誤算(7)

 幸一は、興味深そうに麻莉絵と克也を見比べた。
  「御嵩の飼い犬が敵の大将と手を組むなんて考えもしなかった。――御嵩がそうしろといったのか?敵と通じるなんて、やはり御嵩は信用できないな」
 幸一は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
   
  「御嵩様は関係ない。あたしが勝手に決めたことだから」
 麻莉絵は幸一を睨む。
 そんな麻莉絵に、幸一は高らかに失笑した。
  「おまえが?御嵩を無視して?!――そんな戯言を信じるほど俺は馬鹿じゃない」
 冷ややかに言い放つ。
  「――本当に知らないわ。御嵩様はあたしの自由にしていいっておっしゃっただけ。何をするかまではあたしも言っていないから」
  「たとえお前が知らせずとも、あの御嵩が部下が何をするか把握せずに黙っているわけがないだろう?――何にせよ、部下が敵と通じているという事実だけで十分御嵩は糾弾に値するよ。一族の皆の前でこの事実を知らせたら一体どうなるんだろうな?」
 クックッと幸一は喉を鳴らす。
   
 幸一の部下たちは、克也たちと一定の間隔を取って取り囲んでいた。
 幸一の号令一つあればいっせいに飛び掛ってきそうだ。
   
   
  「それはそうと」
 幸一は今度は克也を見て言った。
   
  「お前たちの仲間は優秀だ。わざわざお前たちの来訪を教えてくれたんだからな......」
  「仲間?」
 麻莉絵が聞きなおす。
  「コンピューター室に侵入しただろう?――いつも君と行動を共にしているヤツの姿が見えないようだから、将高か?それとも竜の手勢か?優しい俺は侵入者にもかかわらず無事に逃してやったんだ、ありがたく思えよ?」
   
 幸一の言葉に、麻莉絵も克也も一瞬動きを止めた。
   
  「何ですって......!?」
   
 やはり罠だったのか。
 麻莉絵はぎり、と歯軋りをする。
 だが、だからといってここで諦めるわけにはいかない。
   
   
 ―― それならば、採る道は一つ。
   
   
  「行って!!」
   
 克也に向かって麻莉絵の鋭い喝が飛んだ。
 克也も、ぱっと麻莉絵に視線を移す。
   
  「あたしはそんなに『やわ』じゃないし、ある程度自分で自分の身を守る覚悟はできてる。――あんただって本当はこんな雑魚なんて簡単に蹴散らせるはずでしょ」   
 麻莉絵はにっと笑みを作り――再び叫んだ。
   
  「――あんたには大切な役割があるでしょ!?」
   
 その叫びが合図のように、克也は幸一の部下たちが大勢いる方へと突進した。
   
  「馬鹿か!自殺行為だ!」
 勝ち誇ったように叫ぶ幸一を、克也はちらりと見た。
 幸一の部下たちが放つ空気の刃が次々と克也に襲い掛かる。
 そのいくつかを身を低くしてかわし、片手に力を集中させて頭上に大きく円を描く。蒼く鮮烈な光が防御の壁となって克也の身体を覆い、幸一の部下たちが放った刃が一気に霧散する。再び攻撃を繰り出そうとする幸一の部下がじりじりと間合いをつめる中――克也はそのまま勢い良く跳躍した。
 跳躍と同時に足元に力を集中させて軽い竜巻を起こすと、その勢いで克也は自分の身長よりも高く舞い上がり、一気に上の階へと飛び移る。このようなことをしたのは幼い頃の遊び以来だが、身体が覚えているのが不思議だった。
 
   
 追っ手の声を後ろに聞きながら、克也はもう一度同じく跳躍し、六階へと着地した。


 階段から廊下に出ると目の前に、病棟と廊下を隔てている、重そうな扉が目に入る。
   
 克也は振り返ると、手のひらに力を集中させる。
  「しばらく、眠っていてもらう」
 その手のひらを横になめるように素早くスライドさせながら力を開放する。その途端、あと少しで克也を捕らえるといったところで追っ手の者たちはふらふらとよろけ、次々にその場に倒れこんでいく。
   
   
 入り口にあるカードリーダーに麻莉絵から渡されていたカードを通すと、呆気ないほどに簡単に病棟入り口の扉が開いた。
 中に入ると、帽子を目深にかぶりなおしながら、ちらりと周りを見る。
 この六階は重症患者を入院させる場所だという情報を裏付けるように、ぶつぶつと意味の分からないことをつぶやいている老女や、一点を見つめ続けている成人男性など、それまで見てきた光景とは違う独特の異様な空気が漂う。しかし、そんなことは今の克也にとっては些細なことだった。頭の中を占めるのは岬のこと。岬を失うこと以外に何も怖いものはなかった。
   
 『岬の部屋は一番奥』
 奥に目をやるが、すぐには見えない。
   
 真っ直ぐ歩き、突き当りを右に曲がったところで人の気配を感じ、克也は立ち止まる。

      
 目の前に一人の少女が立っていた。年頃は自分たちと同じくらいか。
 一族の者かと一瞬構えたのだが、目の前の少女は何もこちらに仕掛けてくる様子はない。パジャマ姿であることから推測するとこの病棟の入院患者か――?
 克也が警戒しつつ様子を窺っていると、少女はがたがたと震え始めた。
   
  「あ、あ、ああ......」
 その少女は、克也ではなく、何もない宙を見て何かにおびえていた。
 今にも叫びだしそうな様子に、克也はその子に駆け寄っていた。
 ここで騒がれては計画がダメになるかもしれない。
   
  「貴女には何もしないから......」
 克也はそう言って、女性の顔の前に手をかざし、目の前の少女の心を落ち着かせようとした。一般人なら、軽い力で術にかかるはずだった。
   
 だが、その瞬間、少女が急に咳き込み始め、克也の術への集中が途切れる。
 『喘息?』
 なかなか止まない咳に、さすがに気になった克也が少女の背中をさすろうとして触れた瞬間――、違和感を感じて克也は眉根を寄せた。
   
  「......っ――!!」
 克也がその違和感の種類に気づいた時は既に遅かった。
 一気に自分の脳内へ流れ込む、ある映像に眩暈を覚え、額に手をやる。
  『しまった――!』
 とっさのことに防御が張れなかった。
   
      
 ゆらりと克也の身体が傾くのを、少女は微笑を浮かべながら見た。

  「私は、吉沢 雁乃(よしざわ かりの)よ。」
   
   
   ■■■   ■■■
   
   
  「まだ何も起こってはいないのだな?」
 会社の会議室を出たところで、中條博は携帯を耳にあてて声を潜めた。
   
  「ああ、表向きの仕事でトラブルがあってな......、すぐには動けそうもないんだ。」
 博はため息と共に言葉を吐き出す。
   
 『はい、何も起こっていません。病院内の監視カメラを定期的にチェックしておりますが、不穏な動きは何も。』
 部下の報告を受けながら、博はとりあえず何も起こっていないことに安堵した。
 
 本当なら実際に出向いて幸一と共にあの娘の経過を見守りたかったのだが、表向きの会社に問題があり、自分が対処しなければならない状態になってしまったのだ。
  『こんな時に......!』
 苛々しても何も始まらないと分かっていても、焦る気持ちは抑えられず、博は無駄に靴音を鳴らしてしまう。
 だが、こんな時のために、喜一の病院のメインコンピューターに少々手を加えて、博の屋敷からも病院内の様子が分かるようにしておいたのだ。今はそれに頼るしかない。
   
  「幸一はカッとなると何をするか分からん。一応は納得したようだが、また無茶をしないとおも限らんからな......。そのままチェックを続けてくれ。何かあればすぐに私に連絡するように。私もこちらが片付き次第病院に向かう」
  『承知いたしました』
 部下の答えを待ち、博は通話終了のボタンを押した。 
   
   
   
   ■■■   ■■■
   
  

  『いくら竜の長といってもちょろいもんね。まあ当然だよね。私の生み出す邪念に勝てるものなどいないんだから。私の術にかかったものは邪念に喰われてやがて死ぬ』
 がくりと膝をつく克也を横目に、少女――雁乃(かりの)は伸びをする。
  「さあて、私は喜一様のお言いつけどおり、鷹乃(たかの)姉さまと一緒にあのお人形さんのお世話をしにいかなくてはね」
 くるりと踵を返し、胸ポケットにあるIDカードを取り出したその時――、雁乃の身体は強い力で後ろへと一気に引っ張られた。
   
  「な、何っ!?」
 雁乃が驚愕に目を瞠り、振り向いた瞬間、腕を掴んだ人物である蒼嗣克也が冷ややかに自分を見つめているのに気づく。
  「何を......っこれ、は......邪念返......し......」
 自分の放った邪心が、元の何倍にもなって返ってきたのが分かる。
 思い出したくもない記憶が頭の中で膨れ上がる。
   
 ――狂人の笑い声。
 それはいつか聞いた声。
 『イヤダ、イヤダ、イヤダ......ヤメテ、ヤメテヨ......』
 いつかの自分が見える――......
   
 みるみるうちに雁乃の身体から力が失われていく。

  「た、かの姉さ......」
 呼ぶ声は最後まで紡がれることはなく、雁乃はその場に崩れ落ちた。
   
 ぱさりと床に落ちたIDカードを拾うと、克也は奥へと歩き始める――。

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