【幕間2】継がれる絆(1)
特別室、というだけあって人一人入院するには広すぎる病室に、水皇の声が響く。
「例の件――久遠家は整った。あとは、克也――お前がメインの仕事だ」
克也が静かに頷くのを、岬は見上げた。
克也は水皇から目を離すと、窓の外へと目をやった。
水皇は克也が行動を起こすのを待っていてくれているようだった。
「それ、今、言っていいんですか......？」
「もちろん。それこそお嬢ちゃんのためにはなるべく早く言った方がいいんじゃないのか？」
水皇の言葉に、克也は頷く。
『何？なんだか妙な空気が漂っている気がするけど......』
岬は、二人の間に漂うある種の緊張感を感じていた。
しかも、あの水皇の言い方だと、岬自身に関係してくることのようで、なおさら気になる。
しばらくして、克也が意を決したようにくるりと岬に向き直った。
「岬......」
克也の真剣な瞳に、岬の心臓は瞬時にどきりと音を立てる。
「何？」
何を言われるのかと構えながら、岬は上目遣いに克也を見上げた。
「さっき、来たばかりの時にも少し話したけど......今日、ようやく全ての荷物がアパートから久遠に運び終わって――、これから俺は久遠家に住むことになる」
克也は、ゆっくりと話し始める。
「......うん。分かってるよ」
岬は僅かに微笑んだ。
さっきは、その先に自分が話したいことがたくさんあったためにそれほど気に留めなかったが、改めて聞くとやはり少しの寂しさが襲ってくる。
この間久遠家で見た、あの一族の長としての完璧な克也の姿が脳裏に甦り、一気に遠い存在に感じてしまう。
思わず岬は俯いた。
「それで――、岬はとりあえず、あと三週間ぐらいは入院という形をとって、問題がなければ退院することになると思う」
「うん」
岬は視線を下向きにしたまま頷く。
「その先の――ことなんだけど......」
そこで克也は一旦言葉を切った。
「その先？」
退院した、その先――岬は、そういえば自分が『その先』を考えていなかったことに初めて気づく。
『とりあえずは、退院したら勉強の遅れを取り戻さないといけない、ってことぐらいしか思いつかないな......』
そんなことを岬が考えていると、克也は岬と視線を合わせるように、その場にしゃがみこんだ。いきなり視界に克也の真っ直ぐな瞳が入り込み、岬は慌てる。
「岬にお願いがある」
いっそう神妙な表情で克也は岬の瞳を見つめる。
「なに？そんなに改まって」
岬は首を傾げた。
「久遠の家に――来て欲しいんだ」
はっきりと克也は言った。
久遠家といえば、克也には悪いが岬にとってあまりいい印象はなかった。怖い、という感情が先にたち、思わず自分の腕をさすった。そんな岬の様子を見て、克也が途端にすまなそうな表情になる。
「ごめん――お前にとっては......あの時嫌な思いをしたことが記憶に残っているはずだよな......」
複雑そうな面持ちの克也に、岬は申し訳ない気持ちになり、気持ちを切り替えようとした。
「ん......でも、あの時のことはもう大丈夫。それよりもっと嫌なことも経験したし、それに比べればたいしたことじゃないしね」
岬としては軽い気持ちで言ったのだが、克也はさらに複雑そうな表情で眉根を寄せてしまった。
気まずさをごまかすように、岬は努めて明るい声で話を進めた。
「それで、退院したら久遠の家に行って――あたしはその時一体何をすればいいの？」
嫌な気持ちもあるが、久遠はこれから克也がそこに住み、やがては主となるであろうことを考えると、自分にとっても切り離せないものになる。覚悟を決めなければと岬は自分に言い聞かせた。
克也は一瞬きょとんとした後、少しだけ慌てたように言った。
「あ、いや、そうじゃない。そういうことじゃなく......。行くっていうのは、ただその日行くってだけじゃなく......その......」
歯切れの悪い言い方に岬も怪訝そうな顔つきになる。
「......どういうこと？」
克也は小さく息を吐いてから再び口を開いた。
「――退院したら......しばらく、岬も久遠の家に住んでほしいんだ」
克也の言葉を聞いても、岬にはすぐには状況がのみこめなかった。
『久遠の家――克也の家に、住む――？』
心の中で反芻し、はっとする。
『な、何！？もしかして、克也と、一緒に住むって事！？』
またまた心臓が跳ね上がる。
「......何それ、プロポーズ？」
早鐘を打つ心臓と頬の熱さをごまかすように、つい岬の口を突いて出たのはこんな一言だった。
克也は再び目を丸くすると、すぐに真っ赤になった。
「えっ！いや、ち、違う違う！」
「......そんなに全力で否定しなくても」
状況的に違うのは分かってはいたものの、そこまではっきりと否定されると何となく傷ついた気分になるものだ。
口を尖らせる岬に、再び克也は慌てた様子で、ばつが悪そうに『ごめん』と謝る。
ふと、水皇の方に目をやると、面白そうに肩を揺らしていた。
「おまえら面白いな。お似合いの夫婦になりそうだ」
クックッと喉の奥で笑いを最小限に堪えながら、水皇が言った。
「要するにね、岬さん。今回のようなことが起こってしまって――、克也は、もうあなたを片時もそばから離したくないんですよ。」
その言葉に、岬は水皇から、目の前の克也へと視線を移す。
克也は何となくばつが悪そうに、照れた様子で口を引き結んでいた。
しばらくを見つめていると、克也はぽつり、と小さな声で呟く。
「こんなこと、もう二度と嫌だ。完全には無理にしても......できるだけ、俺の手の届く範囲にいてほしいんだよ......」
「克也......」
同じ思いを二度としたくないと言う苦しそうな表情から、今回いかに彼が心を痛めたのかが伝わる。岬もその思いに胸が締め付けられるような切なさを覚えた。
闘いが終わっていない以上、確かに今後奈津河がどう出てくるのかは分からない。同じように自分を手に入れようとする者がいないとも限らない。だとすると、マンションにいるよりは、竜一族の本家にいた方が安全は安全だろう。それは分かる。
克也のいる久遠の家に自分が住む――。
夢のような話だ。
だけど――
「ちょっと待って。あたし――これは、あたしだけじゃ決められない。お父さんとお姉ちゃんにも聞いてみないと」
家族にも言えない秘密を抱えるようになった自分。
学校の違う友人が増えたり、外泊が増えたりという自分の変化を姉たちも感じていたはずだ。少し前に克也ともめた時も理由もろくに話さずにふさぎこんだ自分を不思議に思わなかったわけはない。
そして今回、家族にも随分心配をかけたことだと思う。
一族のことについて、姉や父親は不思議なくらい岬には深く追及してこない。自分のことを気遣っているのかもしれない。
その上、このまま恋人のいる久遠の家に住むと――、それほどの勝手が、許されるものだろうか。
そんなわがままを言っていいのか。
表情を沈ませた岬を気遣うように、克也は正面から岬の肩に触れる。
「うん、分かってる。俺もそう考えてた。こんな重要なこと――高校生の俺たちだけで決められる問題じゃない。もちろんこれから、水皇さんも交えて岬のお父さんとお姉さんに話をするつもりだ。――だけど――、誰より先にまず岬に言わなきゃと思ってたんだ。岬の気持ちを一番に考えたかったから......。だから、来て欲しいとはいったけど、最終的にどうするかは岬が決めていい。ただ、自分の気持ちだけは伝えたかった。無茶すぎる話だと、俺も迷った。けれどここで、自分の気持ちに目を背けて、その間に何かがあったら絶対に後悔するから」
優しい克也の声に岬は顔を上げた。
声と同じく優しい克也の瞳。胸にじんわりと温かいものが広がり、複雑な思いの岬の瞳を揺らした。
