【幕間1】優しい嘘(2)
「――あたしは薬でおかしくされていた時に『何をした』んですか?」
岬の問いに、尚吾は一瞬だけ目を瞠ったが、すぐにいつもの笑顔になり、がりがりと頭をかいた。
「んー、答えてあげたいんだけどねー、実は俺、岬ちゃんのそばにはほとんどいなかったんだよねー。だから話せるようなことは何もないの。ごめんねえ」
「――でも、先輩も何があったかは聞いてるはずですよね?」
岬が切り込む。
「――最終的に岬ちゃんを救い出すまで、岬ちゃんと一緒にいた時間が一番長いのは克也だよ。克也に聞いた方がいいよ」
近くにあった丸椅子にどかっと座る。
「克也は教えてくれませんでした」
岬は視線を床へと落した。
「じゃあ、俺もそれを言うことはできないな」
ため息と共に尚吾はそう告げる。
岬は俯いたまま、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
――分かってた。
尚吾は克也の腹心の部下とも無二の親友とも呼べる存在。
尚吾がここに来る前に克也に会っていないわけがない。克也は自分があの時のことに疑問を抱いているのを知っている。それについて尚吾に口止めをするのは当たり前のことだ。
それでも、自分はこの機会を逃したくない。
このままでは、自分は克也の重荷になってしまう。
今この時、目の前の尚吾にしか言えないことがある。
「克也の思いを先輩が無視できないのは分かっています。でも、それを承知でお願いしたいんです。だって克也が隠すということは――あたしにとって都合の悪いこと、なんですよね......」
岬は真っ直ぐに尚吾を見つめた。
「あたしは――克也だけが何かを背負うのは嫌なんです。それがあたしに関わることならなおさら。克也は優しくて頑固だから、多分、あたしがいくら聞いてもあたしのためだと言って何も言わないと思います。でも、このままあたしが真実を知らないでいるのがいいことだとは思えないんです。あたしだって克也が大事なんです。克也一人に痛みを押し付けているのを分かっていて、何も知らないふりなんてできない。克也の苦しみを分かち合いたいんです。――あたしと同じ――克也のことを大切に思ってる利由先輩なら――、分かってくれますよね?」
岬の言葉に尚吾は笑みを消した。
しばし沈黙した後、尚吾は窓の外を見つめて口を開いた。
「克也――いや、長から、そう聞かれても何も言うなって言われてるんだけど――っと、本当はこれも言っちゃまずかったな」
わざとらしく肩をすくめる。
尚吾は普段、岬との会話の中で克也のことを『長』と呼ぶことは少ない。普段の二人は対等な関係だからだ。だが、今回尚吾はあえて言い換えてまでそれが『長』から言われたことだと言った。そのことから、克也が尚吾に対し『長として命令』という形をとったのだと分かる。それも岬の目から見ると珍しいことだと感じる。だが今回、長として尚吾に命令するほど――、それほどまでして克也が自分に隠したい真実は決して自分にとって優しい事実ではないだろう。自然と握った拳が汗ばむ。
尚吾は岬の様子を眺め、わずかに微笑んだようだった。
「その顔を見れば分かる。俺が答えなくても、その答えは既に岬ちゃんの中にあるはずだよ」
その言葉に、岬ははっとした。
「俺は何も言うことはできない。長の命令は一応、絶対だからね」
『一応』を強調する。
「でも、何も言えなくても、岬ちゃんの背中を押すことはできる」
そう言って尚吾は携帯を操作し、外の警護の者を気遣うように音を最小にしてテレビを映し出した。
『凄惨な爆発事故・中條幸一さん遺体見つからず』
『二つの謎――幸一氏行方不明と切り取られたように消えた建物との共通点』
画面に躍る文字、聞こえてくる言葉、その中身に岬は釘付けになった。
■■■ ■■■
尚吾が来たその日の夜、病室を訪れた克也はまず、顔色を窺うように岬を見た。
喧嘩をしたわけではないから険悪ではないものの、昨日あんな風に言ってしまったばかりで、岬にしても少々気まずい気持ちではあった。
『でも、せっかく克也に会える貴重な少ない時間なんだし......』
と、岬が克也の身体に手を回そうとした、その一瞬、克也が顔をしかめた。
「克也......」
岬は思わず克也を見上げる。
自分が触れてしまったのは、ずっと克也が庇うようにしてきた右脇腹辺りだった。
それを見た瞬間、気まずい話題を避けてうまくやろうとした気持ちも全てすっとんでしまった。
「克也――、......ここ――、どうしたの?」
今度は触れないように適度な距離を保ちつつ、気になるあたりに手をかざす。
克也はしまったというように、岬の瞳から視線を逸らした。
「本当は、ずっと気になってた。克也、いつもこっち側庇うようにしてるから......」
右脇腹辺りを庇う克也の姿を真似るよう、自分の右手を脇腹に当てる。
「傷......深いの?」
「いや、たいしたことない」
克也はふわりと微笑む。
だが、岬が目を覚ましてからずっと――、まだ今のように回復していない頃の岬にも明らかに分かるほど克也は痛そうにしていたのだ。そしてそれから約一週間経った今でもこの調子だ。
『たいしたことない』はずがないことは、克也の様子からは明らかだ。
「嘘だよ......!だって克也そんなに痛そうにしてて――たいしたことない訳ない......!」
心配をかけまいとして強がる克也に、思わず岬は声を荒げる。
「その傷――中條幸一にやられたの?」
有無を言わせぬ迫力の岬の問いに、克也はため息をついた。
「そうだよ」
しぶしぶ肯定する。
「あたしを......助けてくれた時の、傷?」
克也は答えない。だが、沈黙こそが肯定の意味だと岬にも分かっていた。
「ごめんね......あたしの、せいで。中條幸一と、戦ってくれたんだよね......。」
俯く岬の頭に、克也はそっと触れる。
「俺が岬を助けるのは、当然だ。俺が助けたいと思ったから助けたんだ。だから岬は謝らなくていい。岬は悪いことはしてないんだから」
優しい克也の声に、岬はやりきれない思いが自分の心に広がっていくのを感じた。
「本当に?――あたしは、本当に悪いことをしていないって言えるの?」
真実はそんなものではないはずだ。それをもう、岬も分かっている。
いくら操られていたとはいえ、自分のしたことのあまりの恐ろしさに、つい克也の優しさに甘えてしまいたくなる。けれど、それでは、克也だけがその事実を背負うことになる。
「あたし、うっすらとだけど、覚えてる。あたしは、宝刀の力を暴走させちゃったんだよね?」
克也が目を瞠った。
「中條幸一に捕まって、変な注射を打たれてから記憶が断片的で......でも、力を使おうとしていたことは分かる。病院のベッドで目覚める前のあたしの最後の記憶は――、死にそうな位苦しそうな、克也の顔。それから、『あたしだけに、全てを背負わせるわけにはいかない』っていう克也の声」
岬は克也の顔を見上げる。
夢か現実か――それすらもあやふやな、でも、やけに鮮明な光景。
けれど、目を瞠る克也の表情に、それが現実だったのだと今、確信する。
「克也は、あたしの力の暴走を止めようとしてくれたんだよね?」
上目遣いに見つめる岬に、克也は微笑みかける。
「だけど、結局俺には何もできなかった。――暴走を止めたのは俺じゃない。おまえ自身だ」
岬はかぶりを振った。
「でも、あたしが止めたっていう実感はないんだ。その時の記憶がないから。ただ――、克也を死なせたくないって、必死に思ってただけなの。それが結果として克也を死なせずに済んだのは本当によかったと思っているけど......。」
岬は克也に触れる。克也を失わずにいられて本当に良かった。
けれど、その安堵の思いと共に、心に立ち込める暗雲。
「克也すらも呑み込みそうになってた、暴走した宝刀の力――。近くにいたはずの中條幸一がどうなったのか、考えてた。考えて、思ったの。――中條幸一が、無事なわけがないって。」
そこで岬は一旦言葉を切り、ひとつ短く息を吐く。
「でも、確信は持てなかった。......ううん、本当は――心のどこかでそれが間違いであって欲しい、認めたくないって思っていたのかもしれない」
「中條幸一は――、死んだんだね......」
「なぜ、そう思う?」
断定した岬の言葉への答えをごまかすように克也が逆に問う。
そんな克也の優しさに涙が出そうになる。
「あたし、『知って』るの。幸一が行方不明で、遺体も見つかってないって――」
それまで静かだった克也の表情が、そこで一変した。
「......尚吾だな?」
克也の苛立ちが岬にも伝わる。
岬は慌てた。
「先輩は何も言ってないよ!本当だよ!」
必死に否定する岬の様子に、逆に克也は確信を持っていくようだった。
「岬がどう言おうと――あいつが言ったとしか考えられない。」
岬はすがるように克也の腕を掴んだ。
「先輩は、最初はあたしが本当のことを教えてほしいと言っても教えてくれなかったの!でも、――あたしが『克也のために』ってしつこくお願いしたの。」
「俺のため?」
「克也だけが、重荷を背負うのは間違ってるって」
克也は、眉根を寄せる。
「岬、俺は――」
克也が何か言いかけるのを、岬は遮った。
「先輩は、克也のことがとても大切なんだよ!親友としても長としても――先輩ほど克也のためを思ってる人をあたしは今、他に知らない。だからこそあたしは先輩にお願いしたの!先輩は『長の命令に背けないから何もいえないけど』って言って携帯でニュースだけを見せてくれたの。あたしがずっと知りたかった事実がそこにあったよ。もやもやしていた気持ちが晴れて、背中を押してくれた先輩には本当に感謝してる」
――わずかに、手が震える。
覚悟をしたつもりだったけれど、やはりその事実を確認することは怖い。
けれど、ここで逃げてはいられない。
ぎゅっと体の横で拳に力を入れ、勇気を振り絞る。
「あたし、中條幸一を――、宝刀の力で殺してしまったんだよね......?」