継承(2)
克也が風貴のもとに継承式の承諾を受けに行ってから半月がたち、世間ではゴールデンウイークが始まり、街もいつもにましてにぎやかになっていた。
それなのに。
「はあー」
ショーウインドウを眺めながら、岬は本日何度目かのため息をついた。
ゴールデンウイーク中は試合続きで中一日しか休みが取れない。
その一日を克也と過ごしたいと思っていたのに、その日、克也は用事があるということで会えないのだ。しかも、どんな用事かと聞いても、一族の用事としか言ってくれなかった。
一族の予定となると、敵方の自分としてはそれ以上は聞けず、なんとなくもやもやする。
何もしないで家でごろごろするのも悔しく、しかも更に運の悪いことに親しい友人とも予定が合わなかったので、仕方がなしにいつもは行かない都会にショッピングと称して一人で遊びに来たのだが、全然気分が乗らない。
『あと一軒行きたかったお店に寄ったらもう帰ろう......。』
以前部活の友人に聞いた、知る人ぞ知るというような、ちょっといい雰囲気のアクセサリーショップがあるのだ。そこだけは行っておかないと何のために遠くまで来たのか分からなくなるので、今すぐにでも帰りたい衝動を抑え、岬は地図を広げた。
そのまま歩くことしばし――。
『えーと、ここの路地を入って......』
地図を片手に歩いてみるのだが、何か間違えたようで一向にお店が見えてこない。
『あれえ?』
地図を横にしたり縦にしたり。
戻ったり進んだりしているうちに、はまってしまったようで、完全に迷子状態になってしまった。
あたりを冷静に見渡すと、そこは閑静な住宅街になっていた。
しかも、一軒一軒の家が大きい。
さらに高い塀に囲まれていたり、森と見間違うほど木がやたら生えている邸宅だったり......。
『そういえば、芸能人とかセレブばかり住んでる住宅街がお店に近いって聞いたな......』
何となく有名人が出てきそうな雰囲気に、一庶民の岬はきょろきょろと辺りを見回してしまうが、特にそんな者はいなかった、というより人の気配自体しない。
仕方がなくふらふらと当てもなく歩いてみたのだが、そのうちふと、かなり遠くにではあるが、人の姿が見えた。
『よ、よかった。とりあえずあの人に道を聞こう』
そう思い、岬はその方角に走り出した。
近づいてみると、人は一人ではなく、あたりにはたくさんの人がいた。
しかも、側には高級車両が列を成している。
それらの人は皆、一軒の大きな家に用事があるようで、そこを中心ににぎわっていた。
なんとなく声をかけにくく、思わず柱の陰に隠れる。
『隠れてどうすんのよ!道聞かなきゃいけないのに』
つくづく庶民の自分を恨めしく思う。
そんな時、不意に耳に飛び込んできたのは――。
「いやはや、長がよもや成人前に表にお立ちになるとは思わなかった」
『長』の言葉に岬はどきりとした。
そんな言葉、この現代にそうそう聞くものじゃない。
「まったくだ。どうやら、奈津河のやつらに正体を暴かれえてしまったとか」
『奈津河』
もう、確実だ。
岬は、その場に凍りつく。
「まあ、今まで隠し通せただけ奇跡のようなものだからな」
「長は賢い方だ。この事態にも臆することなく、自ら表に立つと表明したそうだ。しかも、宝刀の力まで手に入れたという話もある」
『自ら表に立つと表明』......。
岬は、最近の克也がどうも心ここにあらずという気がしていた。
岬には話せないことなのだと、聞きたくとも聞けずにいたが。
竜の長は、隠されていたと聞いている。
なぜ、克也は隠れていたのか考えたことはなかったが、克也の性格からして、やむにやまれぬ事情があるのだろうとは思う。
『っていうか、これって全員竜一族!?なんで集まってるの?会合??』
岬の疑問に答えるように偶然ものすごいタイミングで聞こえてきたのは
『長の継承式』
という単語だった。
誰かが話していた言葉なのだろうが、前後の話は全く分からなかった。
『ケイショウシキ』?
岬には漢字が浮かんでこなかったが、ともかく克也の何かだということは分かる。
それで今日は会えないのだと岬は納得した。
時間になったのか、門の外にいた人たちは皆、人の背丈以上もある大きな木製の和風な門に吸い込まれていき、あたりはまた静寂に包まれ始めた。
岬は道に迷ったことなどすっかり忘れ、電柱の影から走り出た。
そして、大きな門の近くに駆け寄る。
大きな門の左右には無数の木が植えられており、中は見えにくくなっている。
門扉の向こうには砂利が敷かれており、少し離れた場所に一棟、さらにその奥に小さく一棟、ここから見るだけでも二つの大きな和風の建物が見える。
表札を見ると
『久遠』
とあった。
――蒼嗣じゃないんだ......と漠然と思う。
そういえば以前、麻莉絵に竜一族の前の長の名前を聞いたことがあった。確かその人の苗字も『久遠』だったと思い出す。
なんで克也は『久遠』じゃないんだろう。そのことと、隠れていたことと関係があるんだろうか。
そんなことを考えていたとき――、
「お嬢さん、その家に何か用かね?」
いきなり声をかけられ、岬は心臓が口から飛び出るかと思った。
声のした方を振り向くと、一人の老人がこちらを見ていた。
綺麗な白髪は胸の辺りまで伸ばされ、口髭もきちんと整えられている。濃い緑の着物に灰色の袴と、きちんとした和装に、品のよさが感じられる。
「あ、あのっ、あたし怪しい者じゃ......。ただの通りすがりというか、迷子というか......、まあ、ちょっと気になることもあったりなんかして......」
あはは、と元気なく笑ってみるも、かなり不自然ということがまるわかりで、岬はすぐに口をつぐんだ。
品の良い和装の老人は、岬をしげしげと眺める。
「おぬし、長のご友人かな?」
「えっ!?」
思ってもみない反応が来たことで、岬は焦ってしまう。
これは素直にうなずいた方が怪しまれずに済むだろうか。
そう考えていると、岬の様子から、それは肯定と受け取られたのか、老人はにこにこと笑いかける。
「今日は長の継承式。正式に一族の長だと皆にお披露目する日だ。」
岬は、その言葉にある違和感を覚えて思わず動きを止めた。
『そんな大事なこと』を『ただの友人』に話すはずはない。
もしや。
ある可能性に思い当たり、顔を上げる。
「栃野 岬さんだね?」
ぴたりと名前を言い当てられて、背中にひやりと冷たいものが走る。
やはり、岬が誰なのかを知った上で、この老人は声をかけてきたのだ。
「そんなに長が恋しいのであれば、特別に見せてやってもよい。」
老人はにやりと笑って岬に語りかける。
岬に選択肢を与えているかのごとき言葉だが、老人の体からは有無を言わせない威圧感が漂っている。
――危険。
本能が告げる。
けれど。
『克也......』
岬はぎゅっと拳を握り締めた。