継承(3)
講堂――とも呼べるような広い場所。階段状に座席が広がる。
屋敷の中にこんなものがあるなんて、この久遠家は相当な金持ちであることは間違いない。
前方には、最前列より一段高くなった舞台があった。
その壇上には真ん中に祭壇のような小さな卓があり、神主がお祓いで使うような道具が並べられている。その横には椅子がずらりと並ぶ。
「もうすぐ、長が来るであろう。――お前は逃げ出そうなどという変な気は起こさず、己が従うべき主の晴れ姿をしかとその目で見届けると良い」
横に座る老人の言葉に、岬は無言で答えた。老人の言葉に、何だか自分が見下されたような感覚を覚え嫌悪感が募る。
岬は中ほどの段の一番端に座らされていた。
逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。
けれど、克也の姿が見たかったことも確かだ。それが一族の何かならなおさら。
ぎゅっと自分で自分の手を握り締める。
その場には、熱気のようなものが渦を巻いていた。
それは、自分たち一族の長がようやく正式に自分たちを導いてくれるのだというような期待に満ちた熱気だ。
それは端はしに聞こえてくる言葉で伝わってくる。
しばらくの後、会場の照明が落とされ、岬ははっとした。
一瞬の空白の後、傍らに座る老人とはまた別の、顎鬚を生やした老人が壇上に姿を現した。
「風貴様だ」
ひそひそとつぶやく声が聞こえる。
続いて、スーツ姿の壮年の男――後にそれが久遠水皇だと聞かされる――が。その後に、がっしりとした体つきの老年の男――これまた後に岬はそれが沢雨尭だと知る――が壇上の椅子に腰をかける。だが、なぜか壇上にはひとつだけ空席があった。
壇上の老人――久遠風貴は、会場内に向かって一礼する。
「本日は、我ら竜一族の長の継承式のために忙しい中お集まりいただいたこと、真に感謝する。我らが長は、久遠智也亡き後、密かに指揮を執っておったことは周知のとおり。それは、智也が若くしてその命を散らせたこともあり、そのようなこと二度と繰り返さぬよう、現在長に代わり陣頭指揮を執る、そこの久遠水皇が考えた策である。――だが、憎き奈津河の長に我が長の正体見破られてしまったことは真に遺憾なこと。だが、その窮地に臆することなく、長は十八の若さにして、我らのために自ら先頭に立つことを決意してくださった!」
『――わああー!!』
会場内の歓喜に満ちた音のうねりに、岬は圧倒された。
「長をこれへ......!」
芝居がかった口調で壇上の老人が両手を挙げて叫ぶ。
岬は、まるでその光景を切り取られた絵のように見ていた。
『克也』
先ほどよりもっと熱のこもったどよめきをその身に受け、スポットライトを浴び、神妙な面持ちでその場に現れたのは、紛れもなく克也だった。
黒の長着に黒い紋付の羽織、縦に細かい縞の入った袴という、普段は結婚式でしかみないような正式な和装を、見事に着こなし、悠々と壇の中央に進み出る。そして、先ほどの老人と同じように会場内に向かい、一礼した。
あまりの洗練された美しい姿に、岬はしばし、今自分が置かれている状況を忘れて壇上に釘付けになった。
全てが完璧で整いすぎていて、遠い人のようだ。
壇上にいる克也が、自分に愛を語ってくれた克也と同一人物だとは思えないほど。
克也は、壇上の老人の前に立つと軽く頭をたれた。
老人は邪を祓うように祓串を左右に振り、その手を克也の頭の上にかざして振った。
そして、影に控えていたお付きの者らしき人物から掌ほどの長さの小刀を受け取ると、それを克也の前に差し出す。
克也はそれを両掌で受け取り、右の手のみを返して柄を握ると、そのまま刃先を立てて左手の人差し指の腹を滑らせる。克也の端正な顔が少しだけ歪められる。克也の紅い血が珠となり、やがて指先から掌へと伝う。それを風貴は、恭しく、人形(ひとがた)にかたどった白の色紙(いろがみ)で受ける。
「聖なる竜一族の血が、今も正しく受け継がれている証に」
そう口にし、風貴が人形を克也に手渡す。
克也が目の前にかざして瞳を閉じると、その人形が蒼い光を放ち、しばらくしてその姿を消した。
「竜の長の力は代々蒼い力とも呼ばれる。その力がこの克也にも正しく受け継がれていることが皆様自身の目で確認できたことと思う。この場にいる皆様一人ひとりがその証人となった!」
風貴は高らかに宣言した。
次に酒の入った杯を二つ受け取ると、それを自分、そして克也の目の前に一つずつ置く。
「前長が存命であるならば、前長と新たな長が酒を交わすのが習い――されど、それはかなわぬゆえ、私がその務めを果たそう」
そう言って一方の杯をとり、一度高く掲げると、両手に杯を持ち、中の酒を口に含む。
そして、克也にもう一方の杯を手渡すと、克也も同じように杯に口をつけた。
それを見届けると、老人は叫んだ。
「我が長に先祖の祝福があらんことを!」
克也はくるりと席の方を振り向くと、再び深く会場内に一礼した。
そして、渡されたマイクをゆっくりと床に置く。
再び立ち上がった克也は、その場にいる者に生の声で語りかけた。
「今まで姿を隠していたこと、皆様にお詫びします!水皇さんにも随分と迷惑をかけてしまった。」
この広い講堂の隅々にまで聞こえるような、力強い声。
深々と頭を下げる克也に、場内はどよめく。長に詫びさせてしまった戸惑いのようなものが漂う。
再び顔を上げると、克也は続けた。
「けれど、自分はもう逃げない! 必ずや、奈津河の長、中條御嵩に勝つ!しかし、自分はまだ未熟者で、皆様にはご迷惑をおかけしてしまうかもしれない。けれどどうか、信じて、付いてきてほしい!」
その言葉に、再び熱の入ったうねりがその場を包む。
その場にいるものは、その時おそらくほとんどが克也の凛とした姿に見惚れていたに違いない。もちろん岬も、目を離すことができなかった。
『すごい、すごいね、克也。克也は立派な長なんだね。こんなにたくさんの人の――ううん、この場にいないもっと多くの竜一族たちにとっても――心のよりどころなんだ。何だか克也が急に雲の上の人になっちゃったみたいだよ。涙出てくる......。』
感動と寂しさが入り混じり、瞳に涙がたまったのを、岬はごしごしとその手でぬぐった。
その時――、岬の横にいる老人が急に席を立った。
急な行動に、岬は顔を上げる。
老人は、大仰に手をたたいた。
「さすがは長!若き身にしてすでに偉業を成しそうな威厳に満ちている!」
会場内のすべて――、壇上にいる者も含め――が老人に注目した。
そして、まるで決められていたことのように、スポットライトがパッと老人を照らす。
その瞬間、老人は岬の腕を急激に無理やり上に引っ張った。自然と立つ格好になる。
「痛い!」
思わず岬は叫んだ。
――ざわり――
会場内がざわめく。
先ほどまでの熱いうねりとはまた別のざわめき。
岬は、我に返る。
自分が、老人と一緒にスポットライトを浴びていることに呆然とする。
壇上の克也が目に入る。
克也は驚愕に、しばし目を瞠り――、そして、叫んだ。
「氷見様!これはどういうことですか!?」
氷見――とは岬の隣の老人のことらしい。
しかし氷見は、克也の言葉など気にせずに言葉を続ける。
「皆の衆!この女が例の宝刀の力の持ち主だ!――我が長は、すでにこの力をも手にしている!」
「氷見!」
克也の、敬称を取り払った一層鋭い制止の声に、氷見はふふんと鼻を鳴らした。
岬の腕を更に強く引き上げる、岬は痛みに顔をしかめた。
それをみて、克也はさらに表情を険しくする。
「長。この者は宝刀の力の持ち主にて、そして長が生涯を共にすると決めた女なのであろう?何か間違っておるか?」
挑戦的な氷見の言葉。
「今ここで自分が――違う、と言ったら、貴方はその者の命を奪うのでしょうね......」
克也は唇を噛んだ。
「......貴方の言うとおり、――事実に相違ありません。」
悔しそうに拳を怒りで震わせながら、先ほどの氷見の問いかけを肯定する。
その言葉に、氷見は勝ち誇ったように笑った。
「そうだろう?長のおかげで、我が一族もこれで安泰というものだ!」
岬は腕をつかまれたまま、何もできずにいた。
視界の端に、克也が壇上から飛び降り、こちらに駆け寄る姿が写る。
『克也――』
その瞬間、少しだけ安堵感に包まれた岬の視界に、きらりと何かが光った。