退けぬ思い(3)

 夜の闇の中――まぶしいライトに照らされる、無残な姿になった病院。
   
 もう夜も更けてきたというのに、警察の捜査の外側では、マスコミが煌々とライトを照らして騒ぎ立てている。
   
 喜一は、そんな騒ぎから少し離れた場所――病院の中庭で、呆然と立ち尽くしていた。
      
 本来なら、自分はこんなところにいてはいけない人物なのだ。
 他の関係者がそうであるように、彼もまた、事後処理に奔走していなければならないはずだからだ。
 だが、一般人は誰もその存在を認めることはなかった。
   
 もちろん、先ほどまで喜一も様々な対応に走り回っていた。病院自体が機能しなくなったため、入院患者を提携病院や近隣の病院へと移送する手続きや、その他、警察やその他の機関への対応など......目も回るほどの忙しさ。
 だが、移動の間に独りになり、この中庭が見えた瞬間、様々な想いが自分の中からあふれ出し、いたたまれない気持ちになった。少しだけ......などと自分に言い訳をし――喜一はそこへと足を運んだ。
   
 特殊な能力によって、彼の姿は『見えていても見えないもの、認識できないもの』として常人には映る。
 自分も一族の端くれなのだと、認識できるわずかな能力。こうして、ほんの少し、自分を数時間隠すぐらいの結界なら自分にも張れるのだ。
 だが、自分にできることなど、せいぜいこのくらい。
 他にはほんの少しの癒しの力――それも、大掛かりなものではなく、傷の治りをほんの少し早めるような、その程度のものと。
 兄のように、敵の長と渡り合えるほどの能力は自分にはない。
   
 幼い頃から、父が様々なところに伴っていくのはいつも兄の幸一だった。幸一は父の期待を一身に受けていた。兄はそれを重荷に感じることもあったようだが、自分にしてみたら、贅沢な悩みに見えた。
   
  『喜一は、いい』
   
 この言葉を何度聞いただろう。言われるたびに拒絶された気になるこの言葉。否、実際にこれは拒絶の言葉だった。父と共に行きたいとせがんでも自分は連れて行ってはもらえなかったし、何か父のために役に立とうと必死になっても、いつもこの言葉が返ってきた。自分はこの世に要らないのだといわれている気さえした。それは下に弟の利一が産まれても変わらなかった。利一もまた強い能力を持っていた。三人の中で自分だけが一族のはぐれもので。
 それでも認めてもらいたくて一生懸命勉学に励んだ。医者にもなった。
 けれど、父の頭の中は一族のことでいっぱいで、自分が医者になったことなど、たいした興味もなかったように見えた。自分に向けられたのは上辺だけの賛辞。    
 だが、一族には認められずとも、医師としての自分は他のたくさんの人に認めてもらうことができた。
 ここでは皆、自分のことを必要としてくれた。たとえ一族から見放されようとも、自分の居場所はここにあるという安心感があった。
 そしてこの病院は、中途半端な一族の能力しか持たない自分の、プライドになっていった。
   
 だが、どうだろう?
 結局、その居場所をめちゃくちゃにしてくれたのは、他でもない、父と兄だった。
 一族として居場所を与えてもらえず、それなのに、自分で見つけた唯一の居場所さえもこうして奪ったのだ。
   
  「酷い、有様だ......」
 六階部分が全て吹き飛んだ無残な姿を晒している、愛すべき病院。今や、まるで廃墟のようにも見える。
 建物内にいた何人もの命も奪われた。自分たちに全く落ち度もないのに命を奪われた者たち。院長として、医師として、当然守るべき存在を――自分は守れなかった。
 医者としての大切にしてきたもの、自分が築き上げてきたものが、音を立てて崩れていく。激しい脱力感が喜一を襲う。
   
  「もう病院も終わりだ。そして僕も、もう立派な犯罪者だ」
   
 ふふ、ふふふ、と空虚な笑いが心に沸き起こる。
   
    
 そんな時――不意に背後に気配を感じて喜一は振り返った。
 闇の中、光の輪郭を纏って浮かび上がる二つの影。
   
  「あなた方ですか......。――来るような気は、していましたよ」
 喜一は静かに微笑んだ。
   
 現れたのは喜一も良く知る人物だった。
 竜一族の長である青年とその部下である青年だ。
   
   
 克也は苛立ちを極力抑えた表情で喜一を見つめた。
  「よくあの場から逃げられたな......。だが、お前が生き延びてくれたことに感謝している。」
   
 竜族の長のすぐ後ろにいる男――尚吾も口を開いた。
  「岬ちゃんに打った薬の効果を打ち消す薬があると聞いた。今すぐそれを出せ。」
   
 二人の顔を交互に見やり、
  「やはり知られちゃいましたね......」
 ふ、と笑う。
  「僕は敵ですよ?簡単に渡すとでも思ったんですか?」
   
 自分の言葉に、すぐ目の前の青年は唇をかみしめた。
  「――思っていない。だが、渡してもらう......」
   
  「どうしましょうかね......。あなたが土下座でもしてくれたら、渡してあげてもいいですけどねえ」
 相手がそんなことをするはずがないと分かってはいたが、切り札を持っているという優越感から面白くなって喜一は笑う。
   
  「てめえっ!」
 後ろの青年がいきり立つのを、目の前の青年が手で制した。
 そして――......
   
   
 喜一は、目の前の光景をすぐに飲み込むことができなかった。
   
   
 竜族の長は、その手と自らの膝を地面につけていた。
   「克也、お前、何やってんだよ......!!」
 後ろの青年が慌てるが、彼は動かない。
 そして、叫ぶ。
   
  「どうか、――、薬を渡してくれ!頼む......!もう、時間が、ないんだっ......」
   
 そう言われて『なるほど』と思い当たる。
 あの薬――Paradiseという悪魔の薬に対抗する唯一の薬『Awake(アウェイク)』は、確かに投与して効果が得られる時間が限られているのだ。
 それゆえに、彼はこんなことまでするのだと思うと、驚きを通り越して可笑しさまで覚えてしまう。
 彼には自分と違って強大な力がある。それこそ、自分など一瞬でひねり殺せるほどの。それなのに――、この男はこうして自分なんかに頭を下げるのだ。
   
  「ふ、あははは」
 喜一は笑い出す。
 おかしくて仕方がない。
   
  「なぜ......」
 喜一の口から疑問が突いて出る。
  「あなたは馬鹿ですか?――貴方には僕など恐れるに足らないほどの強大な術力を持っている。それなのに、それを使わず、こうして無様な格好を晒すなんて」
 言いながら喜一は、心に苛立ちの気持ちが湧いてくるのを感じた。
   
 目の前の青年――克也は地面に這いつくばったまま顔だけを上げ、
  「こんな、術力なんて――本当に必要な時には役に立たない。こんな力なんて――」
 吐き捨てるように言った。
   
  「貴方は、贅沢です。」
 喜一は呟いた。先ほど芽生えた苛々がどんどん膨れてくるようだ。
  「兄もそう。力のある人は、ない人の気持ちが分からない。どんなに求めても、求めても自分には与えられないものを持っているというのに、それがどんなにすごいことなのか、どんなに幸せなことなのかを感じようとしない――。」
   
 克也は、目を瞠る。
 それを冷ややかに見つめながら、喜一は続けた。

  「――僕は......父や兄たちと違って、一族の術力をほとんど持っていないんです。」
   
 こんなことを敵の長に話し始めてしまうのは、今自分が妙に感傷的になっているせいなのか。
   
  「そのせいで、僕は小さい頃から一族の中のはぐれ者なんです。僕は、期待されずに育った。......これでも、ある時期までは認められたくて頑張ってきたんですよ。でも、結局僕に一族の目が向くことはなかった。術力のない僕は一族の中ではいないのと同じ扱いですからね。だから、ある時から自分は期待されようとすることをやめたんです。その代わりに一族の中では能力のある者に巻かれて生きる方を選びましたよ。一族の中では言われたことだけ最低限のことだけしていれば楽なんです。期待されようとしても、自分が疲れるだけですから。」
   
  さわり、と弱い風が吹く。この時期特有の湿った風だ。また雨が来るかもしれない。
   
  「今回だってそう。僕には選択肢がなかった。父と兄に従う以外に僕が生きる道はなかった。――個人的に、あの子――栃野さんをあんなふうにしたかったわけじゃない。だけどこの病院と秤にかけたら、僕にはとる道はひとつだった。この病院を奪われたら僕は生きていけない。この病院でしか、自分は必要とされていなかったから」
   
  「この病院が、お前の居場所、だったということか?」
 克也が問う。
 喜一は肯定の意を持って静かに微笑んだ。自嘲の意も含ませて。   
  「でも、もう全てが終わり。僕は、一族の特殊能力がないゆえに一族の捨て駒にされた哀れな男。笑いたければ笑え」
   
 しばし、沈黙が流れた。
   
  「一族の......特殊能力が、なんだっていうんだ......」
 突然、克也がうめいた。
  「俺は、こんな力を持ってたって、守りたかった人を守れなかった。人を傷つけるためじゃなく、人を救う力が欲しい、どうせなら人を救うことに力を使いたいと願ってきたのに――結局自分のしていることは、人を傷つけることばかりで――。こんな力を持って生まれたために――人を、傷つけずに生きられない......。俺は、何度も、こんな力いらないと願った。」
 眉根を寄せて拳を握り締める目の前の青年の言葉に、喜一はある種の衝撃を受けた。
 自分が今まで感じてきたことの根本が覆されるような、だが、不快ではない不思議な衝撃。
   
      
  「今だって、俺には、何もできない......。岬を救うのに――俺の力なんて全く役に立たない」
 克也は喜一を真っ直ぐに見上げた。
 喜一も、そんな姿から目を離すことができずにいた。
  「今、岬を救うことができるのは――悔しいけれど、中條喜一、お前だけだ......」
   
 喜一は、目を一度見開く。
   
      
 刹那――、空気を切り裂く短い音が克也の耳に確かに聞こえた。
   
   
  「危ないっ!」
 克也の後ろに控えていた尚吾が、克也の横からジャンプして喜一の肩へと腕を回し、喜一ごとその場に倒れこんだ。だが、完全によけることができず、右肩から血が飛び散る。
 尚吾は痛みに顔をしかめながら地面に転がったままうめいた。
   
  「尚吾っ!」
 克也は叫び、二人の元に駆け寄った。
  「おいっ、大丈夫か!?」
  「そんな切羽詰った声、出すなよ......ちょっとかすっただけ......」
 そう笑みを浮かべるが、すぐに痛みに顔を歪ませる。 
   
 喜一には分かっていた。攻撃の向きからして、これが『竜族の長』でも『その部下』にでもなく、自分に向けられていたこと――。
 それなのに、目の前の青年は自分を庇って傷を負った。   
 信じられないものを見るような目つきの喜一に、 
  「今、お前がいなくなったら、薬が手に入らなくなるだろ......」
 尚吾は顔をしかめながら笑った。
   
 克也は立ち上がると、攻撃の刃が飛んできた方を睨んだ。
 背の低い木がたくさん生い茂るその向こうに、人の気配がある。
   
 目を凝らすと、その茂みから姿を現したのは、一人の男だった。
   
  「博......」
 克也はうめくようにその名を呼んだ。
   
  「お父さん......」
 喜一もその存在を確認し、呆然と呟いた。

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