誤算(5)
「それじゃ、行って来る」
警備員姿の尚吾はふざけて敬礼をした。
時計は十二時半。
早いお昼を食べて休憩をとった後、尚吾と利衛子は先に乗り込むことになった。
岬への薬の投与は午後三時ごろだと推測されるが、前回のような例もあるため早まる危険があることと、午後二時ごろ身の回りの世話係が岬のいる部屋に入るという情報が入ったため、三時まで待たず、そこで岬を救出するのが良いと四人で判断したからだ。
プログラムを乱す――まるでウィルスのようなプログラムをインストールし、一定時間の映像を記録して、その映像をランダムに繰り返し流すようにするのが尚吾たちのメインの仕事だ。その映像が流れている間は、例え実際にはそこで異変が起きていても、『何も起きていない』ようにごまかすことができる。
克也たちが乗り込む前の準備は早めにするに越したことはないのだが、あまりに長い間システムを狂わせておくと相手に気づかれる可能性も高まるため、どうしても長時間は難しい。
いずれにせよ、相手が気づいたら終わりなので長時間はもたないが、時間稼ぎにはなる。
■■■ ■■■
グリーンタウン総合病院の三階に上がると、ひとつだけ病棟に入るための扉があった。そこには誰でも自由に出入りできるらしく、見舞い客らしい家族連れも目の前で中に入っていった。続けて尚吾たちも中に入る。
利衛子はともかく尚吾は奈津河一族にも顔を知られているため、用心して制帽を目深にかぶってはいるが、警備員の格好は意外に怪しまれず、スタッフの中には会釈をする者までいた。
尚吾は不自然にならない程度にきょろりと周りを見渡した。微妙におかしな行動をとる者もいるにはいるのだが、想像していたような異様な光景はここには見られない。
「――なんか......、フツーなんだな。」
「何が?」
視線は前に、足早に歩きながら利衛子が答える。
「精神病棟ってもっとおっそろしいの想像してたよ。それに、精神病棟って――、鉄格子とかじゃないのな」
「昔はそうだったみたいだけど、今はそういうのはやめるところが多くなってるらしいって聞いたことがあるよ」
周りを気遣いつつ、小声で利衛子は言った。
二人が目指しているのは三階奥の機械室。そこに全てのシステムが詰まっていると考えられる。
奥の部屋までたどり着くと、扉の左右に同じ制服を着た警備員が厳(いかめ)しい様子で立っていた。
「すみません!」
「ごめんなさい」
口だけは謝りつつ、右の警備員を尚吾、左の警備員を利衛子が同時に手刀で攻撃を仕掛ける。
予想に反し、この場には一族の者はいなかったらしく、警備に当たっていた二人は簡単に気を失ってくれた。
『それほど重要な場所ではないってことか......?』
あまりの簡単さに不安を覚えつつも、目の前のリーダーに、あらかじめ用意してあったIDカードを通す。電子音がして、目の前の扉は簡単に開いた。
マシンの動く低い音だけが広い部屋に響く、静かな部屋。
見取り図などを見たとき、どう考えてもここ以外にメインコンピューターが置いてある場所はないと見当をつけてここに来た。だが、ここになければ他を探さなくてはならなくなる。
尚吾は注意深く配線等を確認していく。
この中のマシンたちは複雑に入り組んで入るが、大きく分けると二つの系統に分かれていた。
ひとつはこの三、四階の系統、そしてもうひとつが五、六階のもの。
ただひとつ、どこにもつながっていないマシンがあった。
――何かある、と直感で感じ、尚吾はそのマシンに駆け寄った。
スリープ状態になっていたコンピューターは、尚吾が触れた瞬間に起動を始めた。
画面にパスワードの入力画面が表れる。
「くそ、どれがそれだよ!」
尚吾がごちた。
将高から渡されたパスワードは複数あった。
どうやら、一定条件によって複数のパスワードが変化する仕組みになっているらしい。ただし、その条件は分かっていないとのことだった。
順番にパスワードを入力していくが、どれもエラーとなってしまう。
尚吾の苛立ちを察した利衛子が、見張っていたドアの傍から尚吾の傍へと駆け寄った。
同じく画面を見つめる。
尚吾は何度もランダムにパスワードを入力する。エラーが重なるたびに尚吾の焦りが募っていくのが利衛子に伝わってくる。
「尚吾......落ち着いて。困った時には一度、深呼吸よ」
その言葉に、尚吾が笑みを見せた。
「懐かしいな、それ」
「でしょ。あたしも何かとパニクったときには思い出してるの」
にやりと利衛子も笑みを作った。
その言葉は、二人の祖母がよく口にしていた言葉だった。母同士が姉妹という関係上、尚吾と利衛子、そして克也はよく一緒に遊んだものだ。
そんな間にも、何か変化があればと尚吾はパスワードを打ち込み続ける。
「ちょっと!尚吾!」
何かに気づいたように利衛子が声を上げた。
半ば闇雲にキーボードを打っていた尚吾は手を止める。
「ここ、見て!」
利衛子は画面の一点を指差した。
そこはパスワードを求める文が表示された場所だった。
今、画面にはこう記されている。
『システムパスワードを入力してください』
特に珍しい文句でもない。
「どれでもいいからパスワード打ち込んで。」
利衛子に言われたとおり、尚吾がひとつのパスワードを入れてエンターキーを押した。
『エラー 正しいパスワードを入力してください。ERR404』
「......何の変哲もないエラーだな」
もう何度も見た画面。
「ここ。この一番後ろの404という数字。これ、たまに変化するよ」
「なにいー?」
尚吾がパスワードの一つを入力する。すると、エラーなのは変わらないが、その数字のところが『403』へと変化する。
「続けて」
利衛子に応じ、尚吾がもう一つ別のパスワードを入力すると、今度は『401』となる。
「『404、403、401......』なんか、見たことある数字だな。――なんだっけか......」
少しだけ考えて、尚吾ははっとした。
「HTTPエラーコードだ」
尚吾は思わず口にする。何度かその度にパスワードを変えてやってみるが全てエラーになる。
圧倒的に多いのは404。続いて403。よく見てみると、毎回ではないが、401が出る前には403が出るという法則もあるようだ。
「404は『指定されたURLは存在しない』、401は『パスワードが違う』、403が......」
――読み出し禁止――だ。
尚吾は何度か入力を繰り返し、403を表示させる。
Webでもないのに意図的にこの数字を入れているということは、このプログラム組んだ者が入れたメッセージだと考えられる。
404はURLが違う、で、401はパスワードが違うという意味になる。どちらも【違う】という意味合いだ。唯一つ403だけが『違う』という意味になっていない。すると403――読み出し禁止――は......、
『これから重要な読み出し禁止区域へと入るというサインなんじゃねえのか?』
そこで、ためしに先ほどと同じパスワードを入力してみる。
すると、画面がぱっと変わり、目の前に映像が映し出された。
「やった!」
思わず尚吾はガッツポーズをとる。
「お手柄だ、利衛。助かった!」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
が、次の瞬間、二人は表情をこわばらせた。
「これは......」
尚吾は画面から目が離せなくなった。
その画面には、見覚えのある制服の少女が映し出されていた。
「みさき、ちゃん......?」
利衛子が呆然と呟く。
画像は高いところからのもののようで表情までは読み取れない。だが、そこに映る少女は、明らかに普通の状態ではなかった。だらしなく横たわり、突然むくりと起き上がったかと思うと、四つん這いでよろよろと動き回る。
尚吾はとっさに克也のことを思った。
自分でさえ、この様子を見た瞬間ショックに凍りついた。
克也がこの光景を見たとき――、どんなことになってしまうのか――、ぞっとした。
システムの準備ができたら克也に連絡を入れることになっているのだが、その時にこのことを告げるかどうか――尚吾は迷った。
「......呆けてる間はないわよ。ここいらにあるパソコンのプログラムを可能な限り狂わせるんでしょ?」
利衛子の言葉に、尚吾ははっと我に返った。
「――だな。」
尚吾は頷くと、ポケットの中からメモリーカードを取り出してUSBポートに挿した。