継承(5)
泣きじゃくる岬を、利由は何も言わず、見守ってくれた。
やがて涙も枯れ、息も落ち着いてきた岬に、ハンカチを差し出してくれる。
「今日が特別な日でよかったよ。そうじゃないと、わりと俺、ハンカチ忘れちゃうことが多いんだよね」
笑いながら利由が言う。
そういえば、利由も今日はスーツ姿だった。
長である克也の、重要な儀式の日なら当然か。
そこで、岬はようやく通常の思考回路が戻ってきて、はっとした。
「利由先輩、出てきちゃって大丈夫だったんですか?利由先輩も、重要な役割があるんじゃ......。」
「あ、俺はね、幹部の中では年功序列で下っ端だから今日はたいした役目はないの。それに、何より重要なお役目を長から直々に仰せつかってるからいいの」
おどけて答える利由に、岬も少し口元を緩める。
「克也を、怒らせちゃいましたね、あたし。勝手なことして」
一旦は引っ込んだ涙が、またじわりとにじむのを感じて岬は目をつぶって首を振った。
「ごめんね、岬ちゃん。今日あいつ、ちょっとナーバスになってたんだと思う。ただでさえそんなところに、さらに、あいつが最も嫌がる事態が起きちゃったからね」
「最も、嫌がる事態?」
岬は聞き返す。
「今日、岬ちゃんが継承式に現れたことで、あいつの長としての地位はある意味、より確かなものになったといえる。君の持つ宝刀の力は、奈津河一族のものだ。竜一族にとっては手に入れたくても入れられない幻のような力だ。歴代の竜一族の長の中で、この力を手に入れた者はいない。今回、事実はどうであれ――、その幻の力を手中に収めた長として、一族の皆の記憶に視覚的に強く刻まれたはずだ。」
一旦、利由は言葉を切る。
「でもね、岬ちゃん。それこそが、克也が最も嫌がることなんだよ。あいつは、自分の宣伝のために岬ちゃんがさらし者になることを望んでいないから。」
岬は呆然と利由を見つめた。
「まあ、岬ちゃんに全てを黙っていたのは、少々あいつの失敗だったかなあ?といっても、まさかこんな場所に岬ちゃんがいきなり現れるとはあいつも思ってなかっただろうからなあ。一体なんでここに来たの?」
責めるようではなく、あくまでもひとつの疑問として利由は岬にたずねた。
「あたしも、まさかこんなとこになるとは思いませんでした。ただ、道に迷っただけだったんですけど......」
事の次第を利由に話すと、利由は岬が話し終わると同時に大笑いしはじめた。
「なんだよそれー!面白すぎる!」
腹を抱えて笑う。
『そんなに笑わなくても』
思わずむくれた岬に、ゴメンゴメン、と言いながら利由は笑いを無理やり引っ込めた。
「でもさ、なんか運命を感じるよね。やっぱ岬ちゃんとあいつって、運命の相手なんだよ。俺、運命とかで片付けちゃうのホントは好きじゃないんだけどさ、でも、岬ちゃんたちには、なんかそれを感じちゃうんだよねえ。」
「運命の相手――。本当に、そうなんでしょうか......。なんだか今日の克也は立派過ぎて――、遠い人みたいで。」
そんな岬の言葉を聞いて、利由はまた吹き出す。
「それ、あいつが聞いたらショック受けるかもね。だって、あいつが長として表舞台に立つことに決めたのって、岬ちゃんのためだもん」
「え?」
岬は呆然とそう口にする。
「ちょっと複雑な事情を抱えてるおかげで、あいつにとって長という地位はあまり居心地のいいものではないんだよね。特に、長として表に立てば、一族間の色んな煩わしいことに巻き込まれることになるし。以前のあいつはそれを面倒がって一族とは離れた場所で間接的に一族を治めてた。それをこうして表に出てくるって事は、あいつはあいつなりに相当思うことがあったんだろうね。あいつは、岬ちゃんを自分の一族からも守るために長として表に立つことを決めた。一族のことを事細かに把握するにはそれが最善の方法だから。――でも、そのおかげでこれから、長としてあいつが背負うものは計り知れない。輝かしい仕事だけじゃない。一族の闇の部分の仕事の責任も完全に引き受けないといけない。俺も、全力でサポートするつもりだけど、岬ちゃんにしかできないことがある。」
「あたしにしかできないこと?」
それがあるのなら、ぜひやりたい。克也のために。
「岬ちゃんも知っているとは思うけど、本来のあいつは本当に純粋で、傷つきやすい脆さも持っている。でも今は君のために強くなろうと必死なんだ。だから――、君はあいつが疲れた時に羽を休める場所であってほしいんだ。あいつが長としての責務に押しつぶされそうになった時、疲れた時、側でそっと寄り添ってやるだけでいいから。」
岬は心の中で克也の姿を思い浮かべた。
今日の完璧な長としての克也と、そして以前、自分が大切だと語ってくれた克也。
そのどちらも、克也であることに変わりはない。
「あたし、本当に、考えなしだったなあ。克也に、そんな思いさせちゃうなんて考えもしないで、挑発にほいほい乗ってきちゃうなんて。」
岬は肩を落とした。
「まあ、氷見さんに目をつけられたら、逃げようとしても逃げられなかっただろうからな。氷見さんは長である克也というより一族の利益を重要視する人だから。」
そう言って、道端に飛び出した街路樹の枝を避ける。
「そうですかね......」
うなだれる岬の落ち込みようを励ますように、利由は口を開いた。
「それに色々あったことはあったけど、結果としてはまあ、良かったんじゃない?継承式なんて、長一人に対して一回だけ。めったに見られない代物だよ」
利由はにやりと口の端を上げる。
「確かに......、そうかもしれないです、ね。あんなかっこいい克也が見られたし。見逃すところでした」
岬も悪戯っ子のように笑った。
利由のおかげで、あんなに最悪だった気持ちが少し軽くなった気がした。
彼が今ここにいてくれたことに、岬は心から感謝した。
■■■ ■■■
その日の夜遅くなって、利由は克也のアパートに呼び出された。
時計はすでに夜十一時を回っていた。
久遠には今、全国から長の継承の祝いに駆けつけた一族の者が集まっている。
本来、長はその相手をしなければいけないのだが、未成年ということを理由に途中退出してきたらしい。
「お前、こんな日にまでここに帰ってこなくても。明日も学校休みだろ?久遠に泊まってくればよかったんじゃないの?」
「――もうすぐここにはいられなくなるし、帰れるうちはここにいたい」
うつむく克也を利由は意味ありげに見つめた。
「それに、久遠じゃ、岬ちゃんの話はしづらい?」
弾かれたように利由の顔を見つめる克也に、利由は肩をすくめる。
「本当は、それを早く聞きたくてここに来たんだろ?」
「......」
克也は黙ってはいたが、図星なのはその表情から明白だ。
「岬ちゃんは無事に家まで送り届けたよ。家に入るとこまで見届けた。」
利由の言葉に、克也は少しだけホッとしたような表情を見せる。
たが。
「泣いてたぜ、岬ちゃん。」
利由の報告に克也は表情を曇らせる。
「お前なあ。心配のあまりつい怒鳴っちまった気持ちは俺には分かるけど、あんなことがあった後にお前に怒鳴られたら岬ちゃん、余計にどうしたらいいか分かんなくなるだろ?」
責めるような口調に、克也はうつむいた。
「――分かってる。あそこで怒るべき相手は岬じゃない。分かっては、いたんだ。」
克也はそのまま視線をテーブルの上に置いた自分の拳に移す。
「――岬を守るために久遠に行ったのに、しょっぱなからあんな風に長老たちに出し抜かれるなんて、自分が情けなかった。その感情を岬にぶつけて――。......最低だよな」
そう言って右手で額を押さえ、唇を噛んで瞳を閉じた。
利由は少し沈黙した後、小さくため息をついた。
「ただ、ひとしきり泣いたら落ち着いたようだよ。もう大丈夫だと思う」
「そうか」
少しだけ、表情も明るくなる。
「なあ、克也。本来、岬ちゃんに一族の事情を伝えるのはお前の役割だ。もちろん竜一族のことをすべて事細かに話す必要はない、でも、彼女が関わってくることについては、彼女にきちんと話をしたほうがいい。」
「分かってる」
克也がうなずくのを見て、利由は続ける。
「長だからといって、全て自分で解決しようとするな。周りを見ろ。お前の周りには嫌なやつもいるが、本当に力になってくれるやつもいっぱいいる。もちろん俺だって。そして忘れるな、お前のすぐ横には――岬ちゃんがいる」
意外なことを言われたというように克也は顔を上げる。
「岬ちゃんはただ守られるだけの存在じゃない。彼女は、お前が守るべき存在であると同時に、お前を守ってくれる存在でもあるはずだ。」
利由の言葉に、じっと何かを考えていた克也は、ややあって再び口を開いた。
「俺は、岬を自分の手で危険から遠ざけることだけに必死になって、岬の意思を考えてなかった。無意識に、一族の話をすることを避けてた。でも、今何が起こって俺が何を考えているのか、何も伝えてなければ、岬が自分で危険を避けることもできないのに。もっと、話をしておくべきだった」
拳を握り締めて反省する様子の克也に、利由はうなずいた。
「それ、岬ちゃんに今度そのまま言ってやれよ。夫婦のことは夫婦で解決するのが一番。」
「――っ、夫婦って」
克也が焦ったように繰り返す。
「なんだよ、お前氷見の言った『生涯を共にする女』ってのを肯定したじゃん。ってことは、いずれはそうなるってことだろ?」
「いや、あれは売り言葉に買い言葉というか......」
克也は口ごもった。
「あれ?もしかして、ここまできてその気はないとか?」
そうではないのは利由も承知であえてからかう。
「......あるに決まってんだろ」
ぼそりと、やけになったように克也はそう口にした。
まさかそう返されるとは思っていなかった利由は、少々面食らう。
「言ったな?」
にやりとする利由に、克也も口の端を上げる。
「......言ったよ」
お互いの顔を見合って吹き出す。
だが、少しして利由は急に表情を引き締めた。
「それより、泉さんの方は大丈夫だったか?彼女、相当気が動転してたろ?」
泉とは、今日岬を光の刃で襲った女性だ。
速水 泉。竜一族の幹部であったが、同じく幹部だった恋人の竜季が奈津河一族との争いで殺されたことで少々自暴自棄気味で情緒不安定になっており、現在主力メンバーから一旦退かせている。
克也も笑いを引っ込める。
「相当参ってたみたいだった。あれから、周りがなんとか落ち着かせたらしいけど――。」
「無理もないけどな。竜季さんと泉さんは本当に仲の良い恋人同士だった。大貫将高の攻撃を受けて恋人を失って、奈津河に対しては相当恨みがある。しかも、その事件には岬ちゃんも無関係じゃない。そして、さらにまずいことに、竜季さんを慕っていた下のやつらを消してしまったのは、他でもなく――」
利由の言葉に、克也はつらそうに瞳を閉じた。
利由は続ける。
「ちょっと気をつけたほうがいいかもな。今日の一件で、一族の多くに岬ちゃんの面が割れちまったし。」
克也は神妙な面持ちでうなずいた。
その瞬間、利由のジーパンのポケットで携帯が鳴る。
利由は画面で相手の名前を確認する。
「岩永氏だ」
確認して、利由はおどけたような笑みを浮かべつつ、克也に何もしゃべるなというように人差し指を自分の口の辺りに持ってくるジェスチャーをした。
未成年が夜遅くまではいられないと客人を置いて帰った克也が、今こんなところで利由と会っていては、お堅い基樹に何を言われるか分からないからだ。
利由の意図を汲んだ克也も口の端を少しだけ歪めて笑う。
「もしもしー......はい、どうしたんですか、こんな夜遅くに――......え!?」
のんびりとした利由の表情が、途中から険しくなる。
ただならぬ様子に、克也も眉をひそめた。
「分かりました。すぐに動きます――」
相手が電話を切るのを確認して、利由がすばやく携帯の通話終了ボタンを押した。
「――どうした?」
克也の言葉に利由は口を開く。
「ヤバい、克也。――泉さんがいなくなった。彼女が今行くところといったら――」
利由がそう言い終わるか終わらないかといううちに、克也は部屋を飛び出す。
――克也にも利由にも、泉の行き先はひとつしか思い当たらなかった。