛ぶのだが、頻繁に目が覚める。その度に長椅子に目をやると、いつでも克也は長椅子に腰掛けたまま、床の一点を見つめていた。
   

 気にしないように寝返りをして長椅子に背を向けてみても、背後で克也が起きていることが伝わってきて、落ち着かない。
 もう一度くるりと体勢を変えて尚吾は声をかけた。
   

 「おい、克也。寝なくてもいいから横になれ。お前も倒れるわけにはいかねーだろ。それでなくてもあと少ししか休めないってのに。あの生意気女にも言われただろ?」
 尚吾の言葉に、克也ははっとしたように顔を上げた。
  「ごめん、――分かってる。でも......どうしても眠れない。横になるだけで苦しい。自分だけが休むなんてできない。だって岬は今頃――苦しんでいるかもしれない。今この瞬間にだって、俺に助けを求めているかもしれないのに――」
 克也の瞳は揺れ、手は小刻みに震えている。
 こんな事態である。今まで狂わずにいるのは、克也としてはまあ頑張った方だ。だが、今のこの状態は後一歩で正常の域を超えてしまいそうだ。ここが、克也の弱点。強大な力を持ちながら、その力を今までここぞという時に生かせてこなかったのは、この問題があったからなのではないかと尚吾は思う。
   
  「みんなの前では平気な振りをしてても、ダメなんだ......!一人でいると、全然俺は冷静でいられない――!今すぐにでも、岬のところへ行きたい......!」
 克也は瞳を閉じ、溢れ出す感情をなんとか自分の中に留めようとしているように、尚吾には見えた。
 尚吾はベッドの上で起き上がると、長椅子の克也へと語りかける。   
  「お前ほどじゃないと思うけど――俺だって、岬ちゃんは大事なんだ。俺だって、今すぐに岬ちゃんを助けに行けるんだったら行きたいよ。でも、闇雲に走ったって何もできない、って水皇さんにさっき俺が言われたばかりだろ?――岬ちゃんを確実に助け出すには、できる限りの最善を尽くすしかないんだよ。今、俺たちにできることは、『その時』に全力を出せるようにパワーをためておくことじゃないのか?」   
   
 尚吾の言葉に、克也は拳を握り締める。
      
 本当は自分にも分かっているのだ。
 確かに、今の自分にはできることなどない。
 最初の段階で守ってやれなかったことを今更後悔したって遅い。それを嘆いても状況は変わらないし、意味がない。
 これからの自分にできることは、少しでも早く確実に岬を助けることだけだということも。もう絶対に失敗は許されない。
   
  『岬――、待っててくれ。必ず、助けるから......』
 克也は唇を噛みしめた。
 
   


   ■■■   ■■■

  
 「はい、朝食の差し入れ!」
 克也と尚吾が泊まった部屋に再び集合した、水皇以外の面々に向かい、麻莉絵はおにぎりやパン、サラダや飲み物やらをごってり買った袋を中央のテーブルにどさっと乱暴に置くと、それぞれにおにぎりをひとつずつ差し出した。
 午前六時半。
 外は怖いくらいの快晴だ。

 喜んでかぶりつく尚吾の横で、おにぎりを見つめたまま固まっている克也の肩を、麻莉絵はばしっとたたいた。
  「その様子だと全然寝てないんでしょ?ご飯ぐらいちゃんと食べなきゃ体がまいっちゃうわよ」
  「岬が大変な時に、俺が呑気に朝食なんて――」
  「大変だからなおさらでしょ!あんたが倒れたら一体誰が岬を救うのよ!岬のためにも食べなさいよ!」
 『岬のために』と言われたことで、克也はしぶしぶおにぎりの包装を解き始める。
 そんな様子を、尚吾は多少の驚きを持って横目でちらりと見やる。
 
  「中條麻莉絵。お前、最強だな。そうしてると俺、結構嫌いじゃないかも」
 にやりと笑みを作る尚吾に麻莉絵も、
  「敵に情けをかけると自滅するわよ。共同戦線を張るのも岬を救うまでのことだからね」
 と、にこりと笑う。
 そして克也の方へと向き直る。
  「蒼嗣克也。あんたはもっと自分を大事にした方がいい。長が自分を大切にしないのは、尽くしてくれる部下に失礼なんだからね」
 麻莉絵の言葉に、克也がわずかに目を瞠った。
   
  「自分を大切に......それを敵のお前が言うか?お前こそ敵に塩を送りすぎなんじゃないの?」
 尚吾が笑いながら横からツッコミを入れる。
  「そうかもね。」
 ぺろりと舌を出して肩をすくめる。
 その仕草を見て、尚吾は目を細めた。
  「お前――、何となく、雰囲気が岬ちゃんに似てるな」
 尚吾がぼそりと言った。
      
  「大好きな岬に似てるだなんて嬉しいわ。でも、あたしはあの子みたいに可愛い性格はしてないわよ」
   
 麻莉絵の笑顔を見ながら、克也は確かに少し似ているのかもしれないと思う。
   
 ――周りを明るくする強い瞳。
   
 余計に岬に会いたくなった。今すぐ、会いたい。
 岬は笑顔が一番似合う。
   
  『今は......泣いているんだろうか......、それとも、もうそんな感情は――』
 恐ろしいことを考えそうになり、克也は振り払うように首を振る。
   
 中條幸一たちの行動は許せない。
 岬を宝刀の力の器としてしか見ていない。
 幸一たちが宝刀の力を操り、最終的に何を成そうと思っているのかは知らないが、これ以上岬に人を殺させるわけにはいかない。恨みの連鎖の中心に彼女をこれ以上進ませてはならないのだから。
   
   
 麻莉絵はサンドウィッチを口に含みながら、切り出す。  
  「まずは利由のお手並み拝見ね。将高が送ってくれたメインコンピューターのサーバーアドレスと、コントロールパネルに入るためのパスワードがこれ。これでどこまでいけるかよね。それについてはあんたに任せる。コンピュータについてはあたしにはさっぱりだもの。」
 そう言いながら、麻莉絵は尚吾にパスワードを書いた紙を渡す。
   
  「それがどのくらいかかるか分からないけど、それが終わっても終わらなくても、時間になったら私と蒼嗣克也は病院に向かう。といっても、なるべく状況が整ってから乗り込みたいからぎりぎりまで利由の仕事を待ってみるけど。それから離れている間の連絡は主に携帯。もしも電波が途切れたりしたら、どうしてもの時だけこの無線を使う。でも無線は傍受されやすいからなるべく最終手段にしたいところだけどね」
 そう言う麻莉絵の横で、尚吾は渡されたパソコンの電源を立ち上げた。
   
 ――岬を救うための闘いが、始まる。
   


   ■■■   ■■■

    
   
  「これは......」
 しばらくパソコンをいじっていた尚吾がうなった。
  「どうした?」
 少し離れた椅子に座った克也が顔を上げる。
   
  「メインコンピューターつながるサーバーにアクセスができない。パスワードが解けないっていうわけじゃなく存在自体がないって感じ?――物理的に分断されてるとしか考えられない。下手にこれ以上いじりすぎると相手に気づかれるかもしれない......。」
  「そんな......、将高からの報告ではそんなこといわれなかったわよ。ってことは、それに気づかなかったってこと?まさかあの将高がこんなミスをするなんて――」
 麻莉絵は眉をひそめた。
  「まあ、単純にそういうミスってことも考えられなくもないけど、そうとばかりも言えないよな。それと分からないように巧妙に細工されてるってこともあるだろうし、報告の後に変えられたってこともないとは言えないしな。いずれにしても確認が必要だよ。もし報告の後に変えられたとしたら、すでに相手に気づかれている可能性もある」
 尚吾はこめかみを指で押さえた。
   

  「こうなったら――こんな遠隔じゃなく、直接メインコンピュータのある場所に行って操作するしかない。もともと、最終的には自分の目で確かめなきゃダメだとも思っていたところだから、それが早まっただけだ」
  「メインコンピュータの周りになんて、それこそ一族の者が厳重に見張っているはずよ。ばれたら利由、あんたの命も危ないわよ。下手すると計画自体が揺るぎかねない」
   
  「克也だって危険を冒して岬ちゃんのもとに乗り込むんだ。俺だけ安全圏で何とかしようって方が変な話だったんだ。かえってすっきりしたよ」
 その場に立ち上がり、伸びをする尚吾に、麻莉絵は肩をすくめた。
  「――あんたも、命知らずな部下ね。」
  「まあね。それが俺の性分だからねえ」
 尚吾の言葉に麻莉絵はため息をつく。
   
  『利由、あんたは蒼嗣克也のためなら命さえ惜しまない。長としてではなく、一人の人間としての蒼嗣克也のために動ける人。――対象は違っても、あたしと同じ種類の人間だわ......』

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