ふたつの願い(1)
午前三時。
気を失った克也は、特別室で寝かされていた。
この部屋が一般の者に解放されたことは今まで一度もない。奈津河一族との闘いが日常的で常に怪我人等が出るともしれない一族の者にとって、常にこの部屋だけは空けてある。病院の職員でさえ、このような部屋があることを知る者は一部だ。
ベッドに横たわる克也の傍らには、三人の人影。
「酷い寝不足と極度の疲労。要するに過労状態ってわけだ。――こいつ、精神力だけでもってたんだろうな......。岬ちゃんがいなくなってからろくに寝ていないし、脇腹の怪我は深い。それなのに闘い続けて――。もう身体的には限界だったはずだ。よく今まで平気な顔していられたと思うよ」
ベッドの脇、克也の頭の横あたりに置いた丸椅子に片足を立てた状態で座りながら、尚吾は克也を見下ろした。
「話は、あの久遠さんっていうおじさんにだいたい聞いたよ。――すぐには信じられないような話だったけど、目の前の状態を見たら、信じなきゃつじつまが合わないもんね」
尚吾より少し離れたところに座りながら、晶子が言葉を紡いだ。
岬がいなくなった日――、水皇の屋敷にかくまわれた晶子と両親は、その日は岬の姉と父と共にそのまま屋敷に泊まった。だが、岬を拉致した者がはっきりし、晶子にまで危険が及ぶことはないだろうということで、次の日は普通に学校に行った。だが夜になって岬がこの病院に運ばれたと聞き、水皇の了承を得て彼氏の高島と連絡を取り、一緒にここに駆けつけたのだ。
二人がここに来た時、克也たちは忙しくしていたために会えなかったのだが、次の日が土曜日で学校が休みだということ、そして何よりここで待ちたいという晶子の強い希望を知った水皇の計らいで、そのまま病院に泊り込んでいた。
岬は未だ目覚めない。
今、岬の傍には利衛子と水皇、そして岬の姉と父がついている。そちらはその人たちに任せ、晶子と高島は尚吾についてきたのだ。
「しっかし......尚吾お前、なんか雰囲気がフツーと違うよなと思ってたら、超能力者だったのかよ」
高島がため息混じりにそう口にする。
「そ。スーパンマンみたいに空飛んだりはできないけど、ちょっと人間離れした技はできるって感じかなー」
尚吾がおどける。
それを見て、高島も晶子も笑って肩をすくめる。
だが晶子はすぐに真顔になる。
「でもその超能力者のもっとすごいのが、蒼嗣くん、なんでしょう?」
気を失ったように――、いや、実際一度失ったのだが――眠る克也。その寝顔を見つめ、晶子はしみじみと呟いた。
「そして岬も――この世界をどうにかできるほどのすごい力を持った超能力者の一人で......。」
そこまで言って、晶子はふるふると頭を横に振った。
「でも、あたしにとっては、蒼嗣くんは蒼嗣くんで、岬は岬だよ。」
寂しそうに呟く晶子を尚吾はじっと見つめる。
「そうだな。克也にとっても、岬ちゃんにとっても、本人にしてみたらそう思ってくれるほうが嬉しいはずだけどね」
尚吾は微笑んだ。
その時、克也が身じろぎをした。
うっすらと開かれた瞳は、すぐに見開かれ、ものすごい速さでその場に起き上がろうとしたが、すぐに顔をしかめ、ベッドへと逆戻りした状態になって倒れこむ。
「おい、お前は酷い怪我人でさらに過労状態なんだからな!無理すんなよ!」
尚吾は腕を組んで克也を見下ろす。
「岬、岬は――!!」
真剣な表情に、尚吾はため息をつく。
「岬ちゃんはまだ変化がない」
尚吾が言い終わらないうちに、克也は動き出す。
「行かなければ......」
よろよろと立ち上がろうとする克也を、晶子が止めた。
「今は岬のお姉ちゃんとお父さんも見てくれてる。岬はきっと目覚めるよ!蒼嗣くんしか見てない子だもん、蒼嗣くんから離れられるわけないじゃない!」
「井澤――?」
晶子がそばにいたことにそこで初めて気づいたようで、克也は目を瞠った。
続いて、晶子の後ろの高島にも目を留める。
「話を――聞かせてもらったんだ。他ならぬ、お前たちの話だからな。奇想天外なことでも信じてみようと思えるよ」
高島がベッドのそばに歩み寄り、克也の肩に触れた。
「井澤――ごめん、巻き込んで......。それに高島先輩まで――......」
今度はゆっくりと腕に力を入れて起き上がりながら、克也は謝った。
「いいよ、そんなの。あたしは岬の親友だよ!?そんなの何とも思ってないよ」
そう笑顔を作る晶子に、克也はますます申し訳なさそうな表情になる。
「そんな顔しないでよ。少しでも岬の役に立てて嬉しいんだから!――今回、蒼嗣くんの携帯番号教えてもらっててホントによかったと思うもん。そうじゃないと蒼嗣くんの連絡先探すのに手間取っただろうなー。あたしの、ずうずうしさも少しは役に立つんだねー」
いたずらっ子のような顔をして肩をすくめる晶子に、高島が「おいおい」と突っ込みを入れる。
そこで、克也の表情もようやく緩んだ。
「それにしても、岬ちゃんが誰に連れてかれたなんて、晶子ちゃん、よく分かったな。相手は見てないんでしょ?」
尚吾が疑問をぶつける。
「それが――」
晶子は克也をちらりと見る。それを受けて克也も口を開く。
「教えてくれたのは――大島らしい」
驚きに、高島と尚吾が一緒に晶子を見つめる。
「重くん!その目は疑ってるでしょ!?でも本当なの!圭美が、あの時だけ、目を開いて――岬が、なかじょうこういちに連れて行かれたって、あたしに必死で訴えたの!」
にわかには信じがたいとでもいうように、高島と尚吾は顔を見合わせた。
「まさか......」
高島は思わずそう漏らした。
「圭美ね。必死で『岬を助けて』って言ってたんだ。圭美だってあたしと同じ岬の親友だもん。ものすごいパワーを使って......目を覚ましたんだと思う。ただ、岬のためだけに――」
晶子は遠くを見つめるような目つきをした。そして続ける。
「今回頑張って目を覚ましたんだもん、頑張り屋の圭美はいつかきっと目覚める!もちろん岬だって、ちゃんと目を覚ますよ!そしてみんなでまた笑いあえるって信じてる!」
晶子はそう言い切った後に唇を噛みしめながら、克也を見つめた。願いを現実にする、強い意思をこめて。
そんな晶子に、克也は初め意表をつかれたような表情のまま固まっていたが、やがて小さく息を吐いた。
「――そうだな」
克也は静かに微笑んだ。
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集中治療室のベッドに横たわる岬の傍には岬の父と姉が付き添い、思いつめた表情で見つめていた。そんな『家族』の様子を、利衛子は遠くから――ガラス越しに見守っていた。
岬の表情が苦しそうにゆがみ、何かを訴えるように口元がわずかに動く。
胸のあたりの上掛けが忙しなく上下し、息も荒いことが分かる。
今、実流と喜一は休憩室へと下がっている。
その二人によると、たとえ負の反応であっても、少しでも反応があることは良いことなのだという。
確かにAwakeを投与する前の岬は、息をしている以外全く反応がなかった。それを思えば、今の反応は随分と人間らしいものだ。
だが、苦しそうに顔をゆがめる岬を見ているのは、少しつらい。
『岬ちゃん......頑張って。――克也にとって、貴方の存在は希望なの。どうか、頑張って......』
利衛子は祈るように岬を見つめ続けた。