退けぬ思い(4)

  「......なるほど。お前が今の竜の長か。」
 博は、低い声で言った。
 今にも噛み付きそうな瞳をしながらも、努めて冷静を装っているようだった。
  「あのふてぶてしい男には外見は似ていないようだが、その身に纏う『気』が似通っている。――あの男にもう一人子供がいたとはな......」
   
 克也の指が一瞬震えたのを尚吾は見逃さなかった。
 博の言う『あの男』というのが克也の父親であろうことは話の流れから明白だ。一世代前の時代を知る博と克也の父とは相まみえたこともあったのだろう。だが、克也にとって父親のことは母親のことと同様に、最も触れられたくない部分だろう。博の言葉が、克也の心に少なからず波紋を生んだことは、ずっとそばにいた尚吾には想像に難くなかった。
   
  「っ......克也!耳を、貸すな!」
 尚吾は右肩の痛みに顔をゆがめながらも叫んだ。
   
  「――分かってる」
 視線は博から離さず、克也は静かに答えた。
   
   
  「いずれはここに来ると思っていたよ......。Paradiseの効果を打ち消す薬が欲しいんだろう?それ欲しさにお前が現れるのを待っていた。」
 博は克也に向かい、にやりと残酷に笑う。
   
  「だが、お前には渡しはしない。幸一を殺したお前にはな!」
 感情的に、博は叫んだ。
   
  「中條幸一は俺が手を下さなくても、いずれは命を落としていた。――己のしでかしたことの報いとして」
 克也は静かに告げる。幸一の死は避けられないものだったのだ――、と。
   
 しかし、博は、忌々しげに息を吐いた。
  「己のしでかしたことの報いというのなら、お前の罪はどうやって償う?」
  「それは――」
 克也は、言いよどんだ。
   
  「お前にしても宝刀の力の主にしても、幸一を殺したことには変わりない!人を殺したお前たちの罪はどうしてくれるんだろうな!?」
 博の叫びに、克也が息を呑んだ。
   
 その時――、
   
  「克也!惑わされるな!」
 克也の耳に、尚吾の叫びが響いた。
  「正義なんてのは、立場によって変わるんだ!お前だって、色んなものを失って、傷ついて、ここまで生きて来たはずだ!でも今はとにかく――岬ちゃんを、救い出すんだろ!?今のお前にとってそれ以上の正義があるか!」
   
 そう言いながら、尚吾は激しいめまいに襲われた。次の言葉が出てこない。
  『やべえ......』
 次第に気が遠くなるのが分かる。
   
  「尚吾!?」
 克也の視線の端に、崩れるように倒れる尚吾が見えた。傍らの喜一がその崩れる身体を受け止める。
   
  「そいつの肩を掠めたのはただの刃じゃない。私だけが作ることのできる傷からじわじわと影響の広がる傷の付けられる、言わば毒矢のような刃だ」
 博は腕を組んだ。
    
  「お、まえ......っ!」
 克也の心に博への憎悪が、一気になめるように広がる。
   
  「――安心しろ、毒性はそれほど強くしていないから、いずれ目覚める。だがしばらくはこのままだろうよ。少なくとも、あと一日ほどはな」
 博の言葉に、克也が気色ばむ。
 博は不敵な笑みを崩さない。
   
  「さっきの刃の向かう位置からするとこの刃の向かう先は、尚吾ではなかったはずだ。――なぜ、自分の息子を?」
 克也にはそれがどうしても腑に落ちなかった。
 先ほど、もしも尚吾が飛び出さなければ、刃は確実に喜一を傷つけていた。なぜ、博は息子である喜一を傷つけようとしたのか。
   
 克也の問いに博はしばし沈黙し、やがてゆっくりと口を開いた。
   
  「喜一は現在、あの薬を自由に動かせる唯一の存在だからだ」
   
 きっぱりと言い切ったその瞬間、博は後ろに隠した手のひらに、再び空気の刃を出現させた。
 それに気づいた克也が身体は博の方へ向いたまま、斜め後ろの二人の周りへと手のひらを横にスライドさせる。克也の手のひらから飛んだ蒼い光が尚吾と喜一の周りを覆う。刃は蒼い結界へと当たり、稲妻のような光と共に砕け散る。
   
  「喜一は心が弱いし、お前らに対抗できるような特殊能力もない。おまえらに脅されたり、情にほだされたりして、薬を差し出すようなことがあってはならないからな。喜一にはしばらく気を失っていてもらう。どんなにお前らが足掻いても、喜一の意識がなければ何の情報も引き出せまい!」   
 そう言いながら博は、さらに複数の刃を少しずつタイミングをずらしながら次々に克也の張った結界へと放つ。金属に金属が当たるような甲高い音を立てて、結界と博の力がぶつかり合い、砕ける。
   
 博の言葉に、喜一は動きを止めた。そして、傍らの尚吾を見つめたまま、博に問う。

  「お父さん――、お父さんは、僕を、殺そうとしたんですか」
  「殺そうとまでは思っていない。」
 攻撃を一時止め、博は喜一の問いに答える。
   
  「でも、あの刃を僕がまともに受けた時にどうなるかは当然分かっていたんですよね......」   
 今、傍で気を失っている青年が飛び掛って庇わなければ、確実に自分はあの刃に射られていた。その場合にどうなっていたかなど、この者の苦しみようを見れば一目瞭然だ。
   
 博は答えなかった。その沈黙が、喜一の心をより重くしていく。

  「僕の気持ちは聞いてもらえないんですね。他ならぬ自分に関わることなのに、僕の意見は無視ですか!?」
 堪えきれないとでもいうように最後の方で喜一は声を荒げた。
 そんな喜一に、博は小さくため息をつく。
   
  「お前は現に今、何を血迷ったのか、言わなくてもいいような情報を敵の長に与えた。そんな弱い心だから、お前にはこの場を任せてはおけないんだ」
 博は言い放った。
  「お前にいくら責められても、私は、一族のために生きてきた自分の生き方を曲げることはできない。一族のために、私はずっと身を削って生きてきたんだ。私にとって一族の存続と繁栄こそが生きる目的。そのためならなんだってする」   
 そう告げる瞳は――それが正しいかそうではないのかは別として、ある種の信念を持った、ゆるぎないものだ。
   
  「貴方は――」
   
 ぽつり、と空から雫が落ちてくる。
   
  「貴方は、自分の息子の心より、一族が大切だということなんですね......」
 俯いた喜一が発した、消え入りそうな呟き。
   
  「そんな子供の駄々っ子のようなことを、今言っている場合か!お前はもう大人だろう!?幸一が殺されたんだぞ!?――一族の正統な後継者が殺されたというのにそれでは――、一族の一員である幸一の死を悲しむどころか私を一族から追放した、御嵩と同じじゃないか!弟として恥ずかしくないのか!」
   
 博の叫びに、喜一は感情のない瞳をしてのろのろと顔を上げる。
 またひとつ、空の涙のような雫が木の葉に落ちてぽつりと音を立てた。
   
  「幸一の敵を討つためには、どうしてもあの薬は渡すわけにはいかんのだ!」
 叫び、博は大きく動いた。
 今度は、喜一ではなく目の前にいる克也の目の前に刀の形をとった力の塊を突き出す。
 克也は身を翻してそれを逃れるが、幸一にやられた右脇腹の傷が疼き、少しだけ顔をしかめた。
 その隙を突くように、再び博が刀を振るうのを、間一髪で克也は横に飛んで避けた。
   
  「まだだ!」
 博は再び地面を蹴って刃を克也に突き刺そうと腕を振り上げるが、克也は顔をしかめながらも身体を沈めてかわす。
   
 そして、二人はお互いに、一時睨みあったまま動きを止めた。
 博は、はあはあと肩で息をしていた。相当息があがっているのが分かる。
 年老いた自分には、こんな接近戦を長くやるような戦い方は不利だと、自分でも分かっていた。
   
 だが、いくら若くても脇腹に深い傷を負っている克也もまた同じ状態だった。
 自分の心臓が鼓動を打つたびに、腰の辺りの傷もどくりと脈打つ。動いて火照った身体の熱さか、それとも傷の痛みを堪える冷や汗か――自分でも分からないほど額からは次々と汗が滴り落ちる。
   
  「はあっ!」
 博は力を振り絞り、克也へと突進する。
 克也がそれをかわすために動いた時――、そのまま博はその横を走り抜ける。そして――......
   
  『しまった!』
 克也は振り返ったが、途端に腰の傷がずきりと強く痛み目の前が暗くなりかける。
  「くっ!」
 視覚以外の感覚だけで克也は『対象』を護るための結界を放った。
   
   
 一瞬の静寂。
 克也はそのまま地面へと倒れこんだ。
   
   
 克也の視界に再び色が戻った時に目に入ったのは、喜一の倒れた姿とそのすぐ横に佇む博だった。
   
  「っ......!喜一!」
 克也は右脇腹を左手で押さえて叫んだ。
 自分が放った結界はやはり的を外してしまったのか――。
 今、喜一に気を失われてしまっては、岬の意識が戻る希望が失われてしまう。
 心が急激に冷えていく。   
   
 青ざめる克也を眺め、博は失笑した。
   
 「喜一はこれでしばらく意識を失ったままだ!――あと何時間かで、宝刀の力の主を救うことができる三十時間が過ぎる。そうすれば栃野岬の意識はもう戻ることはない。―― 幸一を殺した罪は栃野岬のあの姿をもって償ってもらうぞ」
   
 博の言葉に、克也は唇を噛んだ。疼く傷の痛みよりも強い、胸を締め付けられるような苦しさ。
  「幸一を殺したのは俺だ!岬じゃない!岬が犠牲になることなんてないんだっ!」   
 いきり立つ克也に、博は低い声で告げる。
  「だからこそだ。竜族の長――幸一に直接手をかけたお前への最大の罰は死じゃない。死など一瞬の苦しみに過ぎない。それ以上の苦しみをお前に与えなければ気が済まない!栃野岬を回復なんてさせてなどやらん!生ける屍と化した姿、それこそがお前への最大の罰だ!」
 少しずつ高まる怒りに博は叫んだ。
   
  「......っ......」
 克也は言葉を返すことができなかった。
 自分が死ぬよりももっと辛い、岬のあんな姿――。
   
  「ざまあみろ!」
 勝利に酔う博の高笑いが中庭に響く。

 克也は傷を押さえていない右手の拳を握り締めた。

   
   
   
 その刹那――、突然、博の高笑いが止んだ。
   
 そして、
  「ぐ......っ......」
 くぐもったうなり声を出し、博はその場に目を見開き、仁王立ちになった。


  「喜一......お、まえ......」
 ゆっくりと後ろを振り返る博の目に、先のとがった大きな三角形のガラスの破片を、博の背中へと突き刺す喜一が映る。
 建物から爆発の時に飛んできていたのか、あたりには確かにいくつかガラスや陶器などの破片が落ちてはいた。喜一はその一つを拾ったようだった。
   
  「なぜ......、術が、効かなかったのか......っ!?」
 驚きの表情を浮かべる博の背中からガラス片を引き抜くと、喜一は前に素早く回り、続いて正面から心臓へと一気にそれを突き刺す。
   
 自分の左胸に刃を突き刺した自分の息子の姿を、博は呆然と見つめた。

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