誤算(4)
決行の時間まであと一時間。
克也と麻莉絵、そして尚吾と利衛子の四人は、水皇が用意した車でグリーンタウン総合病院近くの駐車場に来ていた。運転手は水皇付きの現役運転手で信頼のおける者を付けてくれていた。
「そろそろ行くわよ。」
麻莉絵が克也を見上げた。
「分かった」
そう言って克也は、心を落ち着けようとしているように少しだけ瞑目した。
「そうだ。――確認しておきたいことがあるの」
行こうとして、外を眺めたまま、麻莉絵がぽつりと口を開いた。
四人とも動きを止めて注目する。
「あたしたちの最終目的は何か――これはもう言うまでもないわね?」
皆、頷く。
「だからもしも――、誰かが......しくじったとして、幸一たちに捕まるようなことがあっても――、それでも最終的な目標は達成しなければいけないってことも――分かってるわよね?下手な助け舟を出して共倒れになるなんて結末だけは勘弁して。――中途半端な甘さは、悲劇を生む。」
四人のうち、誰かを犠牲にしても岬を助け出す覚悟を麻莉絵が問うているのは皆、分かっていた。頭では分かっている。だが、『その時』が本当に来たら、何のためらいもなく仲間を切り捨てられるかということとは別問題だ。
「――分かって、る」
克也はためらいがちに答えた。あとの二人も神妙な顔をして頷く。
「――それが分かっていればいいわ」
そう言って麻莉絵はそれまで俯きがちだった顔を上げた。
その時――、突然、麻莉絵の携帯電話がメール着信の合図に震えた。
皆の視線がその携帯電話に集まる。
画面には将高からのメールだと表示されていた。
「将高?」
麻莉絵は思わずその名を口にした。
メールを表示させた麻莉絵の表情が凍りつく。
その表情に、ただ事ではないと皆にも緊張が走る。
「まだ一時間も早いじゃない!それなのに三回目の投与が行われたって......どういうことよ!」
麻莉絵が叫ぶ。携帯を持つ手が怒りに震えている。
『こんなことが起ってしまうなんて――!』
さすがの麻莉絵もしばし何もすることができなかった。
「岬ちゃんへの薬の投与が早まったってどういうことだよ!」
まず、尚吾が声を荒げた。後部座席にいる利衛子も腕を組み、難しい顔をしている。
「分からない!二回目は時間通りだったって言うのに――どうして――!」
麻莉絵も苛立ったように頭を抱えた。
窓の外を克也は見つめていた。
「次の手はずを考えないとな......」
ぼそりとつぶやく克也に、尚吾も利衛子も麻莉絵も弾かれたように克也を見た。
「今更――、起こってしまったものは変えられない。先を考えないと」
無表情で他人事のように克也が口にした。
『無表情』は克也の場合、無理をしている状態だと尚吾も利衛子も知っているだけに、どきりとする。
「克也......。」
気遣うような尚吾の呼びかけに、克也はうつむいた。
「何か考えていないと――、どうにかなってしまいそうだ......!」
辛そうに瞳を閉じる。
麻莉絵も、自分で自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。
「そうね、とにかく計画を練り直しましょ。次こそは――絶対にぜっったいに失敗できない。」
尚吾も利衛子も真剣な面持ちで頷いた。
「そしてその前に――、さらに、もうひとつ、悪い知らせがあるの......。」
麻莉絵は伏し目がちに視線を泳がせ、口を開いた。
「岬の様子が――......薬の影響が強く出すぎているらしいの。もちろん将高は保護室の中にまで入れないから実際のところはどういう状態かは確かめることはできないのだけれど――。ただ――、三回目の投与の後、中條喜一は、岬の身の回りの世話をさせる人をつけるように指示を出したらしいわ。これがどういうことか分かる?」
「それほど、自分で自分のことができなくなっているということか――......」
克也は瞳を閉じて唇を噛む。白く色が変わるほど強く拳を握り締める。
麻莉絵は頷くことしかできなかった。
やりきれない思いは皆、同じだ。
「これは本当に辛い知らせよ。でも――、もしかするとこれは、岬を助け出すいいチャンスができたとも考えられる。今まで、保護室に入れるのは、喜一が薬を投与する時だけだったけれど――これで、他の時間にもあの部屋に人が入る――つまり、あの部屋が開く機会が増えるということ。そうなることで隙が出やすくなる。もちろん、世話役には奈津河一族の事情を知っている者の中で信頼のおける人物をつけるはずだから、一筋縄じゃいかないかもしれないけれど――。」
そこで麻莉絵は一旦言葉を切った。
「そのためには、蒼嗣克也――やはり、あなたの能力がどうしても必要だわ。」
麻莉絵は克也を真っ直ぐに見た。
「暗示を、かけろということか?」
「ええ。それも、強力なやつをね。奈津河の一族の能力の強い者の――忠誠心すらも凌駕するような。」
「――簡単に、言ってくれる」
克也は小さくため息をつく。
人の心に干渉することは、容易なことではない。人の心を一時的に支配下に置くことは、ひとつ間違えば相手の思いに引きずられることだってありうる。その中で自分を保ちながら術をかけることは、非常に精神力を消耗する。それでなくとも、自分は他人の思い――特にマイナスの思考に敏感に反応してしまいやすいことは、過去の苦い経験で明らかだ。
「あら?自信がないのかしら?御嵩様ならわけもないことよ」
麻莉絵がふふんと鼻を鳴らした。
「――いちいち癪に障ることを言うヤツだな」
克也の代わりに、尚吾が言った。
「まあ、基本的に敵なんだから仕方がないだろ。――やるよ。岬のためなら」
克也は麻莉絵を横目で見た後、遠くを見つめた。
遠くにある、愛しい者の存在を想うように。
■■■ ■■■
あの薬の特徴からして、とりあえず午後までは何も動きがないということが確実になったため、克也たち一行は、病院からしばらく離れたホテルの一室へと場所を移していた。
「午前九時過ぎに三回目の薬が岬に打たれたとすると、規定どおりであれば次は六時間後の午後三時。だが三回目のようなことがあると、完全に予想するのは難しいな......」
克也が神妙な面持ちで呟く。
「でも、ひとつ間違えば命を落とす危ない薬なんだろ?その喜一ってやつは仮にも医者だろ?何を考えてるんだ?岬ちゃんが死んじまったら元も子もねーじゃん」
「尚吾!やめなさい!」
利衛子が尚吾を制する。一瞬怪訝な顔をした尚吾だが、すぐに意味を理解してしまったという表情になり、克也を横目で心配そうに見やる。
だが、克也は何事もなかったように何かを考え込んでおり、とりあえず尚吾はほっと胸をなでおろした。
「何かどうしようもないアクシデントとしか思えない。喜一は非常にまじめで小心者なの。あの喜一がそんな大胆なことをするとは思えない。――幸一ならともかく。」
「やはり中條幸一か......」
考え込む克也。
「とにかく、一時間も投与の時間を早めるなんて大胆なことをやったのが誰にしろ、俺と利衛が先に行ってメインコンピューターいじって監視システムを狂わせてくりゃいいってことは変わらないんだろ?」
尚吾はひとつ伸びをする。
「そうね。それは変わらない。――ただ――、もし幸一が投与について直接指示を出しているとしたら、より警戒してかかる必要がある。御嵩様には足元にも及ばないけれど、幸一の実力もそれなりに高いから。一応、御嵩様と最後まで長の座を争った奴だから」
そう言いながら麻莉絵は、持っていたレモンティーのペットボトルのキャップをひねった。
「なるほどねえ、奈津河も色々あるのねえ」
利衛子がため息混じりに呟き、麻莉絵は肩をすくめた。
「あまり敵には知らせたくない情報だけどね。まあ、その話は有名だからある程度あなたたちにも伝わってはいるでしょうから隠さずに言うのだけど。でも、その問題のせいで岬がこんな目に遭ってしまったようなものだから、岬には謝らなければいけないわね――助け出したら」
岬を助け出せることを前提とした麻莉絵の言葉。
その言葉を聞きながら、皆、改めて心に誓った。
――岬を、必ず助けるのだと。