偽りの微笑(5)

 その時。
  「い、やあああああ――!」
 岬が叫んだ。
   
 岬の叫びが何を意味していたのかは分からない。
 ただその瞬間に、体の内部を支配していた『中心から全てが引きずられるような力』がふっと消え、克也はその場に倒れこんだ。
   
 ―― あんなに激しかった、力の暴走が、止まった。
   
 ゆっくりと瞳をめぐらすと、岬が座り込んだまま天を仰いでいた。
 そして――、その体がぐらりと傾(かし)いだかと思うと、床に崩れるように倒れる。   
 助けたいのに、克也も先ほどまでの苦しさで体力気力共に消耗して体が動かない。
   
 岬の起こした風はやみ、不自然な静けさがあたりに満ちていた。
 自分たちのいた部屋は、天井と三方の壁は崩れ、本当に運よく床が残るのみだった。オートロックの扉も、鉄格子のついた扉も全てなくなっていた。空が視界いっぱいに見る。
 あたりで時折、ぱらぱら、と何かの欠片が剥がれ落ちる音もする。もしかするとまたどこかが崩れてしまうのかもしれない。このままここにいたら危険だ。
   
 体に鞭を打って動かそうともがきはじめた時、遠くから尚吾と利衛子の必死な呼び声が聞こえた。   
 瓦礫の中を進んできた尚吾と利衛子は、岬と克也を見つけると、息を切らせて走り寄る。
   
  「克也!おい!大丈夫か!?」
  「岬ちゃんっ!」
 二人はお互いの役割を知っているかのように、それぞれ違う方に向かう。
  
  「だ、い、丈夫だ。」
 尚吾の呼びかけに、必死で這いつくばりながら、やっと、といった様子で克也が答える。
   
  「克也、お前――何があった!?」
  「後で話す......――岬は?」
 傍らに倒れる岬を心配する克也に、利衛子は微笑む。
  「意識はないけど、息はしてる。大丈夫」
  「そう、か。」
 とにかく生きていてくれることにホッとする。
   
  「これから、竜一族の関連の病院へおまえらを運ぶぞ。この病院は世間的には『原因不明な爆発』ってやつが起こって大騒ぎだ。これから現場検証で人も集まる。まだ混乱している今のうちにこの場から逃げるぞ!」
   
 尚吾の言葉を裏付けるように、遠くでサイレンの音がする。
   
  「了解。――俺は、なんとか、歩ける。」
 克也は、よろけながらも、なんとか立ち上がる。
  「尚吾、は、岬を――」
  「オッケー。」
 そう言って尚吾は、ピクリとも動かない岬を抱き上げる。
  「思ったよりは、軽いな。岬ちゃん、小ちゃいから助かる」
 尚吾は、よいしょとかけ声をかけて、岬の重心を肩に乗せるようにずらした。
   
 そして、あまりにもふらふらと歩く克也を見かねた利衛子が声をかける。
  「克也、肩ぐらい貸すよ。その方が多少は早く歩けるはずだから」
 そう言って利衛子は自分の肩を克也の方に差し出した。
  「......確かに、こんな状態じゃ......遠慮してる場合じゃ、なさそう、だ。」
 すまなそうに克也が利衛子の肩に手をかける。
   
  「何言ってんの!この世に二人しかいない『姉弟(きょうだい)』でしょ!こんな時こそ助け合わないでどうすんの」
 利衛子はニカッと笑った。
   
   
   ■■■   ■■■
   
   
 県立医大病院。
 竜一族の息のかかった病院である。 
 あの場を逃げ出し、この病院へと辿りついたのは、夕方と呼ばれる時間。 
   
 岬は集中治療室で治療を受けていた。
 昏睡状態で意識はなく、劇薬をきちんとした用法を守らず投与されたということで、どんな症状が出るのかが未知数であったからだ。  
 口には酸素マスク、そして体中に管をつながれた物々しい状態の岬を、克也はガラス越しに見つめた。
   
  「半日間ろくな栄養も摂らされず、あんな劇薬を、しかもこんな短期間に三度も打たれたなんて――。道理も分からぬ無法者があの薬を乱用していることは知っていますが......。まだ成人前の少女相手に、さながら人体実験のように『意識を壊す』ことを目的にするなんて、なんてむごいことを......」
 克也の横で、白衣を着たがっしりとした体つきの中年男性が沈痛な面持ちで瞳を伏せる。
 彼の名は『村瀬 実流(むらせ みのる)』。幹部ではないが、竜一族に名を連ねている医師である。そのため、一族間の争いで起きた怪我などの治療は彼が取り仕切っているといっていい。
   
  「実流さん――。岬の意識は戻る――いや、目は覚めるんだろうか?」
 克也はあえて『意識』という言葉を避けた。 麻莉絵の話では、一度壊された意識は絶望的という話だった。意識が元に戻ることまではもはや望めない。それならばせめて、目が覚めてくれさえくれれば......ということが今の克也の願いだった。  
  「今はまだ分かりません。できる限りの処置はしていますが......最悪の場合、このまま目が覚めない可能性も否定できません。」
 表情を硬くする克也に、実流は「申し訳ありません」と謝った。
  「いや、実流さんのせいじゃないから、謝る必要はないんだ」
 そう返しながらも、克也の表情は傍から見て痛々しいほど憔悴していた。 
 実流は、そんな克也を見つめ、しばし考え込んでいた。だが、思い切ったように口を開く。
        
  「岬さんのことも確かに心配ですが、克也様、あなたも脇腹に深い傷を負っているその状態、本来ならしばらく安静にしていてほしいところです。きっとこの話をすればあなたのことだから動かずにいられないでしょう。ですから......話すかどうか迷ったのですが――」
 そう前置きし、実流は周りの様子をうかがいつつ、声を潜めて話し出す。
  「岬さんに使われた『Paradise』ですが――実は、効果を打ち消すとされる薬が存在するという情報があります。まだ治験――臨床試験段階のものですが、最初にParadiseを打ってから三十時間以内にその薬を投与すれば、効果は七〇パーセント以上の高確率と言われています。岬さんの場合、昨日の夜十時が一回目ならまだ二十四時間すら経っていないので、早急に入手して投与すれば間に合います」
   
  「打ち消す?......意識が、戻ると――そういうこと、か?」
 克也は信じられない気持ちで聞いた。一度壊れた意識は戻ることがないと聞いていたからだ。
   
  「正確には、打ち消すというより、脳にダメージを与える成分を無害なものへと分解する速度を速める薬です。今は蓄積されたものが及ぼす影響が人間が本来持つ回復力を上回り、元の状態に戻るのを阻んでいる状態です。この状態が長く続けば、蓄積された薬が脳にダメージを与え続けて元に戻ることは絶望的になりますが、もしここで蓄積された成分を早急に分解できれば、Paradiseの負の効果が薄れると共に意識が戻る可能性もゼロではなくなります。ダメージも最小限に抑えられるかもしれません。とはいえ、まだ治験段階ですから、絶対、とは言えませんが......」
   
 絶対ではなくても、実の言葉を聞いて克也は体の奥から力が湧いてくるのを感じた。
   
 もちろん、岬の意識が戻らない時の覚悟もしている。
 どんな状態でも、一生、岬と共に生きる、その決心は揺らがない。
 だが、もう一度、岬の本当の笑顔に出会えるかもしれないのなら――、その可能性に賭けたい。
   
  「ですが、その薬――、現段階では入手できるところが限られていて――それがちょっと厄介なんです。」
  「厄介?」
 克也は眉根を寄せる。
   
  「取り仕切っているのは、中條喜一――岬さんにParadiseを打った、本人なんです」

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