退けぬ思い(1)
時を同じくして、麻莉絵は御嵩のもとに帰った。
岬の力の波紋に吹き飛ばされそうになった時、将高が現れて共に一時避難した。その後、岬をつれて蒼嗣克也たちがその場を後にするのを確認してから、麻莉絵たちも病院を離れたのだ。
すぐに御嵩のところに報告に行くという麻莉絵を御嵩の会社へと送り届けながら、御嵩には会いたくないと、将高はいつのまにか姿を消してしまった。
「おかえり、麻莉絵。よく無事で帰ってきてくれた。それに――ほとんど不眠不休で『彼ら』を監視し続けてくれた将高にも礼を言わなければいけないなあ」
御嵩は微笑んで麻莉絵に語りかける。
「御嵩様。申し訳ありません。岬の身は『彼ら』からの奪還に成功しましたが、意識の方はもう――......」
ぐっと拳を握り締め、麻莉絵はうつむく。
「いや、麻莉絵はよくやってくれた。薬が渡ることを阻止できなかった僕の落ち度でもある。一回目の投薬の時点から、こうなることはある程度予想が付いていた。――だから、麻莉絵のやってくれたことは十分だ。しばらくは――岬のことはあちら側に任せるよ。こちらはこちらで、やるべきことがある」
それでも済まなそうな表情で体を硬くする麻莉絵の前に立ち、御嵩は小さな子にするようにそっと頭をなでた。
「辛いのは麻莉絵だろう?あんな状態の岬を間近で見るのは――」
「御嵩様――......」
麻莉絵は泣きそうな顔をして御嵩を見上げた。
「あんなの、つらすぎる。意識を壊されるなんて、殺されるより酷い......。」
麻莉絵は唇を噛みしめ、嗚咽を隠して涙を流す。
しばらく、御嵩は麻莉絵の髪をなで続けていた。
数分の後、麻莉絵はぽつりと呟いた。
「御嵩様は、岬をあんな風に扱うつもりだったんですか?あんな風に――人格など無視したまるでモノを扱うかのように――。」
麻莉絵の問いに、御嵩は動きを止めた。
そして、麻莉絵を椅子に座らせ、瞳が合うように正面からしゃがみこんだ。
「そうだね。薬を使ってではないけれど、僕もその方法を考えなかったわけではないよ」
「だとしたら、あたしその時は多分、御嵩様でも止めたと思います。――そう思うあたしは、不敬者でしょうか......」
御嵩は優しく微笑む。
「いや......それが人間の普通の感情だよ。――だけど、戦いとはそういうものなんだ」
哀しげに、だが強い信念を持って御嵩は答える。
その答えに、麻莉絵は涙で濡れた顔を上げ、しばし御嵩を見つめる。
そして、ひとつ小さく息を吐いた。
「ごめんなさい、あたし。分かっているはずなのに、こんな弱音なんて――」
「いいんだよ。そう思うのは、麻莉絵がいかに岬を大事に思っているかの現われだ。そんな麻莉絵が、僕は好きなんだ」
御嵩の言葉に、麻莉絵はくしゃっと表情を崩し――、御嵩の胸に頭をもたれさせ、しゃくりあげた。
麻莉絵を帰した後、御嵩は出窓の窓枠に腰掛けて、屋敷の外の空を見ていた。
かわいい麻莉絵。
麻莉絵の思いは至極真っ当なことだ。
人間は思考する生き物だ。思考してこそ人間だ。それを奪うということは、人間であることを奪われること。今回の岬に対してなされたことは、人間であることを奪われたまま、人々の前に晒されるということだ。
これを酷いと思わないなら、それこそ人間じゃない。非道なことも数々こなしてきた自分でも、これが人間として最低の行為だと分かってはいる。
けれどもし、これからの戦いに勝利するために必要なことだと判断したのなら、自分も幸一と同じことをするだろう。
どんなになじられても責められても、もう自分が戦いをやめることはない。賽は投げられている。後戻りはできない。
登りつめると決めたあの日から、積み上げてきたもの――それを今更投げ出すことはできない。それは自分のこれまでの生き方を否定すること。
「僕はもう、狂っているのかもしれない......」
雲の隙間から、おぼろげな月の光が漏れている。
「だからこそ、僕は麻莉絵たちをそばに置きたいのかもしれないな。自分への罰として。」
御嵩はひとり、呟いた。
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同じ頃、中條博はこみ上げる怒りを止めることができなかった。
「映像が偽物だったことになぜ気づかんのだ!お前らの目は節穴か!」
ガンッ、とゴミ箱を足蹴にする。
散らばった紙くずをさらに蹴散らす。
「も、申し訳ありませ......」
散らばった紙くずの横で床に頭をこすり付けんばかりに、部下の男が土下座をして謝るが、博は乱暴に息を吐いて、たまたま机の上にあった書類の山を手で突き崩した。
はらはらと、薄い紙が舞う。
博ははあはあと肩で息をした。
もう若くはない身体。こんなことぐらいですぐに息が上がってしまう。
自分はもう未来への望みを繋げていけない。
だからこそ、ずっと次代を担うべき幸一に望みをかけてきたというのに。
「もういい!下がれ!お前の顔など見たくない!」
叫ぶと酸欠になるかと思うほど息苦しい。
「ど、どうかお許しを」
博の様子を心配し、顔を上げていた部下の男は再び床に額をこすりつけた。だが、
「下がれといっておる!」
一喝され、男はおどおどと部屋を後にした。
控えめに扉が閉まる音がやむと、静けさに、自分の荒い息の音だけが残される。
命を奪われた幸一はもっと辛かっただろう。
宝刀の力が働いたことは、亡骸はおろか着ていた服の布切れ一枚残されていなかったことで分かる。
宝刀の力の主である栃野 岬――。
うまく使えるかと思っていたのに、こんなところで 逆襲されるとは。
表向きの仕事のトラブル解消に手間取り、自分は現場に行くことができなかった。
監視させていたのに、その映像が操作されたものだった。それを見抜けなかった部下にも腹が立つが、それが部下だけを責められないことは重々承知だ。
幸一にも非はあるのだ。
「あの馬鹿者が......!術を使うなと忠告したのに――」
宝刀の力の本当の怖さは、暴走した時にある。
暴走した力が制御の柱を突き崩してしまったら、その力は柱を立てた術者を襲うということは、奈津河の者なら誰もが口伝えによって知らされている。だが、そんな古い伝承は若い幸一には恐れるべきものに思えなかったのかもしれない。
もし、自分がその場にいたらそんなことはさせなかった。
だが、そんな思いとは別に、早朝の幸一とのやりとりが博の心を締め付けてもいた。
『俺がやつより勝っているのはそれだけか!』
あの叫びが耳について離れない。
小さい頃から御嵩に勝つことばかりを教えてきた気がする。
幸一自身の成長より、御嵩との差異ばかりに気をとられていたような気もする。
ただ、幸一自身も親になったことで、そんな自分の複雑な親心もきっと分かってもらえるだろうと高をくくっていたのだ。
生きていれば、いつかは分かってもらえる。
心のどこかで油断していたのだ。
だが、『いつかは』なんてのん気なことは言っていられなかったのだ。
戦いの中に常に身をおく自分たちには『今』が重要だったのに。
何にせよ、自分は幸一を守れなかった。
それは事実。
やりきれない思が心の中を吹き荒れる。
だが、何より忌々しいのは、竜一族の若造だ。
奈津河に連なるはずの宝刀の力の守人。その守人である栃野岬をたぶらかし、このような結果を引き起こした――。
「そうだ、悪いのは皆、あの若造だ......。殺してやる!あいつもこの手で殺してやる!」
しわの刻まれた自分のこぶしを見つめる。
刹那――、おもむろに、ノックの音が聞こえた。
「失礼します。博様......御嵩様が、お呼びです。至急、御嵩様の屋敷にいらっしゃるようにと――」
使用人の声に、博は来るべき時が来たと感じていた。