【幕間2】継がれる絆(2)

 次の日、岬の病室に岬の父と姉が呼ばれ、水皇と克也、そして岬の五人で今後のことについて話し合いがもたれることになった。
   
  「岬さんに、『宝刀の力』という特殊な力が備わっていること、そしてそれを狙い、二つの一族が岬さんの存在を狙っていること。今回岬さんの身に起きたこともそれが原因だということは、先日お話したとおりです。――とはいえ、我々もそれを狙っている一族のひとつであることは事実ですので、あまり偉そうなことはいえない立場です。ただ、そんな大人の思惑とは別に―ー、この蒼嗣克也には違った思いがあるようです。」
   
 水皇の言葉に、父と姉の視線が克也へと注がれる。
   
 水皇は続ける。
  「この子は今、十八歳という若さで一族の長という立場にいることも先日お話しましたが......ですが、身内の贔屓目を差し引いても......この子は特殊な環境に育ってはいても、人として必要な正しい心はきちんと育っていると思います。それでもより人生を長く生きている貴方がたにはまだ頼りないと思われるかもしれませんが、どうか一度、彼の言うことを聞いてやっていただけませんか?」
   
 水皇の言葉に、岬の父と姉はお互いの顔を見合わせ――、そして頷きあう。
   
 克也は岬の家族の前で深々と頭を下げた。   
  「まずは――、こうして僕が直接お話しすることが、こんなに遅くなってしまって申し訳ありませんでした。ずっと、ずっと謝りたかった......。貴方がたの大切な岬さんを守りきれなかったこと――。本当に、本当にすみませんでした......!」
   
 なかなか頭を上げようとしない克也に、傍にいた岬は慌てた。
 父も姉もしばらくそんな克也を見つめ続けていたが、やがて父は深く息を吐いた。
   
  「顔を――上げて欲しい。蒼嗣くん、君には感謝している。あの状態の岬を――大怪我をしてまで、文字通り命がけで助け出し、そして岬の意識を取り戻す手立てまで用意してくれた。だから、そんなふうに自分を責める必要はないんだよ」
   
 父の言葉に、克也は『ありがとうございます』と二度繰り返した。それでもそのまま頭を下げ続ける克也に、岬はシャツの袖を引っ張って顔を上げるように促した。するとようやく、克也は顔を上げる。
   
 克也を見つめる、父の顔はとても穏やかであるように岬の目には映った。

   
  「今日は、岬さんのお父さんとお姉さんにお願いを聞いて欲しくて――ここにきていただきました。」
 克也は緊張した面持ちで口を開いた。
  「岬さんの力が特殊であるために、今回のように彼女の人権を無視してその力だけを利用しようとする者たちがまた出てこないとも限りません。そのような人たちから、今度こそ確実に――守りたいんです。そのために――しばらく岬さんを久遠の家でお預かりさせていただきたいんです」
 はっきりとそう口にした。
 父と姉が息を呑むのを感じ、岬も、握った手の中で汗がじわりと吹き出すのを感じる。
   
 しばし、沈黙が流れる。
 静寂を破ったのは岬の父だった。
   
  「蒼嗣くん。君は一族の長という立場にいるんだろう?自分の一族のために――同じように岬の人権を無視して力だけを利用することが、今後一切ないと――、君だけはそんなことをしないと断言できるんだろうか?――君を、本当に信じていいのかな?」
 そう言い、克也を真っ直ぐに見返す。
   
  「僕は一族をまとめる立場ではありますが......、岬さん以上に大切なものはありません。僕は、岬さんには自分らしく生き生きと日々を過ごして欲しいと思っています。それを傍で見守ることが、僕の一番の望みなんです。だから僕自身が、岬さんの心を無視して力だけを利用することは決してありえません。それだけはないと断言できます」
 視線を逸らさずに克也は答え、そして言葉を継ぐ。
  「けれど今、岬さんが本来属するはずの奈津河一族を離れて僕の元にいる以上、あちらの一族がこのまま納得するはずがありません。闘いが続く限り、どうにかして岬さんを取り戻し、その力を利用しようとするはずです。そうなれば今回のように普通の生活さえ脅かされ続けてしまう。僕は岬さんが、自分の意思で自分の人生を歩いていけるように......彼女を解放したい。そのために闘いを終わらせたいと考えています。闘いが終わったら――必ず岬さんを元の生活へと――、一人の女の子としての普通の生活に戻すことをお約束します。だからそれまで、彼女を僕の手の届くところで守ることを――、彼女に久遠の家で過ごしてもらうことを、許していただけないでしょうか?」
   
 再び沈黙が流れる。
      
 岬はいてもたってもいられず、思わず声を出していた。
  「お父さん、お姉ちゃん、あたしからもお願い。あたしが、久遠の家で暮らすことを許して欲しいの!」
 そこまで言ったら既に喉がカラカラに乾いて、岬はつばを呑み込んだ。
  「こんな話――無茶なことを言ってるっていうのは分かってる。でも、決して浮わついた気持ちで言ってるわけじゃないんだよ。克也は、あたしのことを全力で守ってくれる。きっとそれは今までどおりマンションで暮らしていても変わらないと思う。けれどそれじゃあ、余計に克也の負担になっちゃう。あたしが久遠の家にいることが克也の負担を減らすことになるなら――、あたしは、そうしたい。どうか、お願い――」
   
 克也の思うところとは別だと思うが、岬にとってはそれが今、『久遠の家に住む』ことに対する正直な気持ちだった。
   
 おずおずと父と姉の顔を覗き込んだ岬だったが――、
   
  「許さない」
 姉の港の声が病室内に響いた。
 岬に良く似た、けれど少しだけ低く凛とした声。
 港の表情は、静かだが強さを秘めていた。
   
  「えっ!」
 焦る岬。
 真顔でしばらく岬を見つめ続けた後、港はにやりと笑顔を見せる。

  「なーんて、言ってみたくなっただけ」
 いつもの港の穏やかな声。
   
  「お姉ちゃん......」
 気が抜けたような表情を浮かべる岬に、港は大げさにため息をついてみせた。
   
  「だって、寂しいじゃない。あたしが守ってやんなきゃ、って大事に大事に育ててきた妹が急に大人になっちゃったみたいでさ」
   
 寂しさを垣間見せたような笑顔は、すぐに穏やかな笑みに変わる。
  「でも、それもまた成長ってことで嬉しいことなのかもね。お父さんはどう思うか分からないけど、あたしにだって彼がいるし、岬の気持ちもよく分かるよ。大好きな人の力になりたいっていう気持ち」
   
 港のふふ、という意味ありげな笑いが、その場にいる者たちを和ませた。
 その雰囲気の中、岬の父もぽつりと、誰にともなしに、話し始める。
   
  「娘が誘拐されたと聞いた時、私は訳もわからず......、蒼嗣くんのことも疑いました。娘に常識では考えられない力があると聞いても、信じられなかった。正直今でも、目の前にいる岬は以前と変わらない岬で――、とてもそんな力を持っているとは信じがたいところはあります。」
 そう言って、父は岬に目をやる。岬は何ともいえない気持ちで見つめ返した。
  「とはいえ、私たちは変わり果てた岬の姿を目の当たりにしました。あの姿を見たら、娘の身に起きていることが常軌を逸するものだと、信じないわけにはいかないでしょう。そして、すぐに理解のできない私たちに根気強く真摯に説明を続けてくださった久遠さんと、必死で岬を助け出してくれた蒼嗣くんの姿を見て、この人たちは信じていいのだと、思うようになりました」
   
 岬の父は水皇を見た。
      
 「早くに妻が亡くなり、私は幼い二人の娘を抱え、正直途方にくれました。仕事をしながら慣れぬ私の家事や子育て......。至らぬことも多く、娘たちには、苦労をかけてきました。特に岬には、私も夜勤のある職場、姉の港も仕事で遅くなる日も多く、随分寂しい思いもさせてきたと思います。けれど私がここまでやってくれたのも、妻が遺してくれた大切な娘たちのおかげです。だから――、私にできることならなんでもしてやりたい。耐え難い運命があるのなら、この手でその運命を塗り変えてやりたい......。けれど、岬に課せられた運命の前には、私には成す術がないことは今回のことでもよく分かりました」
 岬の父は胸の前で悔しそうに拳を握り締めた。
   
 そして、水皇と克也を交互に見る。 
「久遠さん、蒼嗣くん――、しばらく、岬をあなたに託します。その代わり、必ず岬を――その忌まわしい運命から開放してやってください。私にできないことがあなた方にはできるのでしょうから......」
   
 岬の父のまなざしを受け止め、克也が微笑む。
  「岬さんを見ていると、いかに家族に大切に育てられてきたのかが、よく分かります。岬さんの、どんな時も場を明るくする笑顔、そしてその笑顔の根底にある芯の強さに僕は何度も救われてきました。きっと、貴方がたが岬さんの笑顔を大事に守ってきたんだと思います。僕も、そんな笑顔を守りたい。――栃野さん、あなたの思いを――僕が引き継ぎます。そして、一刻も早く岬さんを自由にして、貴方がたの元に戻れるようにしたいと、思います」
   
 そう口にした克也の手を取り、岬の父は頭を下げる。
  「頼んだよ、蒼嗣くん」
  「はい、必ず」
   
 二人の姿に、岬は自然と涙腺が緩むのを感じた。
  『お父さん......、克也......、二人にこんなふうに言ってもらえて、あたし、幸せ者だね......』
   
   
  「なあによ、お父さん、まるで今すぐ嫁に出すような話しちゃって」
 父の横で港がくすくすと笑う。
   
 岬の父は克也へと目をやると、克也の瞳と視線がぶつかる。

  「蒼嗣くん。君に今、岬を託しはしますが――、まだ嫁にはやりませんよ?」
 不敵に笑う。
 そんな岬の父に、克也は一瞬度肝を抜かれたような表情を見せる。
   
  「お父さん、そんなこと言ってても、意外にすぐに『その時』はやってくるものなんだよ。覚悟しといた方がいいかもよ。ね、岬?」
 港が岬に向かってウインクする。
   
 岬と克也は顔を見合わせて――同時に赤面した。
   
   
   
 詳しいことはまた後日、岬の退院のめどがたってからということになり、その日はそれで終わりになった。   
 病院からの帰り道――岬の父と姉の港は並んで歩いた。夕方の黄金色の日差しが二人の影を伸ばす。
   
  「お父さん、もうちょっと駄々こねるかと思った。岬は渡さない、とかって」
 港は、吹いた風で耳にかかった髪をかき上げながらそう口にした。
 港の言葉に父は苦笑する。
  「子供じゃないんだから、駄々はこねないよ。それに――反対してどうにかなるものなら、いくらでも反対した。でも――、そうすることでは状況は良くならないのが分かるから――。自分が娘を手放したくないと押し通したせいで、もし岬がまた今回と同じような目に遭ってしまうようなことになれば、その方が辛い」
  
  「港、お前も......今回のこと、最初からあまりうろたえていてなかったな......」
 父のつぶやきに、港は微笑む。
  「うん。聞いてたから」
  「誰に?」
  「お母さんに」
 父はぎょっとした顔をして傍らの港を見つめる。
  
  「あれ?お父さん、聞いたことなかった?お母さんのおばあちゃんの話――」
 港の言葉に、父は静かに微笑む。
  「いや、聞いてはいたけど......まさかあんな夢物語のようなものが現実となって目の前に現れるとはな......」
 今回の事件について、久遠水皇の話を初めて聞いたとき、『ああ、妻が言っていたのはこのことだったのか』と妙に自然に合点がいった。奇想天外な話を初めてされたというのに、確かに驚き信じられない気持ちになりながらも、その一方で、思ったより冷静な自分に驚きもした。妻は、それとなく、やがて訪れるこの日のための準備を、密かにしてくれていたのかもしれない。
   
  「お母さんのしてくれる不思議な話、好きだったなあ。お母さんのおばあちゃん――つまり、あたしたちにとってはひいおばあちゃん、手を触れずに物を動かしたり、不思議な光の玉を手の上に出したりできる不思議な力を持っていたって――。でもひいおばあちゃんの本当のお仕事は、神様の力を閉じ込めて守る事だって――。それって、岬の力っていうのも同じかなあ」
 港は空を見上げる。
   
 父は、妻とのやりとりを思い出していた。
 おとぎ話のような話をすることが好きだった妻。
 だが、それを本気で聞いてはいなかった夫に対して、微笑みを湛えるだけで責めることはおろか、何も言うこともなかった。相手の答えなどなくても、ただ、話を聞いていて欲しいだけだとでもいうように、時折面白おかしく日常会話にその話を織り交ぜる。
 けれど一度だけ、彼女が真剣に『おとぎ話』をしたことがあった。   
 見守って欲しいと――岬の選択を見守って欲しいと、苦しい息の中で妻は自分に頼んでいた。
 『あなたにこんなことを頼むのは、荷が重過ぎるって分かっているけど、他の誰にも頼めない。もう私には、岬を守ってあげられないから』と――。
   
 黙りこんでしまった父を横目で見やりながら、港がぽつりと呟く。
  「闘いって......どんなものなのかな。本当ならそんな危険なことしてほしくないよね。でも、あの子に力があるために闘いは避けられないって――。なんで岬がそんな運命に生まれてしまったんだろう」
 港は辛そうに瞳を閉じる。
   
 父も、拳を震わせる。
  「甘えん坊のあの子に、闘いなんてできるんだろうか......。何もしなくても争いに巻き込まれてあんな酷い仕打ちを受けて――。これからも闘いが続く限り、逃れられないなんて――、代われるものなら、代わってやりたい......」

   
 少しだけ間が開く。二人の靴音だけが、薄暗い路地に響く。
   
  「でも、あの子、いつの間にあんな大人びた顔をして――。......あんな顔もするようになったんだね。岬が目を覚ました時、最初に誰の名前を呼んだか――本当に笑っちゃうよね。あたしたちがあんなに心配してたっていうのにね」
  「ああ......そうだね。いつの間にかあの子も、そんな顔をするような年齢になっていたんだな」
   
 ざざざ、と付近の草を揺らして再び風が吹く。
   
  「寂しくて悔しいけど......、蒼嗣くんに、任せるしかないよね」
 港の言葉に、父は黙って頷いた。
   
 空はもう暗闇にその色を染めつつある。
   
  「ねえお父さん、あたし、とりあえず岬が帰ってくるまで結婚はしないでいてあげるね」
  「......何言ってんだ。全く」
 父は、何ともいえない表情で苦笑いをした。
 港はそんな父を見て、へへ、と笑う。
   
 寂しげではあったが、二人の表情は穏やかだった。
   
   
<『【幕間2】継がれる絆』終>

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