偽りの微笑(3)
「やめろっ!こんな狭い部屋でそんな戦い方をしたら病院が壊れる......!」
喜一が青ざめる。
「じゃあ、こうすればいいだろう」
幸一は指で空に三角の印を描いた。
部屋の一部に結界を張ったようで、幸一以外の者が見えなくなった。心もち、空間も広くなった気がする。
「これで心置きなくお前を葬り去れる」
幸一がクッと喉を鳴らし、先ほど克也が使ったような、白い光の刃をその手のひらに現す。
「その言葉、そのままお前に返す」
克也も身構えた。
幸一が床を蹴ると同時に克也も動く。
振り下ろされた幸一の刃を、克也も再び出現させた刃で受け止める。
力と力が擦れあう、何ともいえない音が、他に音のない結果内に響く。
力技では少々幸一に分があるようで、克也は押される。仕切り直すために少々避けようとしたところに幸一が素早く刃を突き立てた。
「――っ!」
その刃は、克也の右脇腹へと突き刺さり、バランスを崩した克也は傷口を押さえたまま転がった。
「やはり軟弱なお坊ちゃんだな。おとなしくこのまま引き下がってくれれば、命だけは助けてやってもいい」
勝ち誇ったように幸一が告げる。
克也は倒れた体勢のまま、肩で息をしながら幸一を睨んだ。
「どうした?言えよ、諦めるって」
幸一が克也の顔を覗き込んだその時、克也が動いた。
一気に立ち上がり、その腕を掴んで幸一を引っ張り倒し、素早く幸一の手のひらに光の刃を突き立てる。
先ほど自分の力の刃を出現させた利き手を貫かれ、幸一は痛みに呻いた。
「勝負は最後まで気を抜くな」
克也は苦しげに息を吐きながらも気丈に笑みを作る。
幸一はその瞬間追い詰められ焦った表情を見せたが、克也が先ほど刺された傷の痛みに顔をしかめた一瞬の隙を突いて克也の脛を蹴り上げた。
克也が体勢を戻そうとする間に、幸一は結界から姿を消した。
「幸一!?」
克也はあたりを見回した。
明らかに不審な消え方をした幸一。
『一体何をしようと......』
克也が思った瞬間、霧が晴れるように結界が解かれた。
背後に幸一の気配を感じ、克也は再び刃を手のひらに現しながら振り返り――、そして、息を呑む。
幸一は、まるで自分を守る盾にでもするように、岬を背後から羽交い絞めにしていた。
変わらずに無表情な岬の瞳が、克也の心に痛みを落とす。
幸一の手の傷からは鮮血があふれ、岬の白い制服を濡らす。その紅が幸一によって壊された岬を象徴しているようで、余計に心を重くさせる。
「お前が俺を攻撃すれば、お前の大事なこいつにも傷がつくぞ?」
幸一がにやりと笑う。
卑怯な手を使う幸一を、克也は睨んだ。
だが......。
その時岬の唇が紡いだ言葉に、幸一も喜一も、そして克也も動きを一瞬止めた。
弱弱しい声で、しかしはっきりと紡いだその言葉。
「か、つ、......や」
その瞬間、幸一は岬を突き飛ばした。
ただでさえ、力のない状態なのに、急に突き飛ばされ、岬の体は壁に当たって倒れこむ。
「岬っ!」
克也が駆け寄るが、そちらには目もくれず、岬は幸一のもとへ擦り寄ろうとする。よろよろと立ち上がり、おぼつかない足取りで、幸一のもとへとたどり着く。
たった今、ひどい仕打ちを受けたばかりだというのに、岬は幸一へと笑いかける。
そんな岬の腰を乱暴に引き寄せ、幸一は苦々しい表情をする。
「行動だけはこちらの意のままだが、その名前だけは忘れていないということか。忌々しい。」
何を言われても口元を緩めたままの岬に、幸一は不機嫌そうに舌打ちする。
克也は岬を見つめた。
『岬、お前は......、そんな状態になっても......、俺の名前を、呼んでくれるのか――』
岬が自分の名を口にしてくれた、その嬉しさと同時に、心に押し寄せる後悔と罪悪感。
自分の油断が、こんなに自分を想ってくれている岬を、こんな状態にしてしまった。
「――ごめん。守れなくて......、ごめん......!」
苦しさが、こみ上げる。
「岬にとっては、とても大切な人の名前だもの。忘れるわけがないわ」
突然、どこからか、麻莉絵の声が降ってきた。
幸一は驚きの表情を浮かべて麻莉絵を見る。
麻莉絵を足止めするために、少々やりすぎかと思うほどの強い攻撃を仕掛けてきたのだ。簡単には追いかけてこられないと思っていたのに。
「お前......あの攻撃をかわせたのか?思ったよりは力があるようだな」
「みくびってもらっちゃ困るわ。あたしはこれでも御嵩様の直属の部下なの」
麻莉絵の不敵な笑みに、幸一は忌々しげに表情をゆがめた。
幸一から視線を逸らした麻莉絵は、幸一に寄り添う、表情をなくした岬を見つめた。
最愛の人が目の前にいるのに、自分を壊した憎むべき相手の意のままに動かされているという悲しい岬の姿に、麻莉絵は衝撃を受けた。なんという酷い仕打ちなのか――。
「岬にとってその人は――敵だと知ってもなお、好きだという気持ちが止められなかったほどの大切な人よ!そんなに簡単に忘れられるわけがないのよ!それを――そんな岬の純粋な気持ちをあんたは!くだらない競争心から、無理やり捻じ曲げたのよ!許されることじゃないわ!」
麻莉絵は叫んだ。
「くだらないだと......!?奈津河一族の未来を思えばこそ、御嵩などには任せられない、そんな高尚な思いをくだらないだと!?」
幸一が眉を吊り上げる。
「プライドばかり高くて実力の伴わない人に言われたくないわね」
麻莉絵は冷たく言い放つ。
その言い方が、幸一の怒りを頂点へと押し上げた。
「俺は御嵩を越える!もう好き勝手にはさせない!」
ひどく感情的になって幸一は叫んだ。
そして、傍らの岬をぐいっと引っ張り、乱暴に自分の方に向かせる。だが、岬は相変わらず微笑んだまま、幸一を見つめていた。
「岬!お前のその宝刀の力をこの場で示せ......。お前の宝刀の力で竜一族の長を殺せ。敵の長を亡き者にすれば俺は英雄だ!――名実共に俺が奈津河の長になるんだ......!」
幸一は、岬にその対象を指し示した。
幸一の指先を辿って、岬の瞳がゆっくりと克也を捉える――。
「愛している者の手であの世へいけるなら、本望だろう?竜族の長」
残酷な笑みを浮かべ、幸一は言った。
「やめろ......!」
克也は叫んだ。
「命乞いか、見苦しいな」
幸一が唇をゆがめる。
「そうじゃない。岬が自分の意志で俺を殺そうとするのなら、死を受け入れる覚悟はある。だがそれは、今、こんな形でではないはずだ」
大切な岬。確かに命を懸けても惜しくないと思えるほど。だからこそ自分は――、岬が殺人人形のように扱われることが、最も許せないのだ。岬の存在自体を貶める、その行為が許せない。
「ただ、できることなら岬にはこれ以上、人を殺させたくない。これ以上岬が傷つくのを見たくない」
克也は真っ直ぐに幸一を見返す。
「だからもう『傷つく』とかそんな感情はこの女からは消えうせているんだよ」
煩わしそうに幸一はため息をついた。
「岬が、感じる感じないの問題じゃない。俺は、『力を使って人を殺す』という行為を、岬にさせたくないんだ」
さっき自分の名を忘れないでいてくれた岬。
まだ意識のコントロールがうまくいっていない可能性もある。
宝刀の力を制御するには、意識は残す必要はあってもその制御は完璧でなくてはならない。以前の意識があんなふうに残っていては力の持ち主の混乱を招き、力の暴走を引き起こしかねない。
「それに、岬の意識のコントロールは完全じゃない!こんな状態で力を使わせたら、力が暴走する!そうしたら、お前も...!!」
「うるさい!」
克也が言いかけるのを幸一は遮った。
「岬!やめるんだ岬!――幸一!やめさせろ!」
克也は必死で叫ぶ。
岬が、いっそう鮮やかに微笑むのを――その場にいた者たちは見た。
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なんだかとっても気分がいい。何故かは分からないけれど。
ふわふわと体が浮くようで、足取りも軽く岬は歩みを進めた。
『誰かが、あたしの名前を呼んでる』
行かなくてはいけない気がする。
『とりあえず行ってみよう』
だって本当に気分がいいから。どこまでも歩いていけそう。
たまにゆらゆらと地面が揺れたり、誰かに引っ張られたりすることもあったけれど、そんなことはたいしたことではないように思えた。
でも。
『あたし、誰かにとても会いたかった』
それは今自分を呼んでいる人とは違うような気がする。
『――誰だっけ?思い出せない』
ざあっ!と強い風が吹き、岬の髪を揺らした。
瞬間、なんだか嬉しいような懐かしいような気持ちがわいてくる。
『どこ?どこにいるの?』
なんとなく、近くにいる気がして、岬は微笑んだ。
「かつや」
するりと、口を突いて出てきた名前。
『【かつや】って誰だっけ?』
分からない。けれど呟くと、とても安心する。
その名を口にすると体全体に温かいものが満ちてくる気がする。なんて気分がいいんだろう。
その時、再び強い風が一瞬吹いて、岬は目をつぶった。
すぐに風はやみ、恐る恐る瞳を開く。その途端、散る花びらが目の前いっぱいに広がり、それしか見えなくなる。
そして突然、有無を言わせぬ声が頭に響いた。
「お前の宝刀の力で竜一族の長を殺せ。」
―― コロス? コロスって何?
『――でもあたし、その方法を【知って】いる――』
体の奥で何かが蠢く。
普段はくすぶっているとてつもなく大きな力がはっきりと脈打つのを感じる。
「しっかりしなさい!目の前を見て!あなたが殺そうとしているのは、『誰』!?」
再び柚沙が現れ、身体を揺さぶられる。
『目の前に、誰がいるの?この力を開放してはいけないの?』
真実を確かめたいという思いで必死に目を凝らす。
花びらが邪魔で長く目を開けていられない。
でも、見なければいけない気がする。
「あなたの目の前の人は、『誰』!!」
柚沙が語気を強めた。
やがて花びらは少しずつ減り、ぼんやりとした視界に、一人の人が映る。
『あなたは――!』
痺れるような衝撃が体の中心を走る。
『かつや』
目の前にいるのがその人だと、はっきりと分かる。
『そうだよ。死なせたくない――、とても大事な人なの』
それが分かった途端、全身がかあっと熱くなる。
『力を止めなきゃ!』
そう思ったときには、岬の奥底で、恐ろしいほど強大な力が走り出すのが分かった。
「嫌!【かつや】を殺したくない! どうか、止まって――!!」
岬は夢うつつの中で叫んだ。